106話 一向宗の恐ろしさ

 一色港 一色政孝


 1564年秋


 港に船をつけ降りるとそこに待っていたのは代官に任じている彦五郎だった。


「お待ちしておりました。道中何もなかったようで安心しました」

「急ごしらえの水軍に寅政が負けはしないだろう。ただ港が近づくにつれこちらに気がついた一向宗に色々投げられたが、届くような距離でもなかったな」

「寅政殿も無事に殿をこの地へとお連れしていただいて感謝いたします」


 寅政は遠慮したようで、軽く謙遜すると海上の監視に戻ると船へと戻っていった。


「間断なく弓を射かけよ!!門へと近づけてはならぬぞ!」


 遠くの方で佐助が指揮する声が聞こえた。船で来ていて分かっていたことだが、すでにこの港町は取り囲まれている。理由はいくつかあるが、一番大きなものとしては一色港を拠点に水軍が展開しているため、海路を使って西三河に物が入らないのだ。

 折角西三河の商人の多くが一向宗に味方したというのに、海路を使えないというのはやはり相当痛いらしい。尾張も街道を封鎖しているというのだから、西三河は籠城戦をしいられているようなものだ。とは言ってもそれは元康からしても一向宗からしてもだが。

 だから真っ先にこの地を落とそうとしているのだが、先日彦五郎と親元が提案してきた拡充計画の中にはこの地の防衛に関する設備の増築も含まれていた。

 港を囲むように塀と堀を作り、万が一に備えたのだがそれが早速機能している。

 一向宗は戦を本職としない農民が圧倒的に多いのだが、素人の集団で簡易的ではあるとはいえ城攻めをしているようなものだった。


「彦五郎、親元両名には褒美をやらねばなるまいな」

「勿体なきお言葉にございます。しかしそれはこの一揆に片が付いてからで」

「分かっているわ。それでその者らは?」


 町の中央には縄をかけられた農民と思わしき者らが数人座らされている。そんな中で1人が俺を憎そうな顔で見ていた。

 こちらとしては全く思い当たる節がないのだが、どうしたものだろうな。


「この者ら、事前にこの町に侵入し内部から混乱させる役割を担っていた者たちにございます。門に細工をしていたところを配下の者が捕らえました」

「そうか。おそらく逃げてきた者らに紛れていたのだろう」


 俺がその者らに近づこうとすると、1人の男が体をじゃっかん浮かせた。

 それに気がついた兵が背中を押さえつけることで組み伏せる。それでも尚俺のことを睨みあげてきていた。


「殿、危険です。何をしてくるか分かりません」

「では彦五郎が俺の前に立っていろ」

「はっ」


 彦五郎は刀を鞘より抜き、警戒した様子で俺の前に出る。そして揃ってその者らの元へと歩み寄った。


「何がそこまで貴様らをかりたたせる」

「信仰心だ!極楽浄土をこの世に作るのだ!」

「・・・極楽浄土の世を作るのであれば尚更死ねぬだろう?」

「死ぬのではない。極楽浄土に逝けるのだ、何も怖がることはない!」


 話が通じぬな。これでは一種の洗脳だ。


「その手に持つ刀で切れば良い。俺は極楽浄土へ逝き、それを知った皆の士気は上がる。何も怖くはないわ!」

「おぬしらも同じように思っているのだな?」


 威勢の良い男はとりあえず放置だ。話が通じぬし、俺の気分を害しすぎる。他に捕らえられているのはまだ若い男女が1人ずつと、老婆が1人。

 老婆は1人念仏を唱えているようで、俺の言葉に反応した様子はない。そして若い男女は少し様子が違って見えた。


「もう一度聞く。お前達もこやつと同じ考えなのだな?」

「ワシは・・・」

「あんた・・・」


 2人は言い淀んだ。今気がついたのだがおそらくこの町の住人だろう1人の老婆がまだ生まれたばかりの赤子を抱いている。婆が抱いているのは不自然であった。


「そこの婆、その赤子は誰の子だ?」

「・・・」


 何も言わない。ただ明らかにこの目の前の2人が狼狽えた。やはりそうだったか。何やら久と似たような雰囲気を感じたのは、そこに原因があったようだ。


「もう一度聞く。誰の子だ?」


 婆は震えた手で地べたに座らせられた2人を指さした。2人は既に涙を流して身を寄せ合っていた。


「お前達は赤子もろとも死んで極楽浄土に行こうとしたのか?」

「い、いえ・・・、ただ従わぬと家族の命がないと言われて」


 ようやく話したか。威勢の良かった男が顔を真っ赤にしているところを見ると、嘘はついていないようだな。

 ならばよい。


「彦五郎、夜になり一向宗の攻勢が止み次第この男を門の外へ放り出せ」

「よろしいのですか?」

「殺せば、そやつが言ったように敵の士気が上がる。それは俺の望むところではない」

「では他の者らは?」

「一向宗に与したとはいえ従わされたのだろう。ならば許す。武士がそうなれば力不足を嘆かねばならぬが、この者らはそうではない。力ある者が守らねばならぬはずの者たちだ」

「ではそのように」


 彦五郎はただ1人。俺に噛みついてきた男だけを連れてこの場から去って行った。まだ何かを叫んでいるが、そんなのを聞いてやるだけ時間の無駄だ。


「そこの婆、この女を家へと連れて帰ってやれ。随分と衰弱しているようだ。足らぬ物があれば近くにいる兵に言え」

「は、ははぁ!」


 婆は頭を下げ、そして既に縄の解かれたその女を連れて家へと戻っていった。


「さて、たしかに許しはしたが、敵対行為をしたことは事実だ。その分だけは働いて貰うぞ?」

「はい・・・」

「そう怯えるな。戦うのは兵の役目。何も最前線に放り込んだりはしない」


 若い男はホッとした様子で、ひとつ息を吐いた。

 その隙に俺は遠くで控えていた時真を手招きして呼んだ。


「お呼びでございましょうか?」

「この者より、一向宗の情報を聞いて纏めよ。それを軸に策を練る」

「かしこまりました。ほれ、行くぞ」

「はぁ!」


 時真と数人の家臣らはその男と共に本陣としている寺へと入っていった。

 それにしても先ほど彦五郎が連れて行った男。あんな者らが大量にいるのだと思うと背筋が凍るな。

 落人を使って尾張や三河の広範囲で煽ったことが今更ながら申し訳なくなってくる。きっと今頃元康も信長も一向宗を押さえ込むのに奔走していることだろう。

 俺もその中の1人になっているが・・・。

 だがそれにしても決め手に欠けるな。氏真様より命が下れば一斉に各地で反攻作戦をする手はずになっているのだが、それまでは徹底して防衛戦を続ける必要がある。

 疲弊した相手を攻める際、何か強烈な一手が欲しいところだが何か良い物がないか・・・。

 そう思っていたとき、


「殿、親元殿が何やら」

「俺に話か?わかった、通せ」

「では」


 道房が呼びに行った。それにしても伊勢湾上で海上封鎖を行っていた親元からとは・・・、何か成果があったのだろうな。

 しかし今はそれよりも、決め手のことだ。さてどうしたものかな。

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