93話 一向宗の厄介さ

 大井川城 一色政孝


 1564年正月明け


「落人、続けて長島の動きはどうなっている?」

「織田信長は一部の兵を長島城周辺の城へと残し、清洲城へと帰還しました。しかし主だった家臣は長島城を監視するようにして年を越しております」

「つまり信長は一向宗を相当警戒していることになる。まぁ越前と加賀のこともあるからな。一向宗の厄介さは十分にわかっているだろう」


 落人が頷き、それに合わせてみなが「なるほど」と頷き合った。その中で手を挙げた者がおる。

 彦五郎だ。


「どうした?」

「実は一色港に滞在している最中、親元殿が不審な船が近海を航行しているのを目撃しているのです」

「不審な船?」

「はい。遠目で見たところ商人ではなさそうだと。集団で行動していたその船は伊勢湾の方へと入ったようにございます」

「探れるか?」

「長島近辺にも集中して人をやりましょう」


 しかし長島へと向かったのは間違いないだろう。商船であれば伊勢の大湊とかそっちのほうに向かうはずだ。

 それにこれまで海賊行為をしていた親元が怪しい船だというのだから間違いはあるまい。


「それと長島城の実権はすでに伊藤にありませぬ。願証寺住職の証意しょういが握っております」

「住職が証意?願証寺の住職は証恵しょうえでなかったか?」

「昨年死んだとのことでございます。この証意、すでに顕如より願証寺の院下相続を認められていると」

「なるほどな。十分な力は持っているか」


 落人は欲しい情報をしっかりと持ってきてくれるから助かる。

 にしても相当早いな。史実の長島一向一揆の始まりは1570年頃だったはず。信長の弟である信興のぶおきが守っていた古木江こきえ城を攻め立て自害に追い込んだのが長島における一向一揆の戦端を開くことになる。

 しかしまだ5年以上早い。

 おそらく信長が迅速に周辺国を掌握しているからであろうが、顕如も焦っているのだろうか?

 対して三河一向一揆は本来なら昨年勃発したはずのものだ。

 しかし未だ燻っている・・・、いや違うな。長島でも一揆の用意を進めているのだとすれば歩調を合わせようとしているのかも知れない。

 未だ信長の監視が厳しく長島は動かず機を待っている。その影響かも知れぬな。


「元康が狙いだとしても、一色港周辺の守りも固めておかねばなるまい。一向宗が一揆を起こす理由など様々だ。不満があって一揆を起こしているだけではない。本願寺の坊主共は私利私欲のために戦をしていることも踏まえておかねば元康の二の舞になりかねぬぞ」

「殿は元康殿では押さえ込めぬと踏んでおられるのですか?」

「押さえ込める力を持っているのであれば、和睦があのような内容で結ばれぬだろう。元康には領内の不満を抑え込む自信が無かった。だからその一部を今川へ丸投げしたのだ。結果それが火に油を注ぐことになったがな」

「ふむ・・・、義弟殿も難しいお立場ですな」


 道房がそう言うと、みな気まずそうに唸る。たしかに元康のミスで俺達にも火の粉が降りかかりかねないが、そう悪いことばかりでは無いのだ。


「ここから仮定の話をする。元康が一向宗を押さえ込めないと判断した場合、どう行動することが賢い選択であると思う」

「周辺国に援軍を求めることでしょう」

「昌友、その通りだ。ではどこに出す?」

「元康殿の立場であれば同盟国の信長様ではないですか?」


 昌友はさも当然と答えを出した。しかしそれは不正解だ。

 いや、求める可能性はあるだろうが信長に兵を出すことは出来ない。

 俺が首を振ると昌友はわずかに不満げな顔をした。簡単な質問だと思ったのだろうが、信長にも兵を出せない理由がある。


「信長は東美濃を獲ったのだろう?信濃と隣接している。そして飛騨、伊勢と未だ友好関係になっている国は少ない。ということは全ての国境を守る必要がある。そして朝倉が苦戦した一揆の兆候が長島にある。織田はあまりにも急激に大きくなりすぎた。元康の援軍要請に応える余裕があるのかといわれれば微妙なところではないか?」

「・・・たしかにその通りです」


 それに一向宗との戦は厄介だ。死ねば極楽浄土だと信じて突撃する信徒が大勢いるのだ。

 そのような兵に当たらせて命を散らさせるなど愚の骨頂である。

 現状の信長でなくとも、他家の一揆、それも一向宗が相手ならば関わりたくないものだ。

 しかしそうも言っていられない家も存在する。


「元康殿は殿を頼りに氏真様に援軍を求められるのではないですか?」

「その通りだ。今川にとっても対岸の火事ではない。三河に城を持つ者は多いからな。そして多くの者が一向宗の厄介さを知っている」

「恨まれていたとしても援軍、とは言えずとも兵を出して一揆を鎮圧してくれると?」

「そういうことだ。しかしそれは元康にとって大きな借りを作る行為にもなる。元康は二度と三河で自立など出来ぬな。というよりも民がそれを許さぬだろう」

「今川の支配の方がまだ良いと思うということですか?」


 道房と時真が喰い気味で話を聞いているのは話し甲斐があって楽しいな。佐助はそろそろ思考が止まるか?まぁ武一辺倒の男ではあるからそれもやむなしか。

 気がつけば小十郎も側に寄ってきていた。別に構わんけど、驚くから何かしら合図を出して欲しかったところではある。


「例えば元松平領だった一色港が予想外の速度で発展している。例えば松平の帰還で安定すると思われた三河は安定どころか混沌を極め始めている。例えば義元公がお討ち死にされ、崩壊すると思っていた今川家が現状維持ではあるが持ちこたえている。三河国内でも安定している地域とそうでない地域の差はずいぶんと激しいと聞いている。この状況で三河の民はどちらの大名についていきたいと思うか。そういうことだ」

「元康殿は今川に臣従すると?」

「そこまでしなくともいい。元康は信長と同盟を結んでいる。それも子同士の婚姻同盟だ。ならば元康が西三河で独立しているだけで今川と織田の緩衝地域になるのだ。すでに上洛の意思を氏真様はもっておられぬ。ならばそれで十分ではないか?」

「それはたしかにそうですが・・・」


 そこまで落ちぶれた元康にその役目を果たすことが出来るのか?そういうことだろう。

 しかし信長にだって都合がある。背後を守るために元康と組んだ。今川が崩れると踏んだのだ。しかしそうはならなかった。背後を守るはずの元康は壁として成り立っていない。

 ならばどうするのか?氏真様も信長も薄々感じているはずだ。

 上洛の意思のない今川は織田にとって脅威にあらず。そして北進を進め、東海に興味を示さない信長は今川にとって脅威であらず。

 これは甲相駿三国同盟の時と同じ状況なのだ。お互いが進みたい方向に行くために、お互い背中を守りましょうね?そういう状況とまんま一致する。

 ただしこれまでの長い歴史があり、そしてお互いに多くの傷を与え続けてきた。


「まぁ氏真様次第だろう。どうせ武田とは縁が切れる。北条も今後どうなるか分からぬ」

「三国同盟が瓦解した後、それぞれの家がどう動くかですか」


 昌友がこの先を憂いて、小声でそう漏らした。もし信長との関係がどうにもならなければ、今川だって四面楚歌になりかねない。まぁ北条の動き次第ではあるが。

 一番困るのは北条と武田が手を組むこと。未だ駿河衆の結束は強くはない。最前線でなかったのだから当然だ。

 しかしこれからはそう言っていられないだろう。駿河も甲斐や伊豆、相模と陸続きだ。遠江も信濃や三河と陸続き。


「とは言っても、結局俺達は氏真様についていくだけだ。あの御方がどのような判断を下されたとしても側で支え続けねばならぬ。そう心がけよ」

「「「「「はっ!!」」」」」


 今川も結局は存亡の危機に立たされたのだ。

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