第41話 初夜
大井川城 一色政孝
1561年秋
「アジは美味しかったでしょうか?」
「・・・今それを聞かれるのですか?」
そんなことを言われても仕方が無い。一色・松平で婚儀が行われなかったとしても、お久様の嫁入り日は間違いなく今日なのだ。
今日の夕餉は、祝いだと聞いた商人や領民らが祝いの品を持ってきていて大騒ぎだったのだから成功したと言って良いだろう。
暮石屋を筆頭に大井川商会組合に所属している商人らが、それぞれの取り扱っている品を持って城へやって来たのが全ての始まりだった。
その騒ぎを見ていた領民らが何事かと商人らに尋ね、事情を知って多くの者らが祝いにやって来てくれた。中には明らかに商人持参の酒を目当てに集まってきた者もいたが今日は無礼講だ。目を瞑っておいてやった。
そして酔った悪い大人らが俺とお久様を同じ部屋に押し込めたのだ。今日は所謂初夜である。
そして全てが終わってどうするか、今そういう状況なのだ。
ちなみに前世の俺を今世の俺はゆうに超えて、そういう意味でも大人になった。詳しくは言わん。
「申し訳ありません。こういうことに慣れていないのです」
「そうなのですか?随分と積極的だったと思いますよ?」
「・・・」
前世の知識をフル活用したのだ。今川家を守る前に恥ずか死しそうになる。
同じ布団で横になっているお久様の暖かさを肌で感じることが出来る。そのことが余計に俺を緊張させた。本当にどうしようか。このまま眠れるかと言われれば、そうなりそうもなかった。
「では、旦那様の得意そうな話をしましょうか」
ごそごそと動かれたお久様はこちらを向いていた。布団をかぶっているから顔しか見えていないのが不幸中の幸いとでも言っておこうか。顔と言ってもいつもは結っている髪をほどいているのがまたなんとも言えない・・・。
「得意そうな話ですか?しかしお久様と私ではあまり共通の話は」
「まずは私の呼び方を正されませ。今後私のことは”久”とお呼びください」
「しかしお久様は」
言いかけたのだが指で口の動きを制されてしまう。
「年齢のことを言おうとされたのであれば怒りますよ?それに周りからは旦那様が松平に配慮しているように見えます。そうなれば、今川様から不興を買われてしまいますよ」
「たしかにそれは困りますね。俺は今後も氏真様にお仕えしなければいけませんので」
「でしたら正されませ。それと口調もです。妻となった私に遠慮は無用です。あなた様は既に私の旦那様なのですから」
母が久に言っていた言葉だった。たしかにこれからは家族として守るべき存在になるのだ。いつまでも他人行儀では久も距離を感じて辛かろう。
「わかった、今後は遠慮しない。久、これからよろしく頼む」
「はい、それでこそです。弟と話されていたときのようで私は嬉しいです」
「元康と話していたとき?」
「身分など気にせず好きに話されています。弟は遠慮をしているようでしたが」
苦笑いだろうか。俺としても元康とは昔のままの関係でいたかった。
例え味方でなくなったとしても、敵として憎み合う関係にはなりたくはなかった。幼き頃、ともに学びともに遊んでいた男が将来の徳川家康だと気がついたとき、果てしない絶望に襲われたのを今でも覚えている。
正直なところ久は一色と松平を結ぶ架け橋にはならない。間違いなく松平は今川の持つ城に攻撃をしてくるだろうし、俺は生涯今川を支えることを誓っているから間違いなくどこかで元康と戦うことになる。
この婚姻の本当の意味は別にある。最初からそんなことはわかっていた。
元康が同じ事を考えているとは思わないが、それでもそんなあまい発想をする男では無い。
「俺としても遠慮なくして欲しかったんだが・・・」
「ま、まぁこのお話はまたおいおいしましょう。それよりも今日、今川様より使者が来ていたようでしたが、どういった用だったのですか?もしかせずとも私に関係のある話ではありませんか?」
俺は驚きで久の顔をマジマジと見てしまった。久はおかしそうに俺の顔を見返している。
「華姫様に伺ったのです。急いだ様子で城をあとにする殿方を見ましたので、あの方はどなたですか?と。すると駿河朝比奈家の方だとおっしゃったので、もしやと思いました」
「母上が。あぁ、実は氏真様より久を連れて登城するよう命が下った」
「やはり私の出自でしょうか。不安になられている方が居るのでしょうね」
「その通りだ。氏真様に色々言われているようだが、現状は聞き流されているようだ。しかしそれも長く続けば不信に変わりかねん。早々にその疑念を晴らす必要がある」
「では行くしかないですね。旦那様の仕えている御方がどのような方なのか私もお会いしたいです」
海賊が襲撃してきたときも思ったが、久は思った以上に怖いもの知らずに思う。俺の危惧していることも賢いこの方なら理解しているはずだ。
それでも行こうと言う。
全くもって頼もしい限りだ。
「では近いうちに今川館へ参ろうか。氏真様やその御側近の方々に久をしっかりと紹介せねばならんな。俺の妻である久だと。邪推などせずとも俺も久も一色の者として今川を支えるのだとな」
「決して旦那様のお側を離れません。私も今日より今川を支えましょう」
初夜とは思ったほどあまいものでは無かった。いや、これは間違いなく俺が特殊なのだと改めて思った。
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