第22話 肉を切らせて骨を断つ

 今川館 一色政孝


 1561年夏


「では私から少しお話しさせて頂きましょう」


 全員の視線が俺に集まってくるのが分かった。

 そうそう、しっかり俺に注目してくれ。あまり隣の椿を見られると困るからな。


「まずはこちらをご覧頂きたいのです」


 俺は雪女より預かった大量の紙の束を目の前に広げた。訝しげな表情で見ているのは大方全員ではないだろうか。ただ1人、動揺しているのは長持だけ。


「政孝よ、これは一体何である?」

「見て頂くのがてっとり早いかと思われます。ささ、泰朝殿」

「うむ」


 泰朝殿は俺の言葉に従って紙の束を氏真様の目の前に持っていく。それを手に取って読み始めたのだが、すぐに驚愕の表情へと変わった。

 そのお顔を見た泰朝殿、そして元信殿が手に取り中身を確認していった。誰も何も言葉を発さない。それほどまでに緊急事態なのだと、この3人の表情で理解させられたようだ。


「長持よ、ここに書いてある字はそなたのではないのか」


 氏真様がポンッと投げられた紙数枚が長持殿の目の前に落ちる。長持は既に察しているのだろう。表情こそどうにか平静を装っているが、手や肩や身体の一部が小刻みに揺れているのがわかる。


「え、えー、どれどれ・・・」


 全員の視線が俺から長持へと移った。冷や汗をかきながら文を読むその顔に感情は抜け落ちている。


「ま、まったくひどい言いがかりですな。一体誰がこんなことを!?私にやましいことなどございません!」

「しかし書いてあるであろう。おぬしの字でしっかりと。『松平元康様への便宜を図って欲しい。その旨を連龍殿に伝えよ』とな。それもこんなにあるではないか」


 泰朝殿は全ての文にザッと目を通し、それを長持の方へと渡していった。先鋒を務め、今川の忠臣たる立場を得たはずの鵜殿長持は最初から今川を見限っていたということだ。


「それは何かの間違いです!それに私は確かに椿をこの手で斬りました!ここにおる女は偽物、政孝殿の策略に違いありませぬ!」

「私が長持殿を罠に嵌めて何の得があるというのです?椿殿は城門を見張っていた私の配下の者が保護したのです。どうしても氏真様にお伝えしなければならぬ事があると言われまして。事情を聞けば放っておくことなどできず、ここまで連れ来た次第にございます」

「ふざけるでない!一体どういうつもりなのだ!」


 長持は目の前の文の山を掴み、俺へと投げつけてきた。俺の側頭部に直撃した紙の束はバサッと周囲に飛び散る。こういうとき、あまりにも逆上すると余裕がないように映ってしまう。

 この場面だと激しい動揺があるようにかな。


「本人の口で認めて頂きたかったのですが、致し方ありませぬな。椿殿、あなたの口で説明されるが良い」

「・・・ありがとうございます」


 椿は俺に一度向いて小さく礼をした。そして今度は氏真様に向かって深く頭を下げる。


「氏真様、まことにお久しゅうございます。そして私の夫がこのような事をしでかしましたこと、まことに申し訳ありませぬ」

「椿よ、一体引馬城で何があったのだ。説明してくれるか?」

「はい」


 まだ隣でわーわー騒いでいる長持だが、事が事である。他の家臣の皆様に腕を押さえつけられてその場に座らされている。

 これでようやく話が進みそうだ。


「私の夫である飯尾連龍は確かに松平元康と文を交わしておりました。引馬城を占拠した後、三河国内にある今川勢力の城を挟み込む。そのための密約にございました。そしてそれと時を同じくして、父もまた元康殿と通じようと試みたのです。父は桶狭間にて先代義元様がお亡くなりになった直後、岡崎にて独立された元康殿と繋ぎを持たれようとした。三河の上ノ郷城を土産に元康殿につこうとしたのです」


 そう、長持の今川離反計画はかなり前から存在していた。しかし、ことはそう上手くは運ばない。


「しかし問題はいくつもありました。まず私の弟である長照が城に関する権限の多くを手にしていたこと。そして三河西部の制圧に関して早急な根回しを進めていた元康は、城を土産に寝返ることが出来ない父を受け入れられないと拒絶したこと。ですからその後に連龍が元康と密約を交わしたことを知って、間を取り持つようにと私に文を送ってくるようになったのです」


 唸っているのは氏真様だ。重臣の方々の目は血走っている。それも当然だ。元康ですら相当恨まれているのだ。そんな元康に即座につこうとしたのであればこれもまた当然の反応である。


「私からも1つ。実は椿殿を保護した際にこのような文を預かりました。内容は確認して頂ければ分かると思いますが、さきほど説明されたことと氏真様への謝罪の気持ちが書かれています。これを私に託して連義殿の後を追おうとされたようにございます」


 俺が懐から出したのは、雪女から預かったときにはまだ封の開いていなかった文だ。ようは椿から誰かしらに当てたものだった。

 これも泰朝殿に手渡して殿に確認していただく。


「たしかにこれは椿の字であるな。うむ、間違いない」


 そうなってくると、いよいよ後がないのは長持殿になる。もう顔に生気は無いに等しい。諦めたか。


「念のため上ノ郷城におる長照にも確認を取る。その結果が分かり次第、長持には沙汰を下す。それまでは駿河の屋敷での謹慎を言い渡す。もちろん監視は付けさして貰うぞ。そして椿、そなたにもな。それまでは・・・。政孝、そなたの城で預かって貰えるか?」

「裏切り者の妻である私の言葉を信じてくださってありがとうございます」

「無念・・・」


 親子で正反対の反応となったわけだ。長持は両サイドを取り押さえていた家臣の方々に引きずられように部屋から連れ出された。


「かしこまりました」


 俺もまた頭を下げる。氏真様はまた寂しそうに出て行かれ他の家臣の方々もやるせなさそうに出て行かれた。最後に残ったのは俺と椿と泰朝殿だけ。


「お戻りになられないのですか?」

「少し気になることがあってな」


 泰朝殿は座っていた場所から立ち上がると、俺達2人の前にドサッと腰を下ろされる。そしてマジマジと椿の顔を見られた。


「つかぬ事を聞いてもよいだろうか」

「なんなりと」


 この時点で嫌な予感はしていた。というよりも、こうなることが嫌だったから極力全員の目を俺や氏真様、そして長持に集めたのだ。


「この御方は一体誰ですかな?私の知っている椿様では無い気がするのだが」

「・・・やはり泰朝殿をだますことは出来ませなんだか」


 長年今川を支えてきた男なだけはある。しかし父親ですら見抜けなかったのに、油断も隙もあったものではない。

 褒めて貶してこんなところだろうか?


「どういうことか説明頂けるのでしょうな」

「簡単に言わせて頂くと、本当に椿殿は長持の手で討たれております。しかし内情を探っている最中、椿殿と接触する機会がありました。その際に、この大量の文と最後の文を手渡されました。私としては長持の離反を確実に信じて頂くためにはやはり椿殿には生きてこの場で証言して頂きたかった。しかし先妻の子であったの連義殿が死んだと聞いた時、彼女から逃げるという選択肢は無くなったのです」

「それでこのような真似を?」

「はい。やはり文だけではいくらでも捏造できますから。本人が証言すれば誰も文句を言うことは出来ぬだろうと・・・。勝手をいたしました。せめて泰朝殿には事前にお伝えしておくべきでした」


 小さく息を吐かれた泰朝殿は、再び隣の女の顔をマジマジと見た。


「勘違いされては困るから言うておくぞ。私は怒ってなどおらん。政孝殿が今川を支えようと奮闘していることは皆が知っていることだ。だからこそ今回のことも何かワケがあったのであろうとは思っておった。それよりも興味を引くのはこの変装術よ。・・・忍びの技であろうかな」


 ドキッとした。栄衆のことは今川内でも知っている者はわずかしかいない極秘中の極秘だ。

 それをたったこれだけで見抜いてくるなど・・・。


「安心せよ。誰にも言わん。ただし、今度話に付き合って貰うがな」


 それだけ言うと泰朝殿もまた部屋から出て行かれた。


「申し訳ありません。我が変化の業が未熟だったばかりに・・・」

「おぬしは悪くない。その変化を見破った泰朝殿が異常なだけよ」


 こうして引馬城を、今川家中を大きく揺るがした飯尾連龍の離反事件は終わりを迎えた。

 これでようやく久様を迎えに行くことが出来るであろう。

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