第17話 引馬城の兵糧攻め

引馬城外 一色政孝


1561年夏


「いつも思うが、やはり双璧の一角は大きいな」

「そうですね。今は今川を裏切りし飯尾の城になっておりますが、長年遠江を守ってきただけはあります」


 兵数で圧倒的に劣る飯尾連龍は籠城を選択したのだ。だから引馬城攻略部隊は完全包囲を以て連龍が音を上げるのを待っている。

 それにしても夏場だからかとんでなく暑い。しかし戦の最中、鎧を脱ぐことも許されない。兵を率いている将は籠城戦の最中、あまり動き回らない。だからひたすらに暑さを我慢する日々が続いていた。


「それにしても飯尾は時期が悪かったですな」

「あぁ、まさか夏場に宣戦布告するとはな。昨年は凶作で兵糧の蓄えも少なく、近隣でも凶作だったために米売りの商人は法外な価格で売りつけてくる。さらにこの暑さだ。今頃は引馬城内も地獄だろうよ」


 まだ包囲してから2週間ほどしか経っていないが、包囲軍ですら士気が落ち始めている有様だ。これは早々に決着を付けなければ離脱する兵が続出する予感がする。

 しかし苦しいのは引馬城内でも同じだろう。食料と水が無くなれば抵抗など出来なくなる。かの有名な籠城戦で鳥取城の戦いっていうのがある。羽柴秀吉による凄惨極まる兵糧攻めで毛利家家臣の吉川きっかわ経家つねいえを降伏させた戦いのことだが、兵糧が無くなった城内では草や木を食べて飢えを凌ごうとしたがどうにもならず、まさに地獄絵図といった様子であったらしい。

 俺は引馬城をそうしたいとは思っていない。あと餓死者を出すと、その後引馬城を使うとき色々苦労する可能性がある。この暑さだし餓死者が腐ってしまうと疫病まで発生してしまう。

 そういうわけで兵糧攻めとは別に動くことにした。今回の戦で大将を任されている岡部元信殿に一筆書いておく必要はあるけれど。


「落人、おるか?」

「ここに」

「城内に潜り込めるか?」

「難しくは無いかと思われますが、如何いたしましょうか?」

「城内で連龍に愛想を尽かしている者を探せ。こちらに付けよ」

「殿に仕えさせますか」

「・・・そこはその時考える。裏切る者はあまり信用できないからな」

「かしこまりました」


 落人は姿を消した。

 さて事後報告にはなるが元信殿に文を書いておこう。『突撃する準備を整えられよ』とか書いておけば良いだろうか?まぁどちらにしても先陣を切るのは俺でも元信殿でもなく鵜殿長持殿だ。真っ先に娘の元まで駆けつけるつもりらしい。その条件が元信殿に承諾していただいたことが、こちら側に付くと決断した決め手だったそうだ。

 しかしそれは本心での忠誠であるのだろうか?まぁ誰がどう見てもこの状況、連龍についても勝ち目は無い。本気で娘を助けたいならこちらにつくしかないのだ。松平の援軍も引馬城には来ないからな。


「佐助」

「はっ」

「元康は今後どう動こうとすると思うか」

「殿次第かと思われます。殿が深く元康殿に関わろうとすれば、元康殿は三河を積極的に抑えにかかるでしょうな」

「それは何故だ」

「殿が援助しているように見せるためにございます。事が上手く運べば運ぶほど、今川家中には殿を不審がる者が増えます。大井川港は今川の海上交易の玄関口になっていますからな。一色を蔑ろにすれば今川の財政状況も悪化すると見ているやもしれませぬ」


 やっぱりそうだよな。俺も同意見だ。元康があの港を見逃すわけが無い。

 しかしそうなると、俺はどの程度の距離感で元康と付き合っていくかが重要になってくる。

 あまり疎遠になると、折角元康とリスクを負ってまで結びついた意味が無くなる上に、お久様の立場を悪くしかねない。

 三河を再度今川の支配下にするためには、今の松平の利用価値は他の誰よりも高いのだ。


「殿は元康殿をどうされるおつもりですか」

「いい関係でありたい。出来るならば元康には三河半国で満足して貰いたい。そして織田の同盟者であり、一色の縁者として三河の地で両国の衝突を防いで貰いたい」

「あまりに高い理想ですな」

「わかっている。まず井伊谷が松平に付いたとしても、あの地は未だ孤立している。引馬城が落ちれば尚更だ」

「井伊谷も攻められませぬか?」


 そう、井伊谷城も攻めて改めてこちらの支配下に組み込めればいいんだが、問題は大きく2つある。

 1つは連龍と違って、未だ今川との決別を宣言していないこと。氏真様の登城命令も国境付近で不審な動きがあるため登城することは出来ないと言っている。現に元康や南信濃での武田の動きが活発になっているというから氏真様も強制は出来ない。

 そしてそれを離反だとも言えない。

 2つ目に井伊谷城の立地がある。北側に山があり、高台にある井伊谷城は他方の動きが非常に見やすいという場所に建っている。攻め手に被害が出やすい地形なのだ。まだ確実に離反していない井伊に対して、攻める理由が弱い上に被害が出るのも確実。現状敵で無いのなら攻める必要も無いということだ。


「ないな。少なくとも普通に考えれば今松平に味方する利点が見つからん。やはり連龍が逸ったのだろう。静観している直盛の方がよっぽど利口だ」

「ですな。しかしそうなれば、やはり如何に早くこちらを落とすという話になりますか。栄衆が上手くやってくれればよいのですが」

「そうだな」


 引馬城は今どうなっているのだろうか。俺の目である栄衆の働きに期待するほか無いのがもどかしかった。

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