第7話 元康の思惑と遠江の未来

大井川城 一色政孝


1561年春


「これはなんというか・・・。元康も上手く考えたものだな」


 道房が持ち帰った書状を確認しながら俺はそう思った。

 書状には「一度会いたいというのはこちらも同じ」だと書いてあった。

 そして会談場所は井伊谷城で行いたいと書いてあるのだ。井伊谷城は現状今川からまだ明確に離反したという宣言はしていないものの、今川館に一度も顔を出していない時点でほぼ離反したという立場に立っている。

 であるならば元康が井伊谷城を指定した理由はなんだろうかと考えてみた。


「やはり、より確実に政孝を手にかけようとしているのではないですか?」


 母は書状を読みながら心配そうに言っている。しかし俺はそう思わない。


「昌友」

「なんでございましょうか」

「井伊谷の状況を知っているのは我ら今川と松平のみだと思うか?」

「そうですね・・・。武田家は同盟を結んでいるものの虎視眈々と今川領を狙っているようでございますので、もしかするとそのあたりの情報も得ている可能性はあるかと」

「武田信玄か。信濃の平定には随分と時間をかけたが、今後どこに進むかで我らの動きも制限されることになるな」


 まぁ史実では普通に同盟を切って駿河に攻めてきている。それが今川の大名としての最期、つまりとどめになった。

 まぁ海がないからなぁ。甲斐にも信濃にも。


「此度元康が井伊谷城を指定してきた意味だが俺はこう考えている」


 そう言うと、この場にいる全員が俺に視線を移した。


「井伊谷は現段階で今川の家臣になる。だから元康は敵地で会談したと周辺諸国には伝わるであろう。地理的にも随分と内陸に寄るものの距離で言えば大井川城と岡崎城のほとんど中間になるしな。そうなると元康は胆力のある者だと評価される可能性が非常に高い。元康にはそう思わせたい相手がいるということだろうと予測できるわけだ。井伊はおそらく松平に付いている。実際のところ敵地に乗り込むのは俺だというのに、井伊が公にしていないことを上手く利用している。まことに彼奴はしたたかな男だ」

「では元康がそう思わせたい相手というのは?政孝にはすでに見当付いているということでいいのですか?」

「ついております。おそらく織田のうつけ殿でございましょう。織田は義元公亡き遠江、駿河に興味を持っておりません。仮に織田が松平と同盟を組んだ場合、三河という地で織田の背を守る松平にその統治を任せることとなります。織田よりわずかに助力を得ながら松平は遠江、駿河を奪おうと動く。それが成れば松平が東海の覇者に成り代わる。元康はそれを狙っているのかと」


 母は唸った。まぁこれも史実の知識から推測したものだ。一色という今川の縁者は史実ではいない。だから井伊谷での会談なんてイレギュラーそのものだ。

 すでに歴史が歪んでいるんだから、こういうのを利用して有利に立ち回っていかないと最終的なゴールが同じになれば意味がない。


「元康がそう考えているとして、政孝殿はその通りに動かれるのですか?」

「正綱殿、それはあまりにも愚かなことです。であるならば、それを利用させて頂きましょうか。落人らくど、おるか?」

「ここに」


 突如俺達の目の前に現れた落人に皆が驚く。しかしその存在を知らないのは正綱殿だけだ。


「尾張に入れておる者どもに指示を出せ。至急井伊谷の噂を広げよとな」

「なんと広げましょうか?」

「そうだな・・・。遠江の井伊が松平にしきりに文を送っている。井伊が松平に付けば松平による遠江の攻略も順調に進むだろう。そうなれば織田は背中を気にせず美濃攻略に専念できる。こう流してくれ。しっかりとうつけ殿の耳にも入るようにな」

「かしこまりました」


 そう言うと直後落人の姿は消えていた。本当に見事だと思う。正直初めて見たときは感動したものだ。

 そしてポカーンと口を開けているのは正綱殿だけ。


「政孝殿、今のは・・・」

「正綱殿、これは一色の抱えておる秘密ですのでどうかご内密に」

「・・・わかっております。某が与えられた任は貴殿と松平との関係の監視のみ。それ以外のことを口外するつもりはありません」

「かたじけない」


 いや~正綱殿いいなぁ。俺の家臣に欲しくなる。・・・もちろんそんなことはしない。余計に俺の立場がおかしいものとなりかねない。


「まぁこれで井伊谷での会談は元康の自作自演は無駄に終わる。むしろ俺の評価が上がるといったものだ。俺が大名であればこのまま織田と組んで元康を挟み込むんだがな」

「殿、悪ふざけが過ぎますぞ」

「分かっている、昌友。ほんの冗談だ」

「冗談であれば良いのです」


 まぁ本気で言うのだとしたら身内の前でだけだ。正綱はいい男ではあると思うが、あくまで岡部は今川に尽くす家。

 これを忘れてしまえば、俺も関口親永のような末路を迎えることになるだろう。

 あと今回の会談で一応瀬名様のことも聞いておかないといけない。とは言ってももう戻るとは言わないだろな。父である親永はすでに氏真様の命で死んでいる。

 しかしそうなってくると、どうなのだろうか?瀬名様が今川を恨んでいれば史実のような出来事にはならないのではないだろうか?いや、無理だな。こればっかりは彼女の心情次第だ。俺にそれはわからん。

 ただし母のお気持ちをどうにか穏やかにはしてあげたいと思う。やはり今度の会談でどうにか探りを入れてみようか。


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