第87話


「神永君は私がこんな話しても辛くないの……?」


 ……こんなことを聞くくらいなら、話さなければいいのに。


 自分でも呆れるくらい悪い女だってわかってるつもり。


 好きな人が自分じゃない他の人を想って話すんだよ?立場は全く違うけど私自身が経験したことあるもの。とても苦しくて、耐えられないくらいの胸の痛み。


「辛くないわけない。俺だったら、絶対まやちゃんを選ぶし、まやちゃんを泣かせるようなことしない。まやちゃんに想われるあの人が羨ましくてたまんない。あの人の行動で、いちいち傷つくまやちゃんを見てるのが──何より辛いよ」


 少し怒ったように言う神永君。その嫉妬の心だって何度も経験した。


 いつも嫉妬心丸出しの神永君だけど、きっと今回のものはそれよりももっと黒くてドロドロして……醜いくらいの感情だと思う。


 きっと──私が先生の彼女さんに抱いていたものと同じ。

 


 だけど

「でも、まやちゃんがまた笑ってくれるなら──こんな痛みくらい、なんともない」


 そう思える神永君はいつも馬鹿なくせに、私よりよっぽど凄い人だと思う。



 だんだんと濡れていくシャツは気持ち悪いけど


 雨のにおいは決して好きじゃないけど


「神永君となら……傘なんてなくても、一緒に濡れるのだって楽しそうだね」


 もうすっかりびしょ濡れになってしまった私たち。放り投げた傘を拾って、彼にも傾ける。

 傘の意味なんてもうなくなってしまっているけど傍から見たらさっきの私よりもずっと滑稽だろうけど──。


 私が微笑むと彼も幸せそうに笑うから


「──帰ろう」


 今まで彼に掛けたことがないくらい優しい声で、囁いた。





 先生がいなくたって私は笑えるし、生きていける。


 だけど神永君がいてくれたら


 私は彼のために「笑いたい」って思うし


 彼と一緒に「生きていきたい」って思う。



 私は、「好きになった人」を失ってしまったけど、「愛してくれる人」がいてくれるから。


 私はまた誰かを好きになるのも悪くないかなって思えるんだよ。



「ま、まやちゃんと予期せぬ密着に俺が耐えられるかどうか──」


 帰り道、あまり意味の成さない相合傘で歩く私たち。彼の願望でもあったこのシチュエーションは、神永君への感謝の気持ちも込めて私が提案したもの。


「耐えられないならやめようか?」

 ……何を耐えるのかは聞かないことにしよう。


「嘘です歯食いしばってでも耐えます」


 隣を歩く彼をチラリと盗み見ると、整った横顔。


 傘を持つ手は大きくて、いつも温かい。


 私を励ますかのように途切れない会話はあんまり頭に入ってこないけど、その優しくて低い声に心が震えて触れ合う肩に動揺してしまうのは──。


 彼ではなく──私だった。


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