第70話


「なんで、泣いてるの?」


 ──そうだよ。陸が気付かないわけない。


 泣いた後のドア越しの声でさえ、聞き分けることができるんだから。


 もう辺りは暗くなっているから赤くなった目なんて、ばれないと思っていたのが甘かった。


「……お前か?神永」

 鋭く隣にいた神永君を睨む陸は、私が泣いている理由をきっと勘違いしている。


 神永君は当たり前だけど戸惑っていた。否定しようにも、私が泣いていた理由を問われるのは自然なことだ。そうなれば本当のことを陸に言ってもいいのか分からないんだろう。チラリと私の様子を窺っている。


「違うよ、陸。──『先生』が今日バイト先に来たの」


 誤魔化したって陸には通用しないから、正直に言う。


 それに陸には全て話してあるから手間のかかる説明もいらない。この一言で大まかなことは伝わるから楽だ。


「は……?」

 まるでどん底に落とされたような、絶望的な顔をする陸。


 ……なんであんたがそんな顔すんの?


 そんな疑問が陸に伝わったのか、はっと我に返って

「それで……大丈夫、じゃないよな……」

 と私の顔を覗きこむ。ひどく不安そうだ。


 神永君にも「勘違いしてごめん」と謝って

「マヤをここまで連れてきてくれてありがと、神永」

 なんて保護者みたいなことを言うから


「いや、いいけど……」


 ほら、神永君も不思議そう。


 ──あ。でも今、眉をしかめた。


 その顔は今までも何度か見たことがある、嫉妬の色。


 私と目が合うと、神永君は眉を下げて再び困った顔をする。これはさっきとは違って、悪いことをして怒られたときみたいな、しょんぼりした表情。


 しばらくそんな彼の顔を見つめていると


「──おいで、マヤ」

 何だか痺れを切らしたような、陸の声。


 無意識のうちに足が前に進んで陸に差し伸べられた手を取ると、髪を少し乱暴に撫でられた。


「話、聞く?」

 首を傾げる陸はやっぱり可愛くて、ホッとする。


 確かにさっきまで陸のところへ行って、どこにぶつけたらいいか分からない感情を宥めてもらうつもりだった。


 ──だけど、今回は。


「……ううん、平気」


 神永君がいてくれたから。


 彼の前でたくさん泣いたから。



 不安定だった気持ちも随分と落ち着いていた。

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