Side-A 13ー1

「ただいまー」

「おかえり!」

 サヅキが庭から戻ってきて笑顔になった。丸めたミートボールと残りの肉だねのボウルが調理台に並んでいる。

「すぐできるからちょっと待ってね」と鍋に向かう背中を抱きすくめ、髪の香りを思いきり吸いこむ。ただいま、と首筋につけた唇を動かすとサヅキはくすぐったそうに首をすくめた。唇はそのまま皮膚の下に息づく血管に沿ってゆっくりと這いあがり、柔らかな耳たぶを、そこに小さく光る銀色の針金細工の花のピアスごとくわえる。

「サヅキ、しよう」

 とたんにサヅキが硬直した。

「しようって、な、何を?」

「また。わかってるくせに」首にかかる髪をどけ、なだらかな肩のラインの始まりの部分に唇をつける。

「したい。しよ」

「え、い、今?」

「今。だめ?」

「でも、ほら、今ミートボール揚げはじめちゃったし」

「火とめておけばいいじゃん」

 服の中にすべりこませた手が温かい脇腹をすべる。耳もとで小さな吐息が揺れた。

「ドノヴァン、おなかすいてないの……?」

「すいてるよ。もうぺこぺこ。だからミートボールより大好きなものを今すぐ食べたい。だめ?」

 サヅキが火をとめた。

 小さな頭をかかえるようにして上を向かせ、唇を重ねる。背中と膝の後ろに手を入れて軽い体を抱きあげ、ドノヴァンは寝室に向かった。


 まどろみから目覚めるとすぐ横にサヅキの寝顔があった。

 部屋には星明かりが差し込んでいる。まぶたにキスすると睫毛が震え、その奥の瞳がゆっくりとドノヴァンをとらえた。

「おはよ。夜だけど」

「ん……あ、ミートボール」

「いいよ、俺がやるから。サヅキは休んでて」

「――やだ、一緒にいて」

 手探りで服を着て寝室を出ようとしたとき、小さなつぶやきがぽとりと背中に落ちた。

「え?」

「ひとりにしないで」

「……でも、同じ家の中にいるよ。キッチンに行くだけだよ」

 サヅキは無言で服を着ている。

「しょうがないなあ」

 ベッドに戻って抱きあげる。「淋しがり」と額にキスすると、肩にのせられた頭から「甘えん坊」とすねたような声が返ってきた。

「はは、ばれたか」

 サヅキの指が鎖骨をなでる。

「サヅキ、俺の鎖骨好き?」

「うん。好き」

「俺はサヅキの全部が好きだよ」

「あ、なにそれ。ずるい」とサヅキはふくれっ面をし、おかしそうに肩をすくめた。

「愛してるよ、サヅキ。宇宙で一番」

「私も愛してる、ドノヴァン。宇宙で一ば……ん」

 黒い瞳が一瞬ゆらいだ。

「サヅキ、俺に会いにきてくれてありがとう」

 床に下ろして強く抱きしめるとサヅキは不思議そうな顔になった。

「会いにきたって、どこから?」

「なんでもない。よし、ミートボールやっちゃおう。サヅキも腹へったよね」とドノヴァンはサヅキの頭をくしゃっとなでた。



 土曜日の午後、町の喫茶店の窓際の席にはすでに見なれた横顔があった。目の前のカップに向かって何やら嬉しそうに笑いをもらしている。

「なに、思い出し笑い?」

「あ、ドニー」

 トモイが人懐っこい笑みを浮かべる。「あらドニー! いらっしゃい。このあいだはありがとね、助かったわ」と注文を取りにきたウェイトレスの手が肩にふれた。

「いえいえ。また何かあったらいつでも呼んで」

「それがね」

 昨日また別のがとまっちゃったの、また見にきてくれない、と彼女はちっとも困っていなさそうな様子で言った。

「ドニーの店のお客さん? 相変わらずモテてるなあ」

 待ってるわね、と指先をひらひら振って立ち去る彼女の後ろ姿を眺め、トモイがひやかすような目でこちらを見たが、ドノヴァンは肩をすくめた。ドノヴァンからしてみればこんなのは流れていく風景の一部にすぎない。

「サヅキは平気なの?」

「まだちょっと気にするときもあるかな、でも相手が女性にかぎったことじゃないよ。今日も一緒に来たがったんだけど、今日は男だけだって言ったらすねちゃってさ」

「あれ」

「俺がどれだけサヅキを愛してるか毎晩証明してあげてるのになあ……昨日もさ」

 脳裏によみがえりかけた甘い回想はすぐに「ごっほん」という大きな咳払いにかき消された。

「あ、失礼」

「うん、それ以上は勘弁して。じゃないと僕、次にサヅキに会ったとき顔見られないから」

「はは。でもトモイだってさっき思い出し笑いしてただろ。かわいい奥さんのこと考えてたんじゃないの?」

 とたんにトモイの口もとがでれっとゆるんだ。「おなかの中にいるときから外の音って聞こえてるんだって。僕のこと様付けで呼んでたらお手伝いさんだって勘違いされちゃうかもしれないだろ」ということでおたがい呼び方を変えることにしたが、デイはまだ慣れておらず、呼びまちがえてはあわてて言い直すのがかわいくてたまらないらしい。

「ふーん。でもトモイ、おまえ、サヅキのおかえりスマイルの威力を知らないだろ」

「ドニーこそ、デイさんにおかえりなさいませなんて言われたことないだろ。それに残念、僕は前に一度サヅキとひとつ屋根の下で暮らしてたんだよ」

「それは宿泊所でだろ。俺なんか毎晩一緒に」

「おまえら、なにでかい声で嫁自慢大会してんだよ。俺の前でいい度胸だな」

 ドネルがトモイの隣にどすんと腰をおろした。やあ、とトモイが再び笑顔になる。いい度胸だなんて威勢のいいことを言うわりに七歳も年下の恋人に頭が上がらないのはどこの誰だろうな(と言うと本人はむきになって否定するのだが、ここ数年で段違いに上がった彼の服装のセンスひとつとってもそれは明らかである。今日だってシンプルなTシャツに麻のジャケットで、横縞のTシャツに縦縞のズボンを合わせていた当時からは想像もつかない小洒落こじゃれっぷりだ)、とドノヴァンが笑いをかみ殺していると、「あ、そうだ、忘れる前に。これハヤナキ地方のおみやげ」とトモイが人差し指ほどの長さの木彫りの笛のようなものを取りだした。「いつもありがとな。母さんがデイが身軽なうちにまた飯食いにこいってさ」と受けとり、ドネルがウェイトレスに片手を上げる。彼女はドネルの肩にはふれずに厨房に戻っていった。

「しかし、まさかトモイに先越されるとは思わなかったよな。絶対おまえとサヅキが先だと思ってた。どうせおまえら毎晩いちゃいちゃしてんだろ」



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