6-9

 翌日、部屋で洗濯物を干していると、デイが玄関の前に立っているのが見えた。洗濯かごを入浴室に戻し、紗月も外に出た。

「デイ、何してるの?」

 デイは振り返り、いえ、と手に持っていた眼鏡をかけながらもう一度空を見上げた。

「少し空気の匂いが変わったような気がしまして。でも、気のせいだったかもしれません」


 昼すぎに智偉が食料品店から戻ると、紗月とデイが出かける準備をしていた。キトリの家に遺品の片づけに行くという。午前のうちに一人で行こうとしたデイを紗月が引きとめ、智偉が戻るまで待ってほしいと頼んでくれたらしかった。

 キトリの家はとても広く見えた。

 彼女自身の服は数枚で、台所道具や食器類も最低限の数しかない。ムールトリークの服やおもちゃは少し多めにあったが、それでも三人で手分けすると作業はあっというまだった。シーツも掛け布団もすべて取られ、マットレスと木の枠だけの姿になったキトリのベッドは、同じく木の枠だけのベビーベッドと並ぶと不思議な親子のようだった。

 椅子の上で背伸びをして棚の中を見渡し、あ、とデイが奥に手を伸ばす。出てきたランプが握りつぶされようとしている自分の心臓のように見え、智偉は目をそらした。自分がもっと早く返しにくればよかったのだろうか。そうすれば何か手を打てたのか――でもまた誰かと鉢合わせすることになったかもしれない。そうだ、ほかにもここに来ていた人間はいたのだし、自分じゃなくても誰かが――

「智偉様、申し訳ございませんでした」

 顔を上げるとデイがランプを胸に抱えたまま深く頭をさげていた。

「え、申し訳ございませんって……何が?」

「二人が死んだのは私のせいです」

 しずくがぽたぽたっと床に落ちた。

 あの日キトリと話したあとデイは王宮に行き、昼前に宿泊所に戻った。その足でここに戻ってきたが、ノックをしても呼びかけても反応がない。裏口が開いていたので中に入ると、キトリはベッドでムールトリークを抱き、すでに息を引きとっていた。

「お察しかと思いますが、自殺です。ムールトリークを殺して、そのあと自分も……私があのときここを離れなければこんなことにはならなかったはずです。本当に申し訳ございませ――」

「違う」

 その声は自分でも驚くほど大きく響いた。デイの肩がびくりと震えた。

「デイのせいじゃない、絶対違う。誰かのせいだって言うなら僕だって」

『死んだら地球に行けないかしら』――

「――あのとき、様子がおかしいと思ったときに、僕が助けなきゃいけなかったんだ」

 デイがはじかれたように顔を上げた。

「智偉様、それは違います。智偉様は私に話してくださいましたし、智偉様のせいでは」

「ならデイのせいでもない。そんなふうに考えちゃだめだよ」

 デイの表情がゆがんだ。大粒の涙が頬をすべり、ランプを抱えた手の甲に落ちる。ほとんど何も考えず足を踏みだし、智偉は間に人一人ぶんほどの空間をあけたままデイの背中に手のひらをあてた。小刻みに震えていた背中にびくっと緊張が走った気がしたが、智偉が動かずにいると、それは徐々にカップから立ちのぼる湯気のように消えていった。

 あらゆる音が息をひそめているような時間が流れ、やがてその静寂のカーテンを開くようにデイがゆっくりと深呼吸をした。腕を開くとデイは一歩後ろに下がってから顔を上げ、抱えていたランプを両手で差しだした。

「智偉様、よろしければこれは智偉様がお持ちください」

「え、でも、いいのかな」

「はい。智偉様がお買いになったものですし、そのほうがきっと……キトリも」

 眼鏡の奥に涙を残したままデイが微笑んだ。何日かぶりに見る笑顔だった。

 まとめた段ボール箱を家具と一緒に家の裏に置く。キトリにもムールトリークにも身寄りがないため、これらはすべて王宮に運んだのち処分するとのことだった。

 ポーチの階段を下りて振り返るとデイは家を見上げていた。さよなら、キトリ、どうか元気で――そんなつぶやきが聞こえた気がした。

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