6-2
ドネルの家の食料品店は土曜の午後と日曜が休みのため、土曜の午前は忙しい。加えてここ数日ルウマは奥の台所で作業をしている時間が長く、今日も例外ではなかったため、ほぼ店をまかされた形になった智偉とドネルは話をする暇もなく立ち働き、昼すぎにシャッターを閉めて台所の椅子に腰をおろしたときにはへとへとになっていた。
アトラス祭というお祭りが近々あるらしい。年に一度アトラス全土で同時に行われる大きなお祭りで、智偉が読んだ本には神事や儀式の色合いが強く書かれていたが(なんで俺より詳しいんだよ、とドネルはなかばあきれたように笑った)今はそこまで厳粛ではない部分もあるらしく、一般のアトラス人にとっては「アトラス様に感謝し、食べて飲んで楽しむお祭り」という位置づけになっているという。毎年王宮の中庭やそのまわりにかなりの数の屋台が出ることになっており、ルウマが台所にこもっているのは夫が亡くなって以来三年ぶりに出すことになった屋台の準備に追われてのことらしかった。
ドネルと話す時間を増やしたいという理由で始めた手伝いだったが、慣れてきたことで仕事自体が楽しくなっていた。ルウマも「智偉くんがいてくれて助かる」と毎日言っているらしい。直接的なその言葉もさることながら、それを教えてくれたドネルのいかにも当然という真顔が智偉はとても嬉しかった。地球に帰ったら部活の合間にアルバイトをしてみるのもいいかもしれない。
サヤルルカ地方では夜にあがる大きな花火が名物らしい。「一緒に見ると一生一緒にいられるとかいう言い伝えがあるらしいぜ」とドネルは挽き肉のパイをほおばりながらそっけなくつけくわえた。
「ほんと女ってそういうの好きだよな。ま、俺には関係ねえけど」
「そんなの見なくても君にはルンゲがいるもんな」
「そういう意味じゃねえよ」
パイは昼食にとルウマが出してくれたもので、屋台の商品の試作だということだった。トマト風味の挽き肉もさくさくとしたパイ生地もおいしい。かなり大きかったが、おなかがすいていたこともあって二人ともぺろりとたいらげた。
「あのさ、まだ探してんのか? その……記憶をなくさない方法」
「うん、今日もこれから図書館に行こうと思って。じゃ、お疲れさま。また学校で」
「なあ、智偉」
勝手口を出たところで呼びとめられ、振り向くとドネルは怒ったような顔をしていた。
「智偉が忘れても、俺は忘れねえからな」
瞳に宿る強い決意をそのまま言葉にした、断固たる口調だった。智偉が返事ができないでいると、ふいにその目から力がぬけ、かわりに茶化すような色が浮かんだ。
「なんつって、俺も忘れちゃうかもしれないけどな。年とってじいさんになったらさ」
「……君は本当にいい男だな、ドネル」
「は? なんだそれ」とドネルは訝しげな表情になった。
「いや、なんでもない。僕も頑張るよ」
「……おう、頑張れよ。よくわかんねえけど」
図書館で地球関連の本を何冊か流し読みしてみたが、記憶をなくすことに関して詳しく書かれているものは見当たらなかった。腕組みをして宙を見つめ、これまで見たものや聞いたことを記憶のあちこちからひっぱりだし――目の前の本の山と書棚に、ふと流れていた思考がとまった。地球人は地球に帰るとアトラスの記憶を失う、そもそもなぜアトラス人がそれを知っているのだろう。
『私にとって必要なことはすべて王宮で学べますから』
ただそう教えられただけならそれが真実とはかぎらない。帰ったあとどうなるかが本当にわかるのは帰った本人だけのはずだ。
(……いや、違う)
デイではない。初めに教えてくれたのはキトリ、地球人を父親に持つ彼女だ。
それに何より――灰色の瞳が頭をよぎり、智偉は一瞬体の中心が冷えたのを感じて強く頭を振った。ギルリッソ、たとえ根拠がなくても彼がそう言うなら真実なのだろうと思わせる力があの瞳にはある。それに地球でアトラスのことが知られていないというのはほぼまちがいない、でなければ自分がこんなロマンチックな惑星の存在を知らずにこの年まで生きてきたはずがない。アトラス様はなぜこんなことをするのだろう。アトラスのことを知られたくないなら、地球のことなど放っておけばよいのに。
――お二人はもともとお知り合いではなかったということですから、アトラスの記憶の一部として、おそらくそうなるかと。
ふとデイの声がよみがえった。自分と智偉はお互いのことも忘れてしまうのだろうか、震え声で紗月がそう尋ねたあとのことだ。
――ただ、いろいろ文献を調べてみたのですが、たとえばアンドリュー様とお二人のようにアトラスで地球の方同士が出会われるということは過去にもありましたが、今回のようにお二人同時にいらっしゃるというのは極めてまれなことのようなんです。私も何度か地球の方をお迎えしましたが、お二人同時にいらしたのは智偉様と紗月様が初めてです。ですから……お二人には、もしかすると通常とは異なることが起こるかもしれません。
それはつまり地球に帰っても記憶を失わないかもしれないということか、と智偉は身を乗りだしたが、デイは首を振った。
――いいえ、それはありえません。……申し訳ございません、今の話はお忘れください。
じゃあ通常とは異なることって、という智偉の追撃を避けるようにデイは立ちあがり、お茶をいれ直してまいります、と調理場に去ったのだった。
(今までここに来た地球人はみんな一人だった。でも僕と紗月は二人で来た……通常とは異なることってなんだ?)
(……もしかして)
ある考えがぽつりと浮かび、徐々に形をつくっていく。考えれば考えるほどそれが一縷の望みであるように思えてきた。腕組みをした右手が左肘にふれ、智偉は強く目をとじた。
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