第28話 米の記憶

 しばらく考えていると、理由にひとつ思い当たる。俺は生の米の情報は記憶したけど、炊けた米の情報は記憶していないのではないか。

 惣菜コーナーには弁当とかおにぎりとか冷凍食品の米とか、正確にはもう食べられなくなったそれらの残り物はあったはず。でも情報としては弱い。炊きたての米とは違うからな。


 完成品の情報は完成品からしか得られないのだろうか。それはそう……いや、なんかあったような気がする。なんだっけ……。


 そうそう、モニクは俺がビール好きだということを知っていた。アパートの記憶を読んだとか言ってたな。『場所』にもそこで起きたことの記憶が残るのだろうか。

 地縛霊みてーだな。幽霊とかはいません。


 実際いないのかもな。地縛霊の正体が場所に残った記憶とかだったら、それは死者の魂そのものではない。俺には関係ねー話だけど。

 ……そうかな? そうでもないかも。


 調理場から食堂を見渡す。

 全体の情報を過去に遡って読むことをイメージする。


 最初に飛び込んできたのは、モニクと食べた朝食のイメージだ。屋上で食べたメニューの情報が流れ込んでくる。もしかしたらこの記憶を使えば……。だが、それでは終わらなかった。

 その前に食べたメニュー、またその前と、ここ数日間で食べたものの情報が、新しい方から順に次々送り込まれてくる。魔力がずるずると吸われるように消耗していった。

 記憶は更に遡った。大災害よりも前、従業員食堂が営業していた頃。一日何十食、あるいは百にも達しようかという食事の情報……過去に遡っても同じメニューが重複して繰り返され――


 俺は魔法の発動を止めた。


 情報量が多すぎて魔力が尽きるところだった。いや実際には、食品売り場の在庫で賄った俺の魔力量はそう簡単には尽きない。が、ちょっとシャレにならない割合を持っていかれるところだった。

 この魔力は食料再生産に使うべきもの。情報で枯渇させるのは手段と目的を履き違えていることになってしまう。


 分かったことはいくつか。まず情報や記憶を読むのに、魔力化とか異空間への出し入れとか必要なかった。あれはついでに行われているだけだった。

 それから情報を読むのに必要な魔力はさほどでもないが、場所の記憶を読もうとすると膨大な魔力が必要になる。塵も積もればというやつだな。


 あと、食品の記憶しか読めなかった……。なんかこう、その場に居た人々の記憶とか、もっとこうなんかないの?

 理由は多分、元々食品の記憶を見たくてやったことだから。あと食品以外の情報も読もうとすると多分魔力が枯渇する。自動的にストッパーがかかったのかもしれない。


 望むことしか出来ない。スペックの及ばないことは不可能。魔法の原則通りだな。

 だが、これで材料は揃った。




 数分後、俺の目の前では茶碗に盛られた炊きたての白米が湯気を立てていた。

 箸でひと口食べる。

 大型の業務用炊飯器で炊いた米って美味いんだな。外食で食べる米は、実際は炊いてからそれなりに時間が経っている。だからだろうか。食堂の記憶から再現されたこの米は、普段外で食べるそれよりも美味に思えた。

 単にここに辿り着くまで散々苦労したせいかもしれんが。


 次にたまごを召喚する。召喚されたたまごの情報を読み取ると、出荷直後の新鮮な状態であることが分かる。震える手で器にそれを割り入れると、軽くかき混ぜて醤油を垂らす。

 更にそれを米にかけ、また少しかき混ぜてからひと口食べる。もう食べられないと思っていた生卵の旨みだ。醤油の塩辛さとご飯の甘みに最高に合う。そのままがつがつとかっ込んだ。


 次に食堂のメニューをひと通り召喚して再現した。

 味見と魔力化を繰り返し、全てのメニューをマスターしたことを確認する。

 俺は深い達成感に包まれた。


 本来の目的を忘れているような気がしないでもないが。




「その結果生み出されたのが、この料理というわけか」


 夜。帰ってきたモニクに食堂のメニューを渡して食べてみたいものを聞いたところ、生姜焼き定食を指差したので召喚してお出しした。


 あのモニクが唖然とした顔でそれを見つめている。


 ヤバい。これは呆れられているのかもしれん。ヒュドラ生物と戦うために魔法のトレーニングをしていたのではなかったのか。自分を問い詰めたい。


 だがモニクは普通にそれを食べ始めた。

 黙々と食べている。

 食べ終わるまで、場を沈黙が支配する。


「ごちそうさま。とても美味だった。どうやらこれは、この食堂で日常的に作られていたメニューをほぼ完全再現したものであるようだ」


 俺は黙って頷く。


「なるほど。生物創造とその発生規模には及ばないものの、確かにこれはヒュドラ魔法の延長線上にある発想だ。ボクは古今、これほどまでに馬鹿げた――いや失礼、一方向に尖った魔法にはお目にかかったことがない」


 褒められてる……のかな?


「料理魔法というものが何故発展しなかったのかといえば、作ったほうが早いからだな。魔法で再現するほうが難しい。だがそれは戦いにおいても同じ。魔法で敵を倒そうとすれば、普通に戦う以上の労力がかかる」


 それはなんとなく想像が付いた。俺も大災害前の普通の世界だったら、魔法をこんなことに使おうとは考えなかっただろう。また戦闘に関しても、バールや手斧を魔力で操るくらいなら普通に振り回したほうが早いと思う。


「それでも無意味ということはない。この料理を魔法なしで、今この街で作るのは不可能だろう。戦いに於いても、魔法でなければ難しいことはある」


「水とか?」


「水か。水はヒュドラ生物の直接の弱点というわけではないから、運用は少し難しいだろうな。ボクの場合は斬ったほうが早い、ということになって上手く助言できない。ヒュドラとボク以外に、人間の指南役もいればよかったのだが」


 一流の選手と一流のコーチは違うっていうしな。

 モニクほどの強者だと、そりゃ凡人の指導は難しいか。

 戦い方を聞いても、あのクソ重そうな大剣を片手で軽々と振り回すところから始まりそうだ。

 全く参考にならない……。


 いや、モニクは悪くない。これだけの恩を受けて、これ以上何を求めるのか。

 これは俺が自分で解決しなければならない。




 モニクに挨拶をして別れ、部屋に戻って布団に寝転ぶ。

 明日以降の訓練方法について考えを巡らせる。


 大剣か……。

 あれくらい重そうな武器でも、一回攻撃するだけなら俺にも使えないことはない。

 予め戦場に配置してあったらどうだろうか?

 武器ってのは、敵に奪われて使われる危険性も心配しなくてはならないものだ。

 だが少なくともアオダイショウにはその心配は不要だろう。


 人間の手本といっても、人間の魔法使いを見たことがないからな。

 でも少しだけ話には聞いた。気になったこともあったはずだ。

 ヒュドラの能力を《眷属召喚》と呼んだのは人間の異能持ちだという話。

 名前。現象に名前を付けることで対象を理解すること。

 不可思議なものも恐ろしいものも、名付けて理解することで近しいものになる。


 なら、俺も自分の能力にもっと名前を付けるべきか?


 奪った命を自分の力にする《継承》。

 食べ物を魔力に変換する《魔力化》。

 食べ物を再生産する召喚……これはちょっと保留で。

 異空間にものを出し入れする力。これは《収納》だな。

 記憶と情報を読み取る力。《鑑定》。


 名前を付けると、よりスムーズに力を行使できそうな気がする。

 さて、召喚はどうするか……。


 生物を創造するヒュドラが《眷属召喚》なら、俺も具体名を付けるべきか。《食料召喚》? でも俺は多分、大量の食料を同時召喚できない。業務用炊飯器ですら無理だったのだ。

 あと再現できるメニューも自分に馴染みのあるものじゃないと無理な気がする。具体的には高級な料理とかは無理そう。貧乏舌だしな。食堂のメニューはセーフだった。


 んー。《低価格帯食料召喚》。言ってて悲しくなる。

 他に言い方……インスタント……ジャンクフード……これかな?

 よし、《ジャンクフード召喚》と名付けよう。アホっぽいけど技名を叫んだりするわけでなし。他の人にはバレない。俺が認識しやすい名前ということが大事だ。


 ジャンクフード召喚。うん、なんか無限の可能性を感じる。




 翌朝起きると、モニクが食堂でちょこんと座って待っていた。

 メニューに書かれているトーストとオムレツ、サラダのセットを所望された。

 ……気に入って頂けたようでなにより。

 一緒に朝食を食べると、それぞれの用事のためにそこで別れた。


 俺の考えた課題のひとつは水を召喚する魔法についてだ。

 戦闘に用いるなら、完璧にコントロールしなければならない。


 三階に降りると、歩きながら少量の水を召喚しようと……ん? 召喚?

 召喚ってことはこれも《ジャンクフード召喚》に含まれるのか?

 そう考えた途端にイメージがずれて魔法の発動が止まる。


 アホな名前を付けた弊害が早速発生した!

 名付けて形を定めるということは、扱いやすい、身近になるといったプラスの効果だけではない。

 名付けることで超越者の恐ろしさを緩和するという行為。これは相手にとってはマイナスの効果だ。つまり名付けるというのは『呪い』でもあるわけだな。


 俺は名付けることによって、自分で自分の能力の幅を狭めてしまったのだ。

 無限の可能性とか言ってた昨日の俺を引っぱたきたい。

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