第10話 偶然/ウェスターマーク効果/まんざらでもない?

 学校が終わり家に帰ると、日向はまだ帰宅していないようだった。

 玄関には、一足の靴も見当たらない。


「もしかして、夕食の買い出しに行ってるのかな」


 そういえば、これから日向が料理当番になるなら、月乃の夕食はどうしよう。まさか、月乃のご飯まで日向に作ってもらうわけにもいかないし。

 そんなことを考えながら、鞄と学生服をソファの上に投げる。学校が終わったばかりで軽く汗を流したかった。何気なく風呂場の扉を開けて――


 ふわり、と良い匂いが鼻をくすぐった。


 まさに今、浴室から出たばかりの日向が、そこにいた。


「「……………………」」


 お互い、呼吸すら忘れていたと思う。


 どうして日向がいるのか、なんて疑問は一瞬で消えた。一糸纏わぬ日向の姿が目に焼き付いて、思考も心も奪われていた。


 しっとりと水に濡れた髪に、柔らかそうな白い肌。特に、俺は無意識に日向のたわわな胸に目が引き寄せられて、不意に蘇るのはいつの日か槍原が口にした言葉。


 ――おまけに胸まで大きいって完璧過ぎますって。あれ多分Eはありますよ?


 ああ、そっか。Eカップってこれくらいの大きさなんだ――そう漠然と思うのと、俺たちが我に返ったのは、ほぼ同時だった。


「ふぁ……っ!」

「わっ――わわっ! ごめん!」


 弾かれたように更衣室を出て、扉を背にその場にへたりこんだ。

 わずか数秒くらいの出来事だったはずなのに、心臓は止まってしまいそうなくらい、ばくばくと鳴っている。呼吸は荒くなって、一向に収まる気配はない。


 最も恐れていた事態が起きてしまった。


 姉弟である以上、プライベートな時間に干渉してしまうのは仕方ない。けれど、それでも異性として失礼のないように、細心の注意は払うつもりだったのに。


「……え、えっと。悠人君?」


 背後の扉が開き、俺は土下座をせんばかりの勢いで頭を下げた。


「ほんっとにごめん! まだ日向が帰って来てないって思い込んじゃって……! なんて謝ればいいか分からないけど、ごめんなさい」

「う、ううん、全然いいよ? 悠人君、私の靴がなかったから勘違いしちゃったんだよね。こっちこそごめんね、お母さんと暮らしてる時は靴を仕舞うのが習慣だったから。だから、悠人君は悪くないよ?」


 日向の気遣いが申し訳なくて感謝を口にしようとした、その時。ふと、気づいた。


 どうしてか日向は、にへー、と頬を緩めた顔をしていた。


 こう言ったらなんだけど、まるでこの状況を楽しんでるような表情。

 どうやら、日向もたった今自分がだらしない顔をしていたことに気づいたらしい。


「あっ――そ、そういうことだから! 悠人君が気にする必要なんてないからね?」


 そこで、日向はばたんと扉を閉めた。


 やっぱり駄目だな。俺はどうしても、日向のことを異性として見てしまう。

 現に、こうして今も胸の動悸が治まらないのは……俺が見てしまった裸が「姉」ではなくて「初恋の少女」だから、だと思うから。

 きっと、俺はまだまだ日向を家族として見れていないんだろうな。


 一般的に弟が姉のことを異性として意識しないのは、小さな頃から一緒にいるからだ。実際、幼少期から同じ環境で育った相手には異性としての意識が薄くなる、って心理現象もあった気がする。名前は忘れたけど。

 つまり、家族になるうえで重要なのは今まで一緒にいた時間であり。

 それでいうと、俺と日向は家族としての積み重ねが全くない。


(まあ、ほんの数日前まで同級生同士だったから仕方ないんだけどさ……)


 どよーん、としたその時、部屋のチャイムが鳴った。

 無理やり気分を切り替えて、玄関で覗き穴を見る。

 そこにいたのは、月乃だった。

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