第7話 聖堂②

 もうあらゆる手をつくしたカイルはファーレンシアとともに壁際かべぎわに腰をおろし、ぼんやりと聖堂内を見ていた。

 少女はずっとカイルの手を握り、カイルはなぜだか心が安らいだ。

 いつもより戦場の死者と、聖堂の重傷者が少ないことをぽつりぽつりとファーレンシアは告げた。


 誰かが歌を口ずさみ始めた。不思議な調べだった。

 今は闇の中だが、夜明けに向かって歩き出す。光と平安と加護を願う……そんな歌詞だった。少しずつ唱和の声が増え、無伴奏むばんそう単旋律モノフォニーが聖堂に響いた。

 美しいがどこか物悲しい。だが死に行く者を見送るには相応ふさわしいようにカイルに思えた。




 不意に建物が揺れたような感覚がした。




「地震?」

「いいえ」


 ファーレンシアには感じられなかったらしい。確かに誰も騒がない。

 はっとして、カイルは立ち上がった。

 もしかして望んだ物が届いたのだろうか?


 その時聖堂の扉が開いた。

 異国の銀の長い髪をした若い女性が立っていた。若いはずなのにその青い瞳だけは年齢を超えた知性に満ちている。

 カイルが望んだ、しかしいるはずのない人物だった。


「……シルビア」

「……カイル殿と同じ精霊の御使みつかいか」


 セオディアの誰何すいかの声に、言語が通じる不可解な状況を知りシルビアはかすかに眉をひそめたが、そのまま中に入ってきた。


「そうとっていただいても結構です」


 シルビアは大股に歩き、カイルの元にくると、治療チップが入ったケースを彼の手に握らせた。


「まずは自分のチップの補充を。それから重傷者に治療チップを与えて容態をもたせてください。数は十分用意しました。再生治療の方は必ず毛布に隠して使ってください。手足が再生されるのはグロいですから」

 小声で指示を与える。

「話はあとでゆっくりしましょう。今は治療が優先です」

「……どうやって?」

「着地のための確定座標さえ確保すれば、移動装置ポータルの裏技で跳躍ちょうやくできるのですよ」


 彼女はあたりをゆっくりと見回し高らかに宣言した。


「あとは私が治療します」






「カイル様」

「ファーレンシア、シルビアの通訳を頼める?」

「はい」


 少女はすぐにシルビアを重体者の元に案内した。

 カイルは手渡された治療チップを握りしめて、助言通り自分の体内チップを補充した。代謝機能の高負荷は消え、楽になり、意識がはっきりとした。

 カイルは、すぐに治療を再開した。

 同調能力を最大限に駆使し、重症の度合いを正確に判断して治療順序を決め、再び重傷者に十分な数のナノチップを与えていった。与えられた者は、容態がみるみるうちに安定していった。

 それから手足が欠損したものを一箇所に集めてもらい、一時的に彼らの意識を奪った。


「見られたくないのだな?」


 そばにきたセオディアはささやくように尋ねた。

 カイルが頷くと、彼はその横に膝をついて毛布をおさえた。


「では、私が人避ひとよけになろう」


 領主とカイルの治療の邪魔は、誰もしなかった。

 セオディアが毛布を軽くもちあげ、カイルはその下で再生チップをほどこす。

 確かに手足の再生はシルビアの忠告の通りにグロかったが、セオディアは平然としていた。戦場で慣れているのかもしれない。はがねの精神の持ち主だ。

 シルビアはカイルが手を出せなかった肋骨が肺に刺さったり、内臓を傷つけている重体者を医療キットで処置していった。たまに開腹をし、短時間で手術をすませていく。

 ファーレンシアはシルビアの指示を受けながら彼女の助手として動いていた。


 誰もが治療の成果を疑わなかった。

 治療が終わった者は用意された部屋にうつされていく。

 聖堂で治療を受けるものは一人、また一人と減っていった。


 

 ああ、夜が明ける――。



 最後の一人の処置が終わるまで、誰も聖堂を去ろうとしなかった。

 意識を失った若い兵士の腹部の深い傷から折れた矢尻やじりを取り出し、消毒しながら、傷口を縫合ほうごうする。


「終了です」

 縫合ほうごうが終わり糸を切る小刀こがたなの音に皆が息を飲む。シルビアが最後の指示をだす。

「暖かい部屋で四週間ほど安静に」


 大歓声が聖堂にこだました。

 喜びで泣き出すものもいた。手をあわせて祈るものもいる。

 皆が二人を取り囲む。その興奮ぶりにシルビアはややひき気味だった。口々に「メレ・アイフェス」と叫ぶ。意味はわからない。

 カイルは特にもみくちゃにされた。

 ファーレンシアが涙ぐみ微笑んでいた。


「初めてなのです。誰もここから死出しでの旅立ちをしなかったことが」

「奇跡だ」


セオディアも頷く。


「感謝する。あなた方は間違いなくエトゥールの救い手だ」


 セオディアは跪くひざまずと最大の功労者であるシルビアに最大級の敬意を示した。

 それから彼女の手をとり扉の外までエスコートする。

 そこにちょうど朝日が差し込み、若き領主と奇跡の救い手を祝福しているかのようだった。





 シルビアは移動装置ポータルを使って直接降りてきたという。


「仮説ですが」とシルビアは言った。

「あの未知なる破壊力は、機械に反応はするが、生命体には干渉できないのでは、と思ったのですよ」

「なぜ?」

「貴方がステーションから強制転移させられたからです。全てを拒絶するなら貴方は地上に着く前に死んでいると思います。ディムと賭をしましたが、私が勝ちました」

「賭の褒賞は?」

「秘密です」

「……無茶をさせてごめん」

「一番謝るのはディムに。次はイーレです。イーレが中央を脅し――あ、いえ、説得したので移動装置ポータルが使用できました」


 ふっとシルビアは笑った。珍しい。


「迷子になった馬鹿なカイルは、うえが責任もって迎えにこなければいけませんからね」

「馬鹿な子⁈」

「貴方のことですよ」


 シルビアはとどめを刺した。

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