第117話あんた、なんで私よりもどうでもいいこと考えてるんだ(少なくともあなたよりは大事なことです)

「はい、初めまして。こちらこそよろし……」

巫山戯ふざけるなよ、貴様」

 挨拶には挨拶を。

 ひとに挨拶をされたからには自分も挨拶をしなければならない。

 それはちゃんとしたひとなら当たり前にできることだからと、くちを酸っぱくして教わってきた。

 それがひととして当たり前のことなんだと、深く根深く刷りこまれてきた。

 だから、こんなの簡単なことだった。

 やるだけでいいなら、いくらでもできる。

 そこに疑問も疑念もなにもなく、ただの反射で言葉を返すだけ。

 そこにはなんの気持ちも想いもこもっていない、カラッポの挨拶が響くだけ。

 それだけで、この場はなにごともなく済むはずだった。

 わたしの思惑とは関係なく、なにごともなくここからさきへ進むはずだった。

 少なくともそれだけできれば、この場だけでも丸く収まるはずだった。

 そう思っていたわたしの思わぬところから、鋭くささくれだった声が突き刺さる。

 まるで内側から風船を割るように、その声はこの場の空気を破裂させた。

 それはもう、木っ端みじんのバラバラに。

「なにがシュトゥンプフ シェーレ切ることのできない鋏パートナー相棒だ。どこがこののブレーキ役だ。他にもグダグダとどうでもいい肩書きばかりを散々列挙していたようだが、本当に愚にもつかないものばかりだ。何故なら貴様が自らを定義したその意味の全てが、。貴様の怠惰と怠慢と能力不足がこの状況を招いていることを、最低限でも理解してから最大限に自覚して発言しろ。そのための情報は今すぐに訂し、認識を即座に改めろ。そして使。この処分され損なった不良品が」

 そこにはまた、わたしの知らないミドリがいた。

 こんな声を、わたしは聞いたことがない。

 わたしが知っているミドリの声は、いつも落ち着いていて揺るぎない、わたしを安心させてくれる音。

 決してこんな、トゲにまみれたイバラのみたいに

 こんな目を、わたしはみたこがない。

 わたしが知っているミドリの目は、嫌味っぽくて皮肉げだけど憎めない、わたしに安全をくれる色。

 断じてこんな、滴る毒が煮えたぎるような、

 こんなミドリの姿を、

 わたしの知ってるミドリの姿は、ひとのためならどこまでも優しくなれる、わたしを受けいれていくれたひと。

 間違ってもこんなふうな、怒りの感情が陽炎みたいに揺らめくように、わたしに恐怖を感じさせたりするひとじゃない。

 ミドリはお違いのことを知ることは、だと言っていた。

 お違いを理解しあうのは、大切なことだからと。

 わたしもそうだと思ってた。

 だけど知ってしまったら、わかってしまうことがある。

 ひとは相手によって

 もともとはひとつしかない自分でも、みる角度やみせる場所によって

 いままでひとがわたしにみせる姿はほとんど誰でも一緒だったから、知りたいともわかりたいとも思わなかった。

 ただそういうものなんだと、石ころみたいに思うだけで終わってた。

 だけど、ミドリのことは違う。

 もっとミドリのことを知りたいと、わかりたいと思ってた。

 けど、いまはそうは思わない。

 わたしはミドリがわたしにだけみせる、

 それだけを、わかっていればよかったんだって。

 いまのわたしは、そう思う。

 わたしだけのミドリを知ってることを特別だと思ったり、優越感があったりしたわけじゃない。

 ただミドリがわたしにどんな自分をみせるのか、知っていたから。

 わたしはミドリが安全で、一緒にいると安心できるのがわかっていたんだ。

 だからわたしは、そんなミドリだけを知ってればよかった。

 だからわたしは、こんなミドリを知りたくなかった。

 ミドリがひとに、

 わたしのことで怒ってくれているのはわかってる。

 だけどその姿にわたしはどうしても、

 だってミドリの声には紛れもなく、相手への嘲りと蔑みが混じっていて。

 その目には憎しみと嫌悪が映っていたから。

 それがわたしに向くことは決してないと、どれだけあたまではわかっていても。

 そんなミドリがいることを、こころが知ってしまったから。

 知ってしまったそれだけで。

 「いつか」その声と目がわたしに向いて、そんな姿のミドリと向き合わないといけなくなる。

 そんな絶対にくることない「いつか」をわたしはいつまでもこころの奥で、怯え続けなきゃいけなくなるなんて。

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