第7話 車に呑まれるキミの声
その後しばらく、海音が明音の家に来ることもなければ、2人が一緒にストリートライブを行うこともなかった。明音はショックだったし、海音は気まずかったからだ。
明音の母は『やっぱりね』といった感じで、明音には『海音君とは別れた方がいい』と繰り返した。
明音も海音との別れを考えてみたものの、出会いが急展開だったわりには、そう簡単に嫌いになれなかった。自分でも意外だった。もっと簡単に別れられると思っていた。
「そんなに簡単に嫌いになれないよ……」
けれど、明音は自分の気持ちに鞭を打つことに決めた。今後、海音を信じる気持ちが戻ってくるという保証は、なかったからだ。
『海音、別れよう』
明音は海音との別れに文字を選択した。声を聞いたら、きっと負ける。そう思ったのだ。
『そうだよな。俺から引き止めることもできないしな。お金は送るから。ホント、ごめん』
『お金はもういいよ』
明音は、海音に関するすべてのものを、今見たり手に取ることを拒否した。本当は別れたくないという気持ちの現れだった。
海音の字で書かれた宛先を見るのも、海音の財布から出てきた紙幣を手に取るのも、避けたかった。
それに、海音だって高給取りではない。明音は欲しかったミニギターを自分で買ったということにして、海音のことは忘れようと思った。
しかし、人の気持ちはそんなに簡単に自由自在に動かせるものではない。嫌いになろうと思って嫌いになれるのなら、苦労はしない。
明音は、海音を想う気持ちを歌にして、外に放つことで自分の中のモヤモヤを解消することにした。
この狭い街の中での出来事だ。きっといつか、海音の耳に届くだろう。
「今日も歌いに行くの?」
「うん」
明音の母は、明音がストリートライブに行く度に心配するようになったが、それを辞めさせたりはしなかった。
「気をつけるのよ」
「はーい」
いつもの場所で楽器を準備して、久しぶりにひとりでストリートライブを行う明音。
飲み屋街を歩く人の多さは、あの時と変わらない。
海音はひとりではストリートライブをしないと言っていたけれど、私と歌うようになったことを機に、新しい趣味として始めていたりしないだろうか。
そんな願いを込めながら、何か歌えと催促してくる酔っ払いのおじさんに、
「私この間、彼氏と別れたんですよ!」
と言って明音は海音のことを書いた歌を歌った。
街の喧騒は、控えめに歌う明音の声を簡単にかき消した。もしかしたら海音もどこかで歌っていて、この喧騒がかき消しているのではないか、という気持ちになり、明音はふと歌をやめてみた。
けれど、聞こえるのは楽しそうに二軒目を探す人々の声と、たまに通る車の音。
忘れなければならない人の歌を歌っている時点で、明音には海音のことを忘れる気なんかないのだろう。この街で元気に生きてくれていればいいなと思う。
涙が出そうになれば、声を張り上げて歌う。そうすることで涙は出ずに済んだ。
明音は、海音が逮捕されたわけではないけれど、人の財布を開けるようなことがなくなった時に、また出会えたらいいなとさえ、考えていた。
この恋がハッピーエンドになることは100%ないけれど、今は時間が忘れさせてくれるのを待とう。明音は、海音が部屋に置いていったピックを使って、今日もピンク色のミニギターを鳴らしている。
『泪声』
──完──
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