第3話 初対面の長女

『純さーん』

 そう呼ばれ、玄関に向かった俺はとある女の子と対面していた。初めて会う女の子と。

「初めまして。藤原飛鳥と申します」

「あっ、飛鳥さまでしたか。これは失礼いたしました。坂本純と申します。今までご挨拶できずに申し訳ございません」

 藤原飛鳥。その名前を聞いてこのお屋敷に住む娘さん、長女の方だとはすぐに気づいた。


 カスタード色をしたショートボブの髪型に丸っこい碧眼。自然な笑顔を浮かべながら綺麗なお礼をしてきた彼女に俺もすぐに頭を下げる。

 聞いた話だと高校三年生とのことだが、そうだとは思えないほどに大人らしい雰囲気をまとっていた。

 今日は普段よりも早い帰宅。用事がなかったのだろう。

「ご丁寧にありがとうございます。っと、私には口調を崩していただいて構いませんよ?」

「い、いえ……。そういうわけには……」

 両手、さらには首まで左右に振って遠慮する。これは俺の父から言われていたこと。

由緒ゆいしょ正しい家系であるために、接し方には十分気をつけるように』、と。

 もっと言えばこの藤原家は父の知り合いなのだ。俺のせいで関係が悪化するようなことはできない。……かなりの金額をもらっていることもあり。

 しかし、この流れは飛鳥にはわかっていたことなのだろう。


「それでしたらまずは、、、ですます口調からでどうでしょう? 実のところそちらの方が私も都合が……ですね?」

「えっ」

「ふふっ、スリルを味わうためにおとう様には内緒にしましょうか。もしバレた際には私から説得いたしますので」

 人差し指を口元に当てる彼女は、手慣れたようなウインクをしてくる。男を手玉に取るような、容姿を際立たせる動作であり、いたずらっ子のような表情は窺えた。

「……」

「……」

「あ、あの……。その無言の反応は大変困ります……」

「あっ、す、すみません」

 片目を開いてウインクを戻し、未だ口に人差し指を当てながら困惑している。俺が反応しなかったことで戻すタイミングがなかったのだろう……。

 そうさせてしまったことは申し訳ない気持ちだが、俺は俺とてこの言葉に甘えていいのか熟考していたのだ。


「こほんっ。それでは話を戻しますけど、ですます口調に戻していただいて構いませんよ。先ほどの件では辱めを受けた件の責任を?」

 目伏せして、チラッと視線を送ってくる。白いほっぺが赤くなっていることから確かに恥ずかしい気持ちはあるのだろうが、『お詫びをしてくださいませ』なんて気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

「……」

 口には出せないが本当に言いたい。あざとすぎる、と……。

 とても高校生ができるような技じゃない。

 一体、どこでこんな技術を身につけたのだろうか。さすがは良いところの家系というべきか。

「わ、わかりました。では……この口調に戻しますね」

「ふふっ。ありがとうございます。私も少し崩します」

『戻させていただきます』。などのへりくだった使わずに丁寧語に変える。お手伝いさんとしては間違った行動だろうが、彼女がそう願うのなら臨機応変に対応するのが一番だろう。

「純さん、美雨とは顔合わせしましたか? もう帰宅しているそうですよ」

「そ、そうですね。自己紹介と少しだけお話しすることができました」

「ドアを挟んで、ですかね?」

「あはは……」

 さすがは姉妹だ。妹の行動は手に取るようにわかっているようだ。


「美雨は人見知りが強い子なんですよ。小さい頃はいつも私の後ろに隠れたりしてたり、今も一人で注文することができないくらいで」

「あっ、そうだったのですか」

 この説明でようやく理解できた。あの弱々しい態度を取っていた理由に。

 ずっと声をかけるタイミングを窺っていたのだろうか。もしそうなら微笑ましく思う。

「はい。ですので失礼な態度を取ってしまうこともあるとは思いますが、多めに見てもらえると助かります」

「いえいえ、その心配は大丈夫ですよ。今日なんですけど『頑張ってね』、と応援してもらったこともあって。人見知りなのにそんな言葉をかけてもらえて嬉しかったです」

「ふふっ、そうですかそうですか。あの、『嬉しかった』の言葉を美雨に伝えてもいいですか? きっと喜ぶので」

「もちろん大丈夫ですよ?」

「ありがとうございます」

 なにやら嬉しそうに顔を綻ばせている彼女。この言葉一つで喜ぶことなのか疑問だが、姉が言うならほぼ間違いはないのだろう。


「……っと、すみません。本当に遅くなってしまったんですけど手荷物を持ちますよ」

 玄関で長い立ち話をしただけでなく、帰宅してからもずっと荷物を持たせてしまっていた……。

 慣れていないから。が言い訳になる仕事でもない。冷や汗が流れる感覚を覚えながら飛鳥の言葉を待ったが、返されたのは予想外の声だった。

「あっ、そんな気を遣わずとも大丈夫ですよ。『立派な女性になれるように甘えるな!』とはずっと言われていることで、玄関で荷物を持ってもらうことも一度もしたことはありませんよ」

「そ、そうなんですかっ?」

 失礼を承知で驚いてしまう。由緒正しい家の相手は全部お手伝いさんに任せているようなイメージがあったのだ。

 しかし、その教育が施されているから高飛車な態度が全く見えないのかもしれない。雇われた身、立場の低い俺にも平等に接してくれている。むしろ彼女は自分の立場を下げて俺を上げてくれている。


「で、でも……ですよ? ほんの少し興味があったり……」

 どこか遠慮がちに、そして好奇心を感じさせるように俺を見てくる。

 そのくらいの命令なら簡単にできるはずの立場にいるのに、それを行使しないのはしっかり者の彼女らしい。

 こんなところからきっと周りからも慕われており、もっと言い方を変えれば綺麗な容姿も相交わっていることで学校では男が放っておかないような人物だろう。


「そういうことですか。では、荷物の件も内緒にして一度やってみます?」

「よ、よろしいんですか?」

 周りには誰もいないのに小声に変えて確認してくる。ちょっと丁寧な言葉遣いにもなって。

「もちろんですよ」

「あ、ありがとうございます。ではお願いします……」

「いえいえ、そんなに遠慮しなくても大丈夫ですよ」

 そう一言入れ、両手で取っ手を持ちながら渡されるセカンドバックを受け取る。


(わ……)

 こう思ったのは荷物を持った瞬間、バニラのような甘い匂いが漂ってきたから。

 そう。この匂いに意識を取られてしまったせいで、俺は気づかなかった。

「あっ……」

「ん?」

 ——荷物を受け取った際に飛鳥の手に触れてしまったことに。

 意識の違いがここで生まれていたのだ。

  

「どうかしました?」

「い、いえ……。慣れていられるんだと……」

「えっ、慣れですか?」

「な、なんでもないです。それではついてきてくださいますか?」

「は、はい。わかりました」

 口ごもって、ビックリした様子の飛鳥に違和感はあるも、『なんでもないです』と言われたら追及もできない。

 この件は忘れて先頭に立つ彼女についていくことにする。




 純と手が触れたその箇所を擦りながら高揚したように頰がピンク色に染まる。先頭に立つことで、その姿を上手に隠す彼女でもあった。

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