第218話 天静

「師匠、なんか知ってんのか?」

「まあ、ね」


 この気配の主に、少々心当たりがある。


 かつてのアルトは、空を飛ぶ巨大な龍の姿を一度だけ目にしたことがある。

 それは人間の言葉を操る、太古より存在するこのダンジョンの主。


 その体躯は城のように大きく、その羽ばたきは一度で千里を飛翔する。

 伝説の中にのみ残る真龍――エンシェント・ドラゴンだ。


 以前は見ただけで恐怖と畏怖がこみ上げて、まったく動けなくなってしまった。

 今回は〈格差耐性〉があるから大丈夫だろうが、戦って勝てる相手だとはちっとも思えない。


 逃げ切れれば良いんだけど……。

 不安はあるが意を決してアルトはゆっくりと通路の奥へと歩き出した。




 最奥はこの迷宮の中で最も広い部屋だった。

 中で野球が出来るくらい広いかもしれない。その直上からは太陽の光が降り注ぐ。

 天井がなく、山の頂上に通じていると思われる。

 だが天辺まで数百メートルはありそうなので、よじ登って外へ出ることは不可能だろう。


 その広い部屋の一番奥には、祭壇のように僅かに高くなった場所がある。

 そこに、以前は蘇りの宝具が存在していた。だが、


(やっぱり、なにもないか)


 当然のように、宝具は跡形もなく消滅していた。

 アルトが使用したために、過去・現在・未来から存在ごと消えてしまったのだ。


 祭壇を眺めて、アルトは足を止めて首をかしげた。


 その場所に、小さな人影があった。

 おそらくアルトと同じか少し低いくらいの、それも女性だ。

 女性は紫色の着物を着ていた。その着物は遠目から見ても上等だと判るほどで、まるで有名な織師が長い歳月を掛けて作り上げた芸術品のようだった。


 女性の後ろ姿は妖艶で、ついつい見とれてしまう。

 だがその女性がこちらを見た途端、アルトの血液が凍り付いた。


「……誰や?」


 その女性から放たれる恐ろしいほどの殺気に、アルトの心臓が握りつぶされたように縮こまる。


「なんやあ、人やないの」


 おそらくアルトを魔物かなにかと勘違いしたのだろう。彼女がそう呟くと、アルトを強ばらせていた殺気があっさりと霧散した。


「と、突然済みませんでした」

「ええのええの。そいで? なぁしておたくらはここに? 迷宮入り口は封鎖しとった思ったんやけど」

「…………」


 やばい。アルトの背中を冷たい汗が流れ落ちた。


 彼女がきっとあのブシを引き連れてきた人だ。

 その人に「いやぁぶちのめして入ってきました」なんて言えるはずがない。


 そんなことを口にしようものならどうなるか。

 先ほどの殺気を思うと、ただではすまないかもしれない。


 アルトの記憶にも、これほど強力な殺気を放つ相手はいなかった。

 もちろん、ガミジンやオリアス、それにヴェルなどその時々で、殺気が恐ろしいと思ったことはあった。

 だが、彼女は別格。桁外れだった。


「……久しぶりです。アマノ・シズカ様」


 マギカがアルトの前に歩み出て、片膝を折る。


 ……え? いまなんて!?

 マギカの言葉に、アルトは激しく同様した。


「アマノ・シズカって……」


 まさか今上天皇にして現人神と言われる、あの天静(アマノ・シズカ)!?

 言葉が情報と結びついた瞬間、アルトの頭は真っ白になった。


「あらぁ、マギカやないの。久しぶりやねー」


 そう言ってその女性――シズカはふっと微笑んだ。懐から取り出した漆塗りの鉄扇を広げて、美しい弧を描いた口元を覆い隠す。

 その動き一つ一つがあまりに洗練されていたため、アルトは思わず彼女に見とれてしまった。


「んー。最近ケモ……マギカ成分がたらんかったのよぉ」


 いまケモノって言おうとしなかったか?


 シズカは鉄扇を下ろし、マギカに近づく。

 手を差し出し頭を撫で、その指先でマギカの耳をまさぐった。


「んー。いい手触りやぁ。これがないと、生きていけへん! あ、尻尾も触らせてぇ!」

「だ、ダメ! 尻尾は、大切」

「んな殺生なぁ!」


 落胆する表情を浮かべながらも、彼女の手は休まずマギカの耳を愛撫し続ける。

 マギカの耳が「キャー!ヤメテー!」とシュパシュパ逃げ惑うが、シズカは無視して追い回す。


 時々右手が尻尾に近づくと、邪気を察知した尻尾が近づいた分だけ遠ざかる。

 その攻防を繰り広げながら、シズカは左手で耳を愛撫し続ける。


 天皇が、ケモナーだと!?

 っく……。ボクも触ったことがないのに!

 羨ましい!!


 嫉妬が抑えきれない。

 実はマギカの耳や尻尾に一度触れてみたいと思っていたアルトなのだった。


「シズカ様、本日はどうしてここに?」

「ウチは魔物の間引きをしに来たんや。ほら、この迷宮の魔物、強いやろ? 人間じゃちぃと荷が重いさかい、時々憂さ晴ら――魔物を間引きしに来るんよ」


 いま憂さ晴らしって言おうとしたよねこの人?

 天皇という立場上、かなりのストレスが溜まるのだろう。

 決してストレス発散のためという、軽い気持ちで訪れる場所ではないのだが……。


 しかし、なるほど。

 普通の人間じゃまったく歯が立たないこの迷宮の魔物を、どうやって処理しているのかは若干気になってはいたが。

 現人神がこうして直々に間引きしにきているから、スタンピートが起らないのか。


「あとはアレやなぁ。〝大切なもん〟があるかないか、確認しに来たんやけど――」





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