第79話
『きょ、今日は工房に来ねえのかよ?』
『アニキ、今日は工房に来ないんですかい? 姐さんがアニキのこと待ってて仕事にも手が付かないって感じなんすけど?』
バレッタ工房から宿屋に戻り、一度眠りについた俺が朝起きて最初に見た個人チャットのメッセージだった。
あれからNPCの感覚で言えば数時間しか経過してないはずだが、一体何があったというのだろうか?
あれか、ただ何となく暇つぶしに入ったペットショップで、売られていた犬を撫でていたらいつの間にか懐かれてました的なヤツか。
まあ人と犬を同列に並べるのはいかがなものかと言われそうだが、あんなの俺にとっちゃ犬みたいなもんだ。
ちなみにクーコは朝方という事もあり、寝息を立ててすやすやと眠っている。
それにしてもだ、どうしてこのゲームの女NPCどもはこうなのだろうか、誰か教えてくれ。
と、愚痴をこぼしたところで誰も答えてくれないこの現状、ここに来てソロプレイの弊害が出てきたか。まあかといって、パーティープレイをするつもりはないがな。
俺はチャットの返信に『行かん! 真面目に仕事しろ』とだけ返事を出した。バレッタが敬語は要らんと言っていたので、ぶっきらぼうな返事を書いてやったが本人が望んだことなので問題ないだろう。
さてさて、「今日は何をしようかな~」と暢気に考えていると部屋のドアがノックされる。
「またあのロリダークエルフじゃねえだろうな?」
咄嗟にそんな二つ名が出てしまったのも無理はない、ルインの見た目からしてそうなのだから。
背が低く、顔も童顔だが胸はあるという現実の世界に絶対的に存在しない俗に言う「トランジスターグラマー」っていうやつか?
まああいつがトラグラだろうがトラウマだろうがどうでもいいことだ。
俺は出るのが嫌だなと思いつつも、この部屋唯一の出入り口を封鎖された形となってしまっているので、致し方なく出ることにした。致し方なくな。
例によってドアノブに噛ませておいた椅子を取り外し、鍵を開け扉を開く、するとそこには巨大な肌色の何かが俺の視界を支配していた。
「これはなんだ? ……ああ、胸の谷間か。この大きさを持ってる俺の知り合いと言えば……あっ! Kカップだ!!」
そして、俺は答え合わせをするため視線を谷間から相手の顔に移すと、そこには呆れの感情を乗せ半眼になったアキラの顔がそこにあった。
「よし、正解だ。俺も大したもんだな」
「おっぱいの大きさで人を認識しないでちょうだい!! それにわたしはアキラっていうちゃんとした名前があるの!!」
彼女からすれば当然の反論なのだろうが、残念ながらそれを聞き届けるほど俺は聖人君子な人間ではない。
それに言っちゃあ悪いが、お前という存在を形作っているものの七割はおっぱいだからな苦情は一切受け付けん。
「で、だ。何の用だ? これでも忙しい身の上なのだがな」
さっきまで自分のおっぱいで人物当てゲームをしていた人間の言動ではないというツッコミを、なんとか喉の奥で押し止めたアキラは用件を伝える。
「そんなこと決まってるじゃない。ジューゴ・フォレスト、わたしたちのパーティーに入ってくれないかしら? そして、わたしの【ご主人様】になってちょうだい」
「は?」
こいつは一体何を言ってるんだ? ご主人様ってなんだ? 誰か通訳プリーズ!
とりあえず、最初の言葉からパーティーの勧誘であることは理解できたため毅然とした態度で断る。こういうのは相手に期待させるような雰囲気を見せちゃいかんからな。
「悪いが俺はソロプレイヤーだ。どこのパーティーにも所属するつもりはない。そして、お前の【ご主人様】とやらにもならん。大体ご主人様ってなんだよ? 貴族ごっこでもする気か?」
確か何年か前に貴族の恰好をして漫才をしていた芸人がブームになってたな、それを今更やろうってのかこの女は?
とにかく俺はこのゲームで癒しを求めるのに忙しいのだ。牛乳女に構ってる暇などない!
「むぅー、こうなったら実力行使だわ!」
「ちょっ、おまっ、何を!?」
そう言うが早いか、アキラは俺の胸を両手で押しながら俺の部屋に追いやるとそのままベッドに押し倒した。
ベッドに対し仰向けに倒れたところを押し付けるようにアキラが覆いかぶさってきた。
男剣士の俺と女魔導師の彼女では、膂力自体は圧倒的に俺に分があるものの不意を突かれてしまえばその性別による優位も関係ないわけで……。
「うふふ、さあ始めましょうか」
「は、始めるって、な、なにをだ?」
「そんなこと女の口から言わせる気かしら? さあ気持ちいい事しましょ」
そう言いながら自分で言うてもうてますやん!
関西人でもない俺が関西弁が出ること自体がこの状況の異常性を物語っているが、いくら相手がスタイル抜群の美人とてそう簡単に貞操を渡してなるものか!
「はぐっ、にゃにふるのふぁしら?(なにするのかしら?)」
「決まっている、どけ、邪魔だ」
俺は短く一言だけ忠告するとアキラの頬を右手で掴む。
柔らかい頬の肉の感触が伝わってきたものの、今の俺は何も感じない、否、ちょっとムカついている。
「ひ、ひやひょ、ふぉくふぁふふぁいふぁふぁい(い、いやよ、どくわけないじゃない)」
「……? 何を言っているのかわからんが、三秒だけ待つ」
「ひょひょっふぉ? ふぁふぁふぃふぁふぁい――(ちょちょっと、離しなさい――)」
「さん、にー、いち……」
カウントダウンが終了したと共に、俺は頬を掴んでいた右手を彼女の顔全体を掴むように持ち変えると、その手に力を込めた。アイアンクローである。
「痛い痛い痛い痛い!!」
「おら、さっさと俺の体の上からどくんだ、牛乳女!」
「な、なんか新しいあだ名ができちゃってるんだけどぉーーー!?」
「そんなことはどうだっていいんだ。とっとと俺の上からど、く、ん、だ!!」
「あぁあああぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ!!」
そして、俺は右手に込める力の度合いを一段階引き上げる。
彼女の頬骨がみしみしと軋む感覚が伝わってくるが、そんなこと俺の知った事ではない。
寧ろ、俺にこんな真似をして無事では済まないということを理解しないこいつが悪いのだ。
「何度も同じことを言わせるな! 俺の上からどくんだ、どけ!!」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……ど、どいてなるものですか! せっかく二人っきりのチャンスなんだから!!」
「何がチャンスだバカヤロウ! 俺からすればピンチだボケェ!!」
男をどうにかしようとする浅ましい女と、そんな女とはごめんだという男の攻防が続く。
だがここで例の俺の口癖が出る事になる事態が起こってしまう。
「ジューゴ、ボクとけっこん――」
「「っ!?」」
「……」
それでは皆さんご一緒に、“どうしてこうなった?”
先ほどまでの男と女の熱い攻防が一転、まるで北極にいるかのような冷たさを孕んだ沈黙が場を支配する。
そんな状況下、この場に突如現れた彼女、ルインといえばいつもの何を考えているか分からない無感情な瞳をしたまま俺とアキラを交互に見る。
「……ああ」
右の拳を左の掌にポンと打く仕草をしたと思ったら、部屋に入りドアを閉め鍵を掛ける。
そして、未だ覆いかぶさっているアキラと共にダークエルフの彼女の動向を見届けていると、突如彼女が服を脱ぎだし玉のような肌を露わにした。
「「なにやってんだ(のよ)!!」」
俺とアキラの盛大なるツッコミをまるで歯牙にもかけず、さも当たり前のようにルインは答えた。
「うん? 二人とも子作りしてる。ボクも混ぜて」
「「3P希望!?」」
俺たちの斜め上を行くルインの行動に思わずアキラとツッコミが重なる。
この二人を会わせてはいけなかったという後悔と共に俺はこの状況を打破するべく、脳内で高速演算処理をするが如く考える。
まったく、この二人と関わると碌なことにならん。この二人を例えるなら、よく風呂を洗う時の洗剤に記載されている注意事項と同じだ。
――まさに二人は“混ぜるな危険”である。
「違う違う違う違ぁぁぁぁう!! どこをどう見たらそんな状況だという結論になるんだ!? この牛乳Kカップ女に襲われとるんだ。助けてくれ」
「うーん、これはこれで好都合ね。ねえあなた、わたしと協力しない? 一人ならダメでも、二人がかりならなんとかなるかもしれないわよ?」
「……乗った」
「ちょっ、お前ら!? 二対一は卑怯だろ、藤木だろ!?」
そんなことしたら玉ねぎ頭の少年が「何て卑怯者なんだ」と非難を受けることになるんだぞ? ホントだぞ?
流石のこの俺も一人ならともかく二人を相手にするには分が悪すぎる。
「さあ大人しく私たちと合体しましょ?」
「これも妻の仕事、ジューゴ、諦める」
まるで獲物を狙う獣の如き眼光を向けながら、こちらに向かってくるルインとそれに呼応するアキラ。
一歩、また一歩と近づいてくる褐色裸族に貞操の危機が迫っていた。
ここまでか、俺がそう諦めかけたその時、頼もしい援軍が現れる。
「クエェェェェェェェェ!!」
「ぶべらっ」
「むぎゅっ」
突如として俺に覆いかぶさっていたアキラが吹っ飛ばされ、ルインを巻き込み部屋の壁に激突する。
幸い壁は壊れなかったが、その衝撃はかなり強く二人とも目を回して気絶していた。
「はあ、はあ、はあ、たっ助かったぞ、クーコ」
「クエッ」
俺が礼を言うと、まるで軍人のように羽をおでこに持っていき敬礼のような仕草をする。いつもながら器用な手羽先だ。
その後ルインとアキラを持っていたロープで縛り上げ、ヤドシュさんの所まで連れて行き事情を話して引き渡しておいた。
当然だが、こんなことをして許すほど俺は優しい人間ではないのでGMに報告をする。
後日談だが、これが原因でアキラには三日間のログイン停止処分が、ルインも同じく三日間FAOの世界に現れることが禁止された。
二人にはこれを機に反省してもらいたいものだ。……いや、無理だろうな。
朝っぱらからトラブルがあったもののこれでようやく自分の活動に集中できると安堵し、宿を出た。
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