379 ネフタ商会 五男坊ルアードの話

 俺はネフタ商会の五男に生まれた。ネフタ商会は長兄が継ぎ、俺は将来いち従業員として家業を手伝うか、実家を出ていくことのどちらかの選択を余儀なくされるのだ。だが俺はそのことに対して不満はなかった。


 両親からは事あるごとにそう聞かされていたし、長兄は俺からみても非常に優秀だったからだ。かといって……俺は長兄を支えたいと思うほど、彼から親しくもされていなかった。そのため幼い頃からいずれ独立することばかり考えていた。


 しかし俺は商売はあまり好きではないと感じていた。だが体を動かすことは好きだったし、近所の悪ガキ相手のケンカでも負けたことはなかった。


 そこで最初は冒険者になろうとした。だがこれには両親が激しく反対した。後で知ることになったが、冒険者とは危険で不安定な職業だ。両親も五男といえど俺に情がないわけではないようで、反対するのも納得ができた。


 それならこの町の衛兵はどうだろうか。衛兵は冒険者ほどは危険ではないし、その実力次第では出世することで危険の少ない地位へと上がっていくことができる。


 その頃、出会って……一目惚れをしたデリカが衛兵を目指していたこともあり、俺は再び父上に相談をした。


 幸いにも衛兵は父上の承諾を得ることができた。こうして俺は父上の援助を受けながら、衛兵を目指して己の肉体を鍛えることになった。


 それから数年間、俺はデリカと同じ南地区の剣術道場に通い、剣術を学んだ。


 道場だけではなく、家に帰ってからは父上が雇ってくれた家庭教師からも鍛錬を受けた俺は、道場で同世代の中では一番の腕前となった。当然デリカよりも上だ。


 だが俺はこれに満足はしなかった。理由はもちろん近々行われる衛兵試験だ。特に今回は、成績が首席の者が厚遇されるという。


 試験には南地区の道場以外からも受験する者は当然いる。歳上もいるだろうし、同世代の中には俺の知らぬ腕自慢だっているだろう。しかし俺はどうしても試験で首席を取りたかったのだ。


 そこで父上に頼んで冒険者を護衛として雇ってもらい、森で魔物相手に実戦稽古を積むことになった。



 ――そしてこの日、森の中でデリカに出会った。デリカは森で鍛錬できないことを愚痴っていたのを聞いたことがある。しかしどうやら両親に許されたようだ。


 デリカは歳下の子供を連れていた。それがマルクだ。顔は知らなかったが、デリカと会話するとたびたび名前が上がっていたので名前だけは知っていた。


 マルクはおとなしくどこにでもいそうなガキだった。なぜこいつがデリカのお気に入りなのかわからない。高い金を払って雇った、この町では上位に位置する冒険者ウェイケルも、どういうわけかマルクと親しげだった。


 なんとも面白くない気分に苛立ち、俺はウェイケルの制止を振り切って森の奥へと進むことにした。今のままでは駄目だ。もっと腕を上げて、俺の力をデリカに見せつけなければ。


 そうしてあてもなく森を奥へ奥へと進んでいくと、山の斜面にぽかりと空いた洞窟を見つけた。ウェイケルに聞いたところ、これはコボルトの巣穴だそうだ。


 巣穴にはその巣穴が長たる存在が必ずいる。大概は他愛もない存在だが、稀に特殊個体と呼ばれる強い魔物がいることがあるらしい。そうなるとやっかいなので、巣穴を見つけた際には冒険者ギルドに報告することになっているそうだ。


 ウェイケルの話を聞きながら、俺は幼い頃、大口の商談をまとめた父上が珍しく上機嫌で酔っぱらいながらしてくれた話を思い出していた。


『魔物の中でも特に強い、特殊個体と呼ばれる魔物を倒すと、その魂の残滓が討伐者に流れ込むのだ。その残滓を人はエーテルと呼ぶ。エーテルを得た者は、自分の魂に紐付いた魔力と肉体が強化されるらしい』


 これはそれなりの冒険者なら誰でも知っている話なのだそうだ。己の力を引き上げてくれるエーテルの力――特殊個体を倒すことができれば、俺は今よりも強くなれる。


 やるしかない、そう思った。俺は巣穴発見の報酬金に浮かれているウェイケルの隙をみて、その巣穴に煙玉を投げ込んだ。すぐにウェイケルが気づいたが後の祭りだ。


 そうしてけむる巣穴の中から真っ先に出てきたのは――見たこともないくらいの大きな体躯と、禍々しさしか感じない二つの首を持つ魔物。


 一目見ただけで、自分が敵うわけがないと悟った。あまりの恐ろしさに体が硬直して動かなくなった。


 即座に危険と判断したウェイケルが俺に撤退を指示したが、特殊個体のなんらかの攻撃が俺の脚をかすっていった。


 その痛みでようやく体が動き、痛みに耐えながら泉があった場所を目指すことになった。


 あの泉にはなぜか魔物が近づかないらしい。しかし特殊個体となると効果がないかも知れない。だが時間稼ぎくらいになるだろう。逃走しながらウェイケルは俺にそう説明した。


 それからなんとか泉まで走ってこれたが……俺の脚はここで限界を迎えた。俺は無様に転げ回り、ウェイケルに背負われることになったのだ。


 我ながら情けなく思ったのは、己の過信で怪我をしたというのに、ウェイケルに背負われた時、自分が見捨てられなかったことに心の底から安堵してしまったことだった。


 ――しかし、そんな気持ちも一瞬で消え失せることになった。すぐさま俺たちを追いかけて、特殊個体が現れたのだ。結局、俺たちはここで死ぬ。


 まさかデリカがまだこの場所にいるとは思わなかった。早く帰れと言ったのに……。だが彼女に非はない。すべては俺が悪いのだ。俺の愚かな行いに巻き込まれることになった彼女には謝罪してもしきれない。


 今回の衛兵試験で首席を取り、その成果を手にデリカに交際を申し込むつもりだったのに、どうしてこんなことになったのか……。今となっては後悔しかない。


 俺が自責の念にとらわれながら、顔を強張らせているデリカを見つめていると、突然ウェイケルが素っ頓狂な声を出した。


「えっ、マルク坊ちゃん!? もしかして、アイツとやるつもり? 言っちゃあなんだが、前にやったトカゲとは格が違うと思うぜ……? 俺がアイツに目潰し玉をぶつけっから、それを合図に一斉に逃げるっきゃねえって」


 マルクはウェイケルに、家に住み着いたトカゲの駆除でも依頼したのだろうか? その程度の作業を冒険者に依頼するくらいには裕福な家庭の子供らしい。


 そのマルクはこの状況を騎士ごっこかなにかと勘違いしているようで、双頭の魔物を目の前にしても怖がる素振りは微塵もない。ウェイケルをちらっと見て、頼りなさげな笑みを浮かべる。


「僕もあれからセリーヌにさんざ鍛えられたんだ。よかったら少しの間みていてくれるとうれしいな……」


 マルクは視線を特殊個体に戻した。連れの緑髪の女性がマルクの袖を何度か引っ張るが、マルクと歳の変わらぬ女児に連れ戻されてしぶしぶ後ろに下がった。


 そんな二人を気にかけることなく、まっすぐに前を見据えるマルク。毅然きぜんと立っているようにも見えるし、ようやく現状に気づき、恐怖のあまりほうけて立ち尽くしているようにも見える。


 いや、どうせここで全員死ぬなら、むしろ呆けていられるほうが幸せなのかもしれない。特殊個体はあれだけの巨体だ。その太い腕であっと言う間に俺たちを引きちぎり、二つある口で俺たちを食い散らかすことができるだろう。


「ウオオオオオオオンッ!」


 突然、特殊個体が遠吠えを上げた。これがヤツの虐殺開始の合図なのだろうか。ヤツは二つある口から真っ赤な舌を覗かせると、木々の合間からこちらに向けて足を一歩踏み進め――


地縛アースバインド


 マルクの声が聞こえた。


 すると突然、特殊個体の周辺の木々がざわめき始め、まるでヤツを絡め取るように動き出す。その足元からは新たに木も生え、同じように絡みついている。一体なんだ、これは!?


 煩わしそうに特殊個体は手や脚を振り回すが、どんどん木々はヤツの手、脚、胴体へと絡まっていく。


「ウオォン!」


 ヤツが短く雄叫びを上げる。その直後、双頭の口から同時に炎が勢いよく吹き上がった。


 生木は簡単には燃えないという。だがヤツはその燃え盛る炎で絡まっている木々を一瞬で消し炭にすると、力任せに振り払った。焦げた木々が飛び散り、周辺には煙と炎が立ち込めている。


 幼い頃、火を吐くドラゴンがいると聞いて自分のグループを爆炎のフレイムドラゴン団と命名したが、まさか自分の死に際にコボルトの特殊個体が炎を吐く姿を見ることになるとは思わなかった。


 だがそんな異常事態にも、マルクがぼそりと呟く。


「ああー……ダメだよ、火事になっちゃう……」


 まるで子供の火遊びを注意するようなことを呟き、さらに言葉を続ける。


水球ウォーターボール


 マルクの頭上に、大人が両手を広げたほどの大きさの水の塊が一瞬で現れた。このとき、俺はようやく気づいた。先程の木々の異変も、この水の塊も、このマルクの仕業なのか……!?


 巨大な水球は特殊個体に向かって飛んでいくと、ものの見事に命中した。しかも一発ではない。続いて同じ大きさの水球が二つ、三つと飛んでいく。


 やがて特殊個体の周辺が完全に水びたしになり、周辺でくすぶっていた火種は完全に消える。そして水の勢いに押されるように特殊個体はゆらりと数歩後退した。


「よしっ」


 それを見たマルクが口を緩める。だが、特殊個体は水球の攻撃によろめいていただけではなかったようだ。


 足元に落ちていた石を手に取り振りかぶると、助走をつけながらこちらに向かって投げつけてきた。そうか、俺もあの投石にやられたのか。


 ――バリンッ!


 だがマルクの目前に迫った石は妙な音を立てて突然砕けてしまう。よくわからないが、今の攻撃を防いだということなのだろうか……? マルクは安堵の表情を浮かべながら、胸に手をあて大きく息を吐く。


 もはや何一つ理解できない。俺は逃げようともせずに、どこかきらきらした目でマルクを見つめているウェイケルに尋ねた。


「なあ、ウェイケル……。あの子供は一体何者なんだ……?」


「えっ、ああ……。ええと、実は俺も詳しくは知らないんすけど、なんかすげー坊ちゃんなんす。まだあんな小さいのにイケてっからウチのパーティに誘ったこともあるんすけど……まっ、断られちまってね? でも、なんか前に見た時よりすげーことになってて、今バイブスがアガりまくってるところっす!」


 ウェイケルの言葉はなんの参考にもならなかった。だが、そんなことを話し合ってる間にも、マルクは次の行動を起こした。


飛翔フライ


 マルクが空を――飛んだ!? 浮遊する魔法があるとは聞いたことがはあるが、そういうレベルではない。まるで鳥が空を駆けめぐるように、マルクの体が宙を舞う。


「おーい、こっちだよー!」


「マルク坊ちゃんてば、俺たちが攻撃されないように……。マジリスペクトだわ……!」


 ウェイケルが空を見上げて呟く。たしかに投石が俺たちに行われていたなら、避けることは難しかったかもしれない。


 マルクの術中にはまり、特殊個体は再びマルクに向かって投石を行う。だが宙に浮かんだマルクはそれをひらりとかわすと、両手を特殊個体に向けた。


槍弾ランスバレット


 離れているが、たしかにそう聞こえた。


 直後、まるで重騎士が持つような無骨で巨大な槍がいくつもマルクの頭上に現れる。そして――それらは次々と特殊個体に向かって放たれた。


 最初の一本はうまくかわした特殊個体であったが、大量の水でぬかるんだ地面に足を取られる。その一瞬が命取りとなった。


 二本目の槍がヤツの腹に深々と突き刺さり、そのまま地面に縫い付けられたのだ。


「グオオオオオオオオン!」


 ヤツが聞く者を震え上がらせるような、すさまじい絶叫を上げた。しかしマルクの攻撃はまだ終わらない。次から次へと槍を生み出しては、ヤツを貫いていく。



 肉と地面を貫く音が延々と響き、やがてヤツの声が途絶え、姿が大量の槍に隠れて見えなくなった頃、ようやく攻撃を止めたマルクが下に降りてきた。


「ディアドラ、ママは大丈夫だったかな?」


 マルクは地面に降り立つと、まずディアドラと呼ばれた緑髪の女性にそう尋ねた。


「うん……うん……。大丈夫、みたい。マルク、ありがと、マルク、すき……」


 ディアドラと呼ばれた女性はマルクに近づくと、しゃがみ込みながら思いきり彼を抱きしめた。その様子を見てデリカが大声を上げる。


「あー! もうっ、ディアドラさん! 女の子はそういうこと簡単にしちゃダメなんだからね!」


 だがディアドラは抱きついたまま、きょとんとした顔を浮かべるとデリカに言った。


「デリカも、する……?」


「わっ、私はいいわよ! ……でも、その……マルクありがとね。私たちを守ってくれて……」


 頬を赤く染め、照れたようにマルクに笑いかけるデリカ。俺は彼女のこんな表情、これまで一度たりとも見たことがない。脚のうずきとはまた違う痛みが、俺の胸の中でじくじくと渦巻くのを感じる。


 俺はマルクに駆け寄りたそうにそわそわしているウェイケルに声をかけた。


「なあ、ウェイケル」


「んおっ!? なんすか?」


「世の中には、あんな化け物じみた子供がたくさんいるのか?」


「さすがにあの兄妹レベルなのはいないんじゃないっすかねー。あんなのたくさんいたら俺たち商売あがったりっすよ」


 あの女児は妹だったか。妹は戦闘を讃えてマルクに抱きつくならまだわかるのだが、なぜかディアドラにくっついている。


「あの妹もなのか?」


「まあ別の意味で? すごかったんすよねー。ニコラ嬢ちゃんにもパーティ入りは断られたんすけど」


「そうか……。俺は剣術の腕を褒められていい気になっていたが、上には上がいるんだな……」


「それな! まあ坊ちゃまもまだ若いんすから、これから鍛えていきゃあ、俺たちのパーティに入るくらいの力は付けられるかもしれないっすよ。……あっ、でもウチはノリ重視っすけど、命令違反だけはダメっすけどね?」


 暗に俺がウェイケルの忠告を聞かなかったことを窘めているのだろう。


「ああ、すまなかったな……」


「っす! まあ人間、一度痛い目にあえばワリと変われるモンすよ! 去年の俺とか、今思い出してもテン下げすぎてマジでつれーし! ははっ、坊ちゃまドンマイ!」


 ウェイケルが俺を背負いながら、器用に俺の背中をポンポンと叩く。


 そうか。俺もまだ変わることができるのか。


 ディアドラにくっつかれて困った顔を浮かべるマルクを見ながら、俺は複雑な気持ちを整理するように大きなため息をひとつ吐き出した。

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