374 ちゃんとお世話するから
ハニトラの夜から数週間が過ぎた。その間に寒さはすっかり鳴りを潜め、春めいた陽気になってきている。
ゴーシュはデリカに全面協力し、なんとかデリカママから町の外での訓練の了承を得た。そこに行き着くまでに色々あったのだろうというのは、ゴーシュの顔に増えた青あざから察することができる。
デリカママって俺たちに対してはやさしいけど、ゴーシュに対してはあたりが厳しいよなぁと恐れおののいてると、当の本人は「これだけで済んでラッキーだったぜ!」と嬉しそうに語っていた。まあ本人がラッキーというならラッキーなんだろう。うん、きっと……。
ちなみに謝罪の意味を込めて、今度は絶対デリカに知らせないからと前置きした上でゴーシュを再びアイリスに誘ってみたのだけれど、顔を強張らせながら固辞されてしまった。
どうやらハニトラの傷は相当深いらしい。俺が大人になりゴーシュの心の傷が癒えた頃、もう一度誘ってみようかと思う。今回は本当にゴーシュに迷惑をかけてしまったからね。
そういうわけで、ゴーシュにトラウマを作ってでもなんとかしてあげたかったデリカの夢――衛兵になるための特訓がついに始まった。
最初はゴーシュも森に付き添いをしたのだが、どうやら及第点はいただいたらしく、何度目かの特訓からはデリカが一人で森に入るようになった。
そうしてデリカが森に出かけるようになってから数週間が経ち、衛兵の試験も近づいてきたある日のこと。
俺がウチの厨房の隅で昼食を食べながら、木の精霊ディアドラにおやつ代わりの魔法キャベツをあげていた時だった。
ディアドラは魔法キャベツの葉を丁寧に剥がし、それを一枚ずつ口に中に放り込みながら俺に話しかけた。
「ぱりぱり……。ね、マルク。……デリカ最近、森の匂いがする……ね?」
「え? 森の匂い?」
「ん……。すごく、森の、いい匂い……するの……」
「あー。最近森に特訓に行ってるから、そこの匂いがするのかな?」
「ぱりぱりもぐもぐ……。そうなの……? いいな、デリカ、森に行く……いいな。……ね、マルク……私も、たまには森で……お散歩したい……。だめ……?」
「ん? ディアドラが行きたいなら、別に行ってきてもいいんだよ?」
俺としてもディアドラを俺の近くに縛り付けるつもりはない。以前のように畑を荒らすとかならまだしも、人様に迷惑をかけないようなら、森で散歩するなり庭で日向ぼっこするなり自由に行動してもらって構わないのだ。
だがディアドラはキャベツの芯までボリボリと音を鳴らして食べ終わると、しょんぼりと緑の髪の毛を
「近くの森、ゴブリンとかコボルト……いる。私が実体化すると、すぐにやってきて叩いたりひっかいたりしてくるの……。怖いの……。すぐに、実体化をやめて逃げないとなの……」
おっと、精霊なら平気なんだと思ったのだが、魔物はとりあえず人型なら精霊でも襲ってくるみたいだ。
そしてどうやらディアドラには、あまり戦闘力はないらしい。木の根を操れば近づいてくる魔物を締め上げるくらいは簡単にできそうだけど、ご覧の通りおっとりしているしな……。性格的なものなのかもしれない。それにしても――
「あの森にゴブリンやコボルトがいるの、知ってるんだね。もしかしてディアドラって、もともとあの辺りにいたの?」
俺の問いかけにディアドラはこくりと頷く。
「うん。私、あの森にいた……よ。それでね、お気に入りはね、コボルトがいる森の奥にある……小さな泉なの」
その泉のことを思い出しているのか、ぽわわんと楽しそうな表情を浮かべるディアドラ。
それってもしかしなくても、俺がセジリア草を採ってきた泉のあるところじゃないかな。俺とディアドラには以前から接点があったってことか。
精霊はマナに満ちた不思議な存在だし、そんな精霊が普段から泉にいたのなら、その影響で質のいい薬草が育っていたのかもしれない。
セジリア草には大変お世話になっているし、少しくらいディアドラに恩返しをしたいけど……。
「お兄ちゃん。ディアドラちゃんを森に連れていってあげたらいいと思うよー?」
俺の隣で父さん特製のオムレツを食べながらニコラが言った。
「わあ、ニコラ。ありがと、うれしいの……」
「でゅふふ、どういたしまして……」
わざわざ声に出していったのはディアドラの好感度稼ぎか。ニコラの加勢を得たディアドラが再び俺に懇願する。
「ね、ね、マルク。私、森にお散歩、行きたい……」
「んー。だけど母さんがなんていうかなあ」
俺としてはシュルトリアでセリーヌやエステルとたまに森で魔物狩りをしていたし、いまさらこの町の近くの森にビビったりはしない。だけど、やっぱり母さんの許可がないことにはな。
などと考えていると、食堂の入り口から母さんが厨房に入ってきた。
「マルク~。話は聞かせてもらったわよ~」
「えっ、母さん!?」
距離はわりと離れてるのにな! 耳良すぎだろ。
俺が母さんの地獄耳っぷりに驚いていると、母さんはお客さんが食べ終わった食器を流し台に置きながら、さらに話を続けた。
「そういうことなら、森に行ってもいいわよ~。ディアドラちゃんのお世話をするってマルクが自分で決めたんだから、マルクはちゃあんとディアドラちゃんをお散歩に連れて行ってあげないとね?」
拾ってきた犬の世話を渋る子供みたいなことを言われてしまった。
「それじゃあ森に行っていいの?」
「いいわよー。……あっ」
と、言ったところで、母さんがパンと自分の両手を叩いた。
「そうだわ! デリカちゃんの特訓についていくのがいいわ! 最近すごくがんばってるみたいだし、パパに頼んでおいしいお弁当を作ってもらうから、森で一緒に食べてきなさい、ね?」
なんだかピクニックみたいだな。でもまあ、デリカもあまり特訓で根を詰めるとよくないだろうし、そういう日があってもいいかもしれない。
案外母さんはそう思って、俺の外出の許可を出したのかもな。いろいろと気が利いたり勘が鋭い人だし。味覚が死んでいる以外はパーフェクトだもんね、うちの母さん。
母さんは細かい話はまた後でねと言い残し、再び食堂へとぱたぱた歩いていった。ちょっとお客さんが増えているみたいだ。俺も手伝いに行ったほうがよさそうだ。
俺は自分の食べ終わった皿を手に持ちながら、ニコラに念話を届ける。
『ニコラ、お前はどうする? 行くなら母さんは許可してくれると思うけど』
俺の念話に、ぺろりとオムレツを食べ終わったニコラが念話を返す。
『行くに決まってるでしょう。パパの特製お弁当ですよ? めったに食べられるものじゃありませんから』
弁当自体は教会学校に行くときに持たせてもらってるけど、デリカの分もとなると、たしかにいつもより豪華になる可能性がある。相変わらずこういうイベントは見逃さないヤツだね。
そういうことで、ニコラも森に行くことが決まった。翌日、デリカに同行の許可をもらったのだが――
「一緒に行くのは別に構わないし、お弁当はすごく嬉しいんだけど……私の特訓に行くんだからね? マルクが全部倒したりとかしないでよ?」
と、嫌な顔をしながら念を押された。
以前、森にジャックを探しに行ったときに、目につく魔物を全部倒しながら帰ったって話を聞いたからだと思うけど、さすがに今回はそんなことしないよ?
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