370 精霊風呂

「これで完成だよ。さっそくお湯を入れてみるね」


 背後の三人にそう伝え、俺は浴槽に手を向けた。


 手のひらから水魔法と火魔法の応用で作られたお湯が吹き出し、ドバドバと音を立てながら浴槽に流れ込む。自分の腕が水道管になったかのような気分になるが、さすがにもう慣れたものだ。


 大きめの浴槽を物ともせず、どんどんお湯が溜まっていく。やがて立ち込め始めた湯気に混じって、精霊の木独特の香りが漂ってきた。


「あら?」

「いい匂い……」


 カミラとパメラがくんくんと鼻を動かすと、気持ち良さそうに大きく深呼吸をした。苦手な匂いじゃないようでひと安心だね。しかし精霊風呂の真の力はここからだ。


「パメラ、ちょっと浴槽に手をあてて、魔道具を使うときのように魔力を込めてくれるかな?」


「う、うん」


 パメラがおっかなびっくりという風に、そっと風呂の縁に手を当て魔力を込める。


 すると、まだ明かり取りの窓もない薄暗い小屋の中が、一瞬ぼんやりと光った。慌てて手を引っ込めたパメラを微笑ましく見守っていたカミラが、何かに気づいたように呟く。


「あら……。匂いが少し強くなったかしら?」


「うん。そういう効果もあるみたいなんだ」


 この精霊の木は切り出した後も、このように魔力を込めると香りが強まることが判明したのだ。


 これはゴーシュにを作ってもらい、彼が見守る中で俺が半身浴しながら浴槽のテストを繰り返した成果である。


 おっさんに観察されながらの風呂には俺も少なからず心に傷を負ったけれど、万が一有害な物質が出ないとは限らない。


 そこで俺が体を張ることにした。俺なら回復魔法もポーションもあるしね。アイリスのみなさんにモニターしてもらいたいのは、あくまで浴槽の使い心地なのだ。


 魔力を込めると素材が再び活性化するようなので、腐食や汚れにも強いのではないかというのがゴーシュの推測である。


「後は実際にお風呂に入って、いろいろと感想を欲しいんだけど……」


「わかったわ。それじゃあウチの子たちを呼んでくるわね」


「……あっ、それで今日はお姉さんたちがたくさん控室にいたの?」


「そういうこと。今日マルク君がお風呂を持ってくるって言ったら、すぐにでも入りたいってね」


 カミラはパチンとウインクを決めると、ニコラを腰に巻いたまま店へ入って行き、しばらく待っているとすぐにお姉さんを三人引き連れて戻ってきた。


 一度に全員は入りきれないということで、これが第一陣らしい。その中にいたコレットが上機嫌に手を振っている。


「やあやあマルク君、さっきはどうも~。さっそくお風呂のご相伴に預からせてもらうよん」


「ニコラも一緒に入るんだよ!」


 さっきまでカミラに巻き付いていたニコラが、戻ってきたときにはコレットの腰へと乗り移っている。渡り鳥みたいなやつだな。


 そんなニコラを見てカミラが少しだけ寂しそうな顔をしたあたり、ヤツのセクハラはセクハラとは認識されていないらしい。相変わらず天性のアイドルっぷりだ。


 コレットはわしゃわしゃとニコラの頭を撫でながら、俺の隣に立つパメラに声をかけた。


「うんうん、一緒に入ろうね~。パメラちゃんも入るよね?」


「う、うん……」


「よおし、みんな一緒に入ろう! もちろんマルク君も!」


「えっ、いや、僕はいいよ」


「えー、なんで~? まずは作った人が一番に入ってくれないと私たちも申し訳ないよ~。前も一緒に入ってたんだし、いまさら恥ずかしいわけでもないでしょ?」


「僕は別に気にしないけど……」


 俺はパメラに視線を向けると、パメラの顔は真っ赤なゆでダコのような仕上がりとなっていた。これまでパメラの赤面を何度も見てきたが、これ以上ないS級の赤面である。


「マ、マルク君が作ったのなら最初に入るのは当然だし、わ、わわ私だって気にしない……よ?」


 目をぐるぐる回しながら、なぜだか強がるパメラ。どうしたものかと考えていると、カミラが連れてきた女性陣にいた、これも顔見知りのお姉さんであるエルメーナが助け舟を出してくれた。


 エルメーナはパメラの傍に立つと、そっと耳打ちをする。


「パメラちゃん、いつも言ってるでしょ? 勇気を出して殿方に迫ることも大事だけど、時には引くことも覚えなきゃ。安っぽい女になっちゃだめよ?」


 耳打ちをしているエルメーナの声が普通に聞こえてくるのは、俺の耳が良すぎるのか、それとも意図的に聞かせているのか。

 

「エルメーナお姉さんが……言うなら……」


 ぼそぼそとエルメーナに耳打ちを返したパメラが俺に向き合い、言いづらそうに口を開く。


「あの、マルク君、今回は……」


「うん、わかったよ。みんなでお風呂楽しんできてね」


 コクリと頷くパメラにコレットがぶーぶーと声を上げた。


「えーつまんなーい。パメラちゃん、この際ばっちり見られてキセージジツってやつを作っちゃいなよ! それが一番手っ取り早いって! ……って、あっ、そういや既に見られてるんだっけ?」


 以前アイリスで風呂を披露した時は、パメラはのぼせてしまい色々と大変だった。その時のことをぶり返されて、パメラの顔が再び真っ赤に染まる。


「コレット~?」


 エルメーナが低い声を出すと、コレットが慌てたように早口でまくし立てた。


「あっ、あっー。それじゃ今日は女の子だけで入ろう! ごめんねマルク君、また後で!」


コレットがシュタッと手を上げて、ニコラと共にそそくさと風呂小屋へと入っていき、苦笑しながらエルメーナ、さらに残りの女性陣が続いて入り、俺が庭にぽつんと残された。


 風呂小屋の扉に向かって声をかける。


「外で待ってるから、なにかあったら教えてね」


「はいはい、りょうかーい。……ねえねえパメラちゃん、ちょっと言い過ぎたよーごめんねー? おわびに私が体の隅々までキレイにしてあげるから! ちょっとお高い石鹸を持ってきたんだ~」


 扉越しにコレットの声が聞こえた。そしてそのまましばらくその場で突っ立っていると、ニコラから念話が届く。


『やろうと思えばゴリ押しでいけたのに……。きっとこれがアイリスで混浴できる最後のチャンスでしたよ? この機会を逃すなんて、私には信じられない行動ですよ』


 そりゃ俺だってむさいおっさんに見守られながらの行水ぎょうずいの記憶を上書きするためにも、美人と一緒に風呂に入りたいくらいの気持ちはあるけど――


『前はなりゆきだったし、さすがに恥ずかしがるパメラと一緒というのはかわいそうだからね。それより風呂で想定外の出来事が起こった時にはすぐに知らせてくれよ』


『よござんす。私はもうすっぽんぽんで浴室でスタンバイ済みですが、ちょうどこれから一糸まとわぬお姉さん方がこちらに入ってきますし、私が実況してさしあげましょう……きたっ! ――全選手入場!!』


 いやそれは別にいいんだが、と言うよりも早く、ニコラは頭に響く大声を念話に乗せた。


『ショタ殺しは存在していた!! 更なる研鑚を積みたわわなおっぱいが甦った!!! ロリ巨乳! コレットだァ――――!!!』


『スレンダー美女はすでに我々が完成している!! アイリス指名ナンバーワン、エルメーナだァ――――!!!』


『組み付きしだい撫でまくってやる!! 引き締まったお尻が魅力、シャロンだァッ!!!』


『バーリ・トゥード(なんでもあり)ならこいつが怖い!!

アイリスのピュア・ファイター パメラだ!!!』


『デカァァァァァいッ説明不要!! バスト103cm!!! アンリだ!!!』


『女主人が帰ってきたッ どこへ行っていたンだッ チャンピオンッッ 私達はママを待っていたッッッ アイリスの頂点、カミラの登場だ――――――――ッ』


 ニコラの熱気のこもった念話に、なんだか頭が痛くなってきた。なにがこいつをそこまで熱くさせるのか。


『――ごめん、報告は中で問題が起きたときだけでいいから。俺、少し離れて休んでるね』


『ここからが盛り上がるのに!』


 俺は庭の木陰で座ると、背中をぐったりと幹に預けた。意図的に念話を防ぐ方法も、そろそろ開発したほうがいいかもしれない。



 ◇◇◇



 風呂小屋から人が出てくる気配で目を覚ました。どうやらいつの間にか寝てしまったらしい。


 俺は起き上がり、湯上がりでほかほかの女性陣に声をかける。


「みんな、お風呂どうだった?」


 俺の言葉に女性陣は顔を見合わせ――一斉に声を上げた。


「もうっ、最高よ!」

「すごく気持ちよかったー!」

「ずっと入っていたいくらいだよ!」


 声を上げないパメラもコクコクと首を縦に振っている。今回は風呂をまともに満喫できたようでなによりだ。カミラが念を押すように尋ねる。


「マルク君、今回はポーションは入れてないのよね?」


「うん、今回は浴槽には凝ってみたけど、お湯は普通に僕が魔法で出しただけだよ」


 水魔法で出したから多少成分は違うかもしれないけれど、普通の水を魔道具で沸かしても、そんなに変わりはないだろう。もちろんテスト済みである。


「ということは、あの木からなにか体に良い成分が出ているのかしら? 前とは違う感じなんだけど」


「そうそう、前のが体になにかが染み渡っていく感じだとすれば、今回のは疲れとかが少しづつ抜け出ていくような?」


「わかるー! 長く入るなら今回のほうがいいくらいだよね!」


 お姉さん方が口々に感想を言い合う。


 俺の場合はおっさんに見守られながらの行水だったのでストレスしか感じなかったけれど、どうやらお姉さん方にはポーション風呂とはまた違う感じで、疲労回復効果があるように感じられたようだ。


 俺がおおむね好評な意見に胸をなでおろしていると、カミラが火照った頬に手を添えながら大きく息を吐いた。


「ふう~……。それにしても本当に気持ちよかったわね。これって商売にもなりそうだわ。お風呂屋さんなんてどうなのかしら?」


『カミラママがお風呂屋さんって言うと、なんだか別のサービスを想像してしまいますな。ぐっふっふ!』


 満足したらしくテカテカした顔をしたニコラから残念すぎる念話が届いた。こいつ元天使だったよな……? 最近はそれすらも疑わしい気がしてきている。


 俺が人知れずため息をついていると、コレットが暑いのか胸元をぱたぱたとあおぎながら近づいてきた。


「いやー、ほんとすごいよマルク君。パメラちゃんには悪いけど、やっぱり私もパメラちゃんの次でいいからマルク君の彼女に立候補しちゃおうかなー。あー、でも他にもライバルがいそうな気もするなー」


 風呂待ちのお姉さん方を呼びに行っているパメラが聞いたらまた赤面しそうなことを……。俺の中で失言お姉さんとしての地位を確立しつつあるコレットは、なにかを思い出したかのようにポンと手を叩いた。


「あっ、そうそう、前から聞こうと思ってたんだけど、たしかマルク君ってデリカちゃんと幼馴染なんだよね?」


「えっ、デリカを知ってるの?」


 むしろコレットと接点があるのが意外なんだが。


「知ってるよー。ちょっと前に買い出しに南地区の店に行ったらしつこいナンパに絡まれちゃったことがあってさ、デリカちゃんに助けてもらったことがあるんだよね。それから親しくなって、たまに顔を合わせるときに世間話する仲になったんだよ。マルク君の幼馴染だってわかった時はビックリしたけど」


 そんなことがあったのか。まあデリカも道場で鍛えてるし、素人さんをあしらう程度は平気でやれるだろう。それにしてもウルフ団で巡回していてトラブルに巻き込まれたことなどないのに、珍しいこともあったものだ。


「デリカちゃんと言えば、今年は衛兵試験に挑戦するんでしょ? なかなか難しそうな内容だって少し悩んでるようだったし、幼馴染なら応援してあげなよー?」


「えっ、悩んでるってどうして?」


 デリカがそういう素振りをしてるのを見たことはない。俺が衛兵試験について尋ねても、問題ないわよとそっけない態度だったんだけど。


「えっ、やば。これ言っちゃダメだったのかな」


 コレットが慌てて口を噤むがもう遅い。それから俺はコレットに衛兵試験について詳しく聞くことにした。



――後書き――


 前回のアイリスでのお風呂シーンは書籍二巻に収録されております。この機会に二巻をお手に取っていただければ幸いです。女装マルクの挿絵もありますよ\(^o^)/

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