318 二人っきりで

「ト、トライアン様……」


 なんとか冷静を装い、俺は素早くタオルで前を隠す。前を隠したことにトライアンが残念そうな顔を浮かべたのは気のせいだと思いたい。彼はノンケだもんな、うんうん。


「……あの、どうしてここに?」


 来客用に大浴場が男女で一つずつ。それとは別に伯爵家には個人風呂があると聞いている。俺の問いかけに、トライアンは座っているとうを編み込んだような長椅子に手をつきながら答えた。前は全開だ。


「君は使用人を付けるのを断っただろう?」


 着替えや入浴の世話をする使用人を付けると言われ、当然の如く断ったのだ。セリーヌたちも断っていた。世話をされながら入る風呂なんて落ち着かないし当然だろう。それがどうかしたのかと、俺は首を傾げてみせた。


「だからだよ。君とになるには、ちょうどいい機会だと思ったんだ。こう見えてもなかなか忙しい身でね、今を逃せば次はいつになるか分からなかったのさ」


「は、はあ……」


 曖昧に返事しつつも、俺の頭の中では非常ベルが鳴り響いている。これは緊急事態だ。ヤバいヤバいぞ。ノンケだと思わせておいて不意打ちをかましてきたぞ!


 さすがにお触り以外はないはずだと信じたいけれど、こんな所で素っ裸で二人っきりになって無警戒でいるほど俺は平和ボケしていない。ここは男湯で男の来客は俺だけだ。今頃セリーヌたちは当然女湯に入っているだろうし、誰の助けも期待できない。


 そんな俺の焦りをよそに、突然トライアンは長椅子から立ち上がった。大変お見苦しいものが俺の目の前におどり出て、一瞬意識を失いそうになる。


「さあ、君もずっと立っていないで一緒に風呂に入ろうか。ここの浴槽はとても広いだろう? 個人風呂より広くてね、私もたまにこちらに入ることだってあるくらいさ」


 くるりと背を向けたトライアンは、引き締まった尻をツンと持ち上げて見せつけるようにモデル歩きをしながら浴槽へ歩いていった。なんともサマになっているのが逆にイラっとするね。


 俺はいざとなったら逃げられるように頭の中で作戦を練りながら、美尻イケメンの後をついて行く。


 複雑な模様の彫り込まれた手桶を使って体にお湯をかけ、陶器のようなつるんとした白い浴槽の中に足を踏み入れた。お湯にも白い入浴剤が入っているようで、とてもいい匂いがただよっている。


 そういえばお湯の中にポーションを入れたりはしたものの、香りには無頓着だったな。このアイデアは是非ともいただきたい。ファティアの町に戻ったらギルに相談してみよう。なにか良い香料を知っているかもしれない。


 ――なんて現実逃避をしながらも、トライアンとは二メートルくらいの間隔を空けて俺も湯船に腰を下ろす。何かあればギリギリなんとかできるであろう距離だ。


「あの、それで僕に何か御用があるのでしょうか……」


「ふふ、アイリスで話した時から、君がとてもさといことには気づいているよ。……私の目的はとっくにんじゃないのかい?」


 そう囁くと、トライアンは口元に妖艶な笑みを浮かべた。そしてゆっくりと俺の方へとにじり寄って――


 ――よし、ろう。……じゃなかった、ここはマジックドレインだ。アレで意識を失わせれば、きっとお湯にのぼせたとでも思ってくれることだろう。その後で俺が何食わぬ顔で使用人を呼びに行けばいい。


 などと覚悟を決めたところで、トライアンの動きがピタリと止まった。


「ははっ、少しからかいすぎたようだね。君の力にが視えるよ」


 妖しい雰囲気を霧散させたトライアンは、苦笑をしながら俺の頭上あたりを指差す。


 どういうことだろう。俺はまだマジックドレインを発動させてはいない。マナも外には放出されていないはずだ。


「ゆらぎ、ですか?」


「ああ、とは言っても魔法使いがマナを視るような物とは違う。私はそういうギフトを授かっているのさ」


「ギフト……」


「『審美しんびの魔眼』と呼ばれているものだ。人に備わっている魔力や活力、他にも色々混ざりあったものが、様々な色や形を伴って視える。ただそれだけのギフトだよ」


「あの、それ言ってしまってもよかったんですか?」


「構わない。人の個性を他の人よりひとつだけ多く視ることができるだけさ。経験からさっき君が何かをしようとしたことくらいはわかったけれどね? ちなみに娘も同じギフトを授かっているんだよ」


 ギフトには様々な物が存在するけれど、家族で同じ物を授かることもあるのか。――ああ、だからリアーネは俺とニコラが似ていると言ったのかな。俺とニコラは天界で魂をこねくり回されたみたいだし、力の本質が似ていても不思議ではない。


 俺から距離を取ったまま、トライアンは浴槽に深く腰を下ろした。


「さて……。まずは誤解を解いておこうかな? 私は君には手を出さないから安心してほしい。私の名に賭けて誓おうじゃないか」


「そ、そうですか」


 完全に信用することは出来ないが、胸に手をあてながら宣言したその言葉を今は信じたいところだ。俺が軽く息を吐いたのを見たトライアンは愉快そうに笑う。


「ははっ、ギクシャクしているとは思っていたが、やはりのを警戒していたんだね? 君はとても物知りのようだ。それとも平民はみな耳年増なのかな? ここには君より少し歳上の使用人もいるが、私が少し触れたくらいでは恐縮するかキョトンとするばかりで、君みたいに怯えることはないよ。……ああ、そういえば君の妹も、リアーネに対して同じような反応をしていたね。実に興味深い」


 俺がトライアンにビビっていたのはお見通しだったらしい。そうは言っても生理的な反応には子供の振りも難しいしなあ。そこまでの演技力は俺にはないし、どうやらあのニコラですら浮いて見えたようだ。


「もちろん一番興味深いのはもちろんマルク、君だがね。……やはり君から視える力の波動は非常に美しい。君の妹も色や形が似てはいるけれど、私には君のほうが好ましいね……」


 トライアンは俺の全身を眺めると目を細め、まるで美しい美術品でも鑑賞しているような恍惚とした表情を浮かべる。自分で言っててなんだけど、本当にそう見えた。


「初めて君をアイリスで見かけた時は、女装をしながらコソコソと仕事をしている子供がいるな程度だったんだ。だが気まぐれに魔眼の力で覗いてみると、その美しい力の波動に驚いてね。無理を言って君に席に着いてもらったわけさ」


 あの頃から俺に目を付けていたのか。というか女装のことはもう忘れて欲しい。


「あの完成度の高い石玉にも興味を惹かれた。あれを見て、君に魔法の才能があることはすぐにわかったよ。そんな子供を目の前にしたら、ついつい構ってしまうのも仕方ないだろう?」


 トライアンは大げさに肩をすくめて見せるが、構われたほうの身にもなってほしい。貴族に体を狙われるとか洒落にならんからな。


 俺が何も言えずに頬を引きつらせると、更にトライアンが言葉を続ける。


「そうそう、石玉と言えば……。あの石玉を娘に見せたら、対抗意識を燃やしてしまってね」


「えっ、どういうことですか?」


「実は娘も魔法に興味を持っていてね。私よりは才能があるようで日々研鑽を続けているのだけれど、同い歳にもかかわらず技量が格段に違うその石玉を見て、驚きと共に己の不甲斐なさを感じたみたいなんだ。それからというもの、暇さえ見つければ石玉を作っているよ。今はまだいい感じにいびつなので、庭園で使う砂利の代わりに利用させてもらっているんだけどね」


 なるほど、夕食の時に見た不機嫌な顔つきはそういうことか。でも俺は努力する子は嫌いじゃないよ。きっと良い子なんだと思う。


「それでね、ここからが本題なんだが……。明日以降、娘は君たちに付いてまわるわけだけど、できることなら仲良くしてやって欲しいんだ。社交界デビュー前のこともあり、同い歳の子供と会話を交わす機会がなくてね。この機会を大切にしたいと思っている。別に貴族だからと特別気にかける必要はない。ただ、君たちの滞在中だけでも、娘を同い歳の友人として扱ってほしい。……お願いできるだろうか」


 今まで見せたことのなかった、まさしく我が子を見守る親のようなやさしい眼差しでトライアンが俺に願いを伝える。そこには貴族として命令するような威厳は見えず、ただただ、娘を案じる父親としての姿があった。


 そういうことなら俺としても温かく見守らせてもらおう。まあ俺よりもニコラのほうが大変だと思うけどね。俺が返事と共にコクリと頷くと、トライアンは満足そうに浴槽に背を預けた。


「ありがとう。……さて、言いたかったことは以上かな。後はのんびりと他愛もない話でもしながら湯を楽しもうじゃないか」


「そうですね」


 俺は肩の力を抜くと、トライアンと同じように浴槽にもたれかかった。俺としてもアイリスで彼の話し上手なところは好感が持てていたし、せっかくだから色々とお話を聞いちゃおうかな――


「あっ、そうそう」


 思い出したようにトライアンが声を上げる。


「私から手を出すことはないけれど、君さえ良ければいつでも言ってくれたまえ。妻からの遺言で本気でない限り女性には手を出すなと言われているんだが、少年と遊ぶことは禁じられてはいないんだ」


 そう言うとトライアンはパチンとウインクを決めた。そういやノンケとは一言も言ってなかったわ。もうやだこの領主。

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