298 追走

『飛ぶよっ!』


 俺はそれだけを念話で伝え、柵を飛び越えた勢いのまま地上に向かってダイブした。


 高所からの飛び降りはエステルとのボルダリングトレーニングで何度もやったことだし、むしろ屋上からならボルダリング壁よりも低いくらいだ。ニコラを背負ったままでも全く動きに支障はないのだがーー


『ふぎゃああああああああああああああ!!!』


 ニコラが未経験なことをすっかり忘れていた。脳内にニコラの絶叫が響く中、地上付近で浮遊レビテーションを発動させる。


 スタッ。


 軽い足音を立てて地面に降り立つ。背中のニコラはそれはもうくったりぐったりとしていた。


『ごめん。怖かった?』


『……屋上に上がる前に、ちゃんと出しておいてよかったです……』


 何を? とは聞くまい。次の機会があればもう少しホバリングを効かせながら降りよう。そう反省し、俺は光球を頭上に浮かべるとニコラを背負ったままルモンを追いかけることにした。エーテルで身体が強化されているので、運動不足のニコラを降ろして一緒に走るよりも間違いなく速い。


 しかし俺の行く先に、片手斧を構えた野盗が立ち塞がった。


「クソガキィ! じっとしてりゃあ痛い目にあわずに済む――」


泥玉マッドボール


「――は? ごぼぇっ!」


 俺は出会い頭に、水分をたっぷり含んだサッカーボールほどの泥団子を野盗にぶつける。泥玉を腹に思いっきり食らった野盗はくの字に折れ曲がりながら吹き飛んだ。


 殺傷能力は高くないけれど、戦闘不能にするだけならこれで十分だろう。正直いつもの石弾ストーンバレットよりも水魔法で水分を加える方が手間がかかってるのだが、ためらいもなく石弾ストーンバレットを野盗の土手っ腹に撃ち込んで「臓物をブチ撒けろ!」なんて言えるような心境には至れそうにない。


「……舐めプじゃないからね?」


 ゴロゴロゴロと転がったあげくにピクリとも動かなくなった野盗を横切りながら、背中の反応が気になってそれとなく呟く。


「はぁ、わかってますよ。私だって悪党とはいえ、躊躇ちゅうちょなく爆散させるようなお兄ちゃんなら少し引きますし」


 ニコラは軽く息を吐きながら答えた。わかってくれているようでなによりだね。


 もちろん人質確保のために逃走中のルモンには石弾ストーンバレットを撃つのはやぶさかではないのだけれど、残念ながら射線の先には馬車があるし、泥玉マッドボールを撃つには遠すぎた。


 俺はそのまま真っ直ぐルモンを追走する。だが既にはるか前方を走っているルモンにはなかなか追いつけそうにない。


 エーテルの影響でそこら辺の大人よりも足が速いはずなのに、ルモンはそんな俺よりも足が速い。おそらくニコラを背負わなくても追いつかないと思う。


 ――ルモンは追いかける俺たちに気づいたらしい。背後を振り返り、舌打ちでもしたのだろうか口を歪めると、持っていた松明をこちらに向かって放り投げた。


 火の粉を撒き散らしながらバウンドする松明を横に飛んでかわす。しかし一瞬視線を外した隙に、ルモンは月夜の闇に紛れるようにかき消えてしまった。それでも空間感知で位置は把握している。まっすぐに馬車に向かって走ってることに変わりはない。



 その後しばらく追走したが、やはりルモンに追いつくことは叶わず、先に馬車へとたどり着かれてしまった。そこでルモンの空間感知の反応が途切れる。ルモンが馬車の中に入ったのだろう。


 俺の空間感知は遮蔽物があると手間がかかり精度も鈍る。ここで頼りになるのがニコラだ。


 俺たちはそのまま距離を詰め、ゆっくりと馬車の前で立ち止まる。馬車は物音一つ立てることなく静まり返っており、代わりに近くでつけっぱなしの焚き火がパチパチと音を鳴らしていた。


『到着っと。ニコラ、中の様子はどうかな?』


『……』


 ニコラから返事はない。


『ニコラ?』


『あ、はい。しかし、これは一体……?』


 戸惑っているような念話が届く。ニコラの様子がおかしい。


『どうしたの?』


『馬車の中に一つの反応があります。これは御者のギャレットだと思うのです。ただ、反応がそれしかありません……』


『え? 反応が一つだけなの?』


『はい、さっきまでのルモンの反応とは違いますし、馬車の中にいるのはギャレットで間違いないと思うのですが』


『それじゃあルモンがどこかに消えたってこと? お前の感知をかいくぐって?』


『……残念ながら、そういうことになります』


 声に悔しさを滲ませるニコラ。俺の空間感知は気配を絶つことができる者なら逃れられることは知っている。エステルなんかはよくクセで気配を絶ってるし、これは今更なことだ。


 しかしニコラのギフトによる感知は空間感知以上の性能であることも俺は知っている。森の中でも的確にゴブリンやコボルトを捉え、入り組んだ炭鉱の中でさえラックとジャックの居場所を把握したのだ。


 どんな相手だろうと確実に位置を捉えることができると思っていたのだが、ルモンは思っていた以上に手練れだったのだろうか。思わぬ展開に、額からじっとりと冷たい汗が流れるのを感じた。


『とにかく垂れ幕を開けるしかないね』


『……そうなりますね』


 ニコラは俺の背中から降りて少し後ろに下がる。俺は物音を立てないように、そっと馬車の入り口にかかった革の垂れ幕を上に持ち上げた。


 そこには両手両足を縛られた上、さるぐつわをされたギャレットが転がされていた。気絶しているのだろうか、身動きひとつしていない。


「ギャレットおじさん、大丈夫?」


 俺は馬車の中に駆け登り、ギャレットの容態を確認しようと――


「――シャアッ!」


 俺の背後から甲高い声が響き、反射的に振り返る。馬車の物陰から躍り出たルモンが俺の足元に剣を振り下ろす姿が眼に映った。


 バリンッッ!


 ガラスが割れるような音と共に、ルモンの剣は腕ごと弾けるように跳ね上げられる。


「なっ!?」


 ルモンが驚きの声を上げた。これは銀鷹の護符の効果だ。相変わらずの初見である。


 だがルモンは俺が攻撃を防いだことに一瞬面食らったものの、そのまま流れるように後退するとニコラの首根っこを掴み――


「くぺっ」


 ニコラが気が抜けたような声を漏らす。そしてルモンはニコラを半ば引きずりながら更に距離を取ると、ニコラの首筋に剣を添えて勝ち誇るように口の端を吊り上げた。

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