277 シュルトリア長老トリスさんの話
シーニャを孫夫婦の家に送り届けた後、俺は自宅へと戻ってきた。まだ冬本番とまではいかないが、それでも寒いものは寒い。俺は寒さに肩をすくめながら玄関の扉を開け、滑り込むように家の中へと入った。
――バタン
玄関の扉を閉め、ほっと息をつく。暖房をつけたまま出かけたので、家の中は暖かい。俺は防寒具を脱ぎながら足元の床に目をやった。そこには外出する前と変わらぬ様子で、ボロボロに焼け焦げた男が仰向けになって倒れている。
「はぁー……。やれやれ」
ディールのバカはまだ目を覚ましていないようだ。焦げているし引きずったせいで泥まみれなので、ベッドを使わせてはいない。家に入れてやっただけでもありがたく思って欲しい。
ふざけた髪型をして気絶しているディールを見ていると、セリーヌに頼まれたとはいえ、どうして俺がこのバカの世話をしなければならんのだと、今更ながら苛立ちを覚えた。……もういい、さっさと起こして帰そう。
俺は懐からマルクに預かったポーションの小瓶を取り出し、それをディールの頬に少量かけてやった。
「ほう……」
思わず感嘆の声が漏れた。セリーヌの見事な手際で傷は浅いとはいえ、それでも少なからず負っていた火傷が、まるで時間を巻き戻したかのように消えていく。
ノーウェルの欠けた脚を治したというとんでもない話を聞いてただけに、あの歳でこの品質のポーションが作れたところでなんら不思議ではないのだが、それにしてもあいつは本当に底の知れない子供だった。
半日で村に公園を作り上げ、単独で特殊個体を倒し、あっという間にポータルストーンを二個作る、十歳にも満たない子供――仮にもし俺がマルクと会わずに他人からこの話を聞いたとしたら、良くてホラ吹き、悪ければ頭がおかしくなったとしか思わないだろうな。
俺は久々に楽しめたこの数ヶ月の出来事を思い出しながら、ディールの目立った傷にポーションを少しづつ垂らしていく。そして殆どの傷を治し終えた後は、瓶を逆さまにして残りの全てをディールの顔にぶっかけてやった。
「――うっ。……ッ! ゴボッゴフッゲボッ……オエッ!
すぐに目覚めたディールは口と鼻から汚いものを垂らしながら、陸に上がった魚のように体をビタンビタンと跳ねさせた。ああ、そういや拘束したままだったな。
あの動きを見るからに、ポーションは本当に良く効いているようだ。このバカに使うよりも、愛らしい我がひ孫のシーニャのために取り置いたほうがよかったか?
俺が若干後悔をしながら拘束を解いてやると、ようやく呼吸を整えたディールが袖で顔を拭いながら弱々しい声を漏らす。
「ゲボッ、オエッ、ハァハァ……今度こそ、し、死ぬかと思ったぞ……」
「治療してやったんだから感謝しろバカ」
「どうせならもう少し丁重に……。いや、それよりもトリスよ。……セリーヌはもう行ったのか?」
「ああ、少し前にな。……今から全力で追えば、まだ追いつけるかもしれないぞ?」
俺は椅子に座ると、床にあぐらをかいているディールを見下ろしながら問いかけた。ディールは俺から目線を外すとボソリと呟く。
「……もう追わん」
「……そうか」
さすがに今回、マルクに自分の常識をぶっ壊された直後にセリーヌに振られたのは堪えたようだ。今までなら間に合わずとも、とりあえず復活するとすぐに追いかけようとしていたからな。
「なあ、ディールよ」
「うん? なんだ」
「お前もそろそろ……諦めてだな、一度見合いでもしてみたらどうだ?」
俺の言葉を聞いたディールはポカンと口を開け、それから顔をしかめたかと思うと、とっさに俯き表情を隠した。
それから少しだけ待ってやったが、ディールは一向に顔を上げようとはしなかった。
こういうものは気持ちが落ち着くまで待ってやったほうがいいのかもしれないが、俺はまだるっこしいのが嫌いだ。そこでもう一度問いかけようと身を乗り出した直後、突然ディールが顔を上げた。その顔にはいつもの自信満々の笑みが張り付いている。
「ふん……、そうだな。それもいいかもしれんな。ただ、この俺と釣り合うほどの女がいるかどうか……そこが問題だ」
ディールは偉そうに顎に手を添えながら答えた。やれやれ、いちいち面倒くせえヤツだ。……まぁいい。俺はさっそく見合いの計画について説明することにした。
「ここから少し離れているが、俺の知り合いが住んでいる村がある。そこと連絡を取ってみよう。セリーヌは気が強かったからな。バカなお前でも立ててくれるような気立てのよい娘を見繕ってもらうとするか」
こいつもそれなりに反省をしているようだし、能力だけはあるからな。いい女を伴侶にすればこれから化けるかもしれん。俺も長老の一人として、こいつにはしっかり村のために働いてもらいたいとは思っている。
「ハッ、俺は別に従順な女でなくても構わん」
「そうなのか? ああ……、お前はああいう気が強い女が好みだったのか。まぁそういうのが好みなら――」
「悪くはないと思うが……そういうことではない」
「それじゃあ顔の好みがあるのか? しかしな、俺たちはそこそこ長命の種族だ。俺の経験談だが、顔なんてすぐに慣れるもんだぞ? それよりも性格が合うか――」
「違う」
「なんだ? もったいぶりやがって。……チッ、童貞は本当に面倒くせえな。ハッキリ言ってくれよ」
「どどどどど童貞ではない! 俺のような天才と釣り合う女がいなかっただけなのだ!」
「それって結局……いや、いい。それで? 結局どういう女が好みなんだ?」
ディールは口を尖らせると、顔を赤らめながらごにょごにょと答えた。
「う、うむ……。あの、あれだ。その……む、胸だ」
「胸?」
俺が聞き返すとディールは意を決したように俺を見上げ、大声で叫んだ。
「一番胸の大きい娘で頼む! 後は会ってから決める!」
そこまで言い切ると、ディールは耐えきれなくなったように腕で顔を隠した。たしかにセリーヌも胸は大きかったが、こいつ……。なるほどねえ、そうだったのか。俺はニヤつく顔を隠そうともせずディールに話しかけた。
「ふ~ん、胸ねえ? シュルトリアの天才様が巨乳好きだったとはねえ。いやー、さすがいい趣味を持っていらっしゃる」
「ちっ、ちがっ! 俺は女の胸に神秘や包容力を感じてだな! 俺のような天才には安らぎも必要不可欠であって……!」
「確かにセリーヌは大きかったもんなあ~」
俺は自分の胸を下から押し上げて持つような仕草をしながら、ディールの顔を覗き込む。ディールの長い耳は腫れ上がったかのように赤くなっていた。
「う、う、うるさい! ど、どうなんだ! いるのか! いないのか!? 早く答えろ!」
ディールは顔を隠したまま、早口でまくし立てる。……やれやれ、童貞をからかうのは、この辺で止めておくとするか。
「へへ、からかって悪かったな。だがな、俺もずいぶんあっちの村には顔を出してないから、どんな娘がいるかは知らん。とりあえず
「そ、そうか。それじゃあ任せたからな!」
ディールは急いで立ち上がると、俺の返事を待たずに家から飛び出して行った。あんなに照れることもないだろうに。バカの意外な一面を見た気がするぜ。
……そういえばマルクは下ネタは案外平気だったよな。あれは何も知らないというよりも知っていてスルーしてるように俺には見えた。本当によくわからない子供だったよなあ……。
気がつけば、俺は再びマルクのことを思い返していた。……やれやれ、印象が強すぎて、しばらくは何かにつけて思い出しそうだぜ。
しかし今は村を出ていった子供のことよりも、近くのバカのことを考えてやらないとな。俺は椅子から立ち上がると、便箋を探しに部屋の奥へと足を向けた。
◇◇◇
しばらくしてディールの釣書を書き終えた。もちろんそこに「バカ」と「巨乳好き」と書き込むことは忘れなかった。果たしてこの釣書を見て、立候補してくる者がいるかどうか……。物好きな女が釣れることを祈るしかないな。
俺は釣書を机の端に置くと軽く肩を回し、次は知り合いに送る手紙の書き出しを考えるべく、頭をひねることにした。
――後書き――
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