212 光曜日の朝

 初めてのキュウリの出店が大成功に終わった翌朝。


 今日は光曜日、トリスの授業が行われる日だ。それに合わせてエステルの手伝いも休みにしてもらっているので、今朝はいつもよりゆっくりと目覚めた。


 隣のベッドでは未だにニコラがスピスピと寝息を立てている。ついつい起こしたくなってくるが、朝食を作り終えるまでは決して起こすなと言われているのだ。


 うっかり起こしてしまうとしばらく機嫌が悪くなるのもわかりきっているので、俺はベッドからそっと起き上がると、なるべく足音を立てないように厨房へと向かった。


 厨房に入ると目の前の調理台の上に白パンを二つ置き、パンの真ん中に切れ目を入れた。そこに輪切りにしたキュウリと昨日交換した茹でたてのソーセージを挟んでマヨネーズをかけると白パンサンドの完成だ。


 うん、我ながらかなりの手抜きだとは思うけど、朝食には十分だろう。……でもケチャップがあればもっと美味しいかもしれないな。今度交換してもらうことにしよう。


 その後はレギオンシープのミルクをコップに注ぎ、朝食の準備は終了した。さて、ニコラを起こすか。



「おーい、ニコラ。起きなー」


 ニコラの肩を揺すりながら声をかける。するとニコラは薄いタオルケットを巻き込みながら横になり、ダンゴムシのようにくるっと丸まった。


「……今日は久々の休みなんですから、もっと惰眠を貪らせてください。せめてあと十分……」


「お前ね、そういうので十分で済んだことないだろ?」


 俺が呆れながらベッドに腰掛けると、タオルケットの中からニコラの声がモゴモゴと響く。


「それはお兄ちゃんの体内時計がおかしいだけで、実際には十分も経っていないと思います~……」


「ふーん。そういうことならトリス先生に頼んで、時計を作ってもらおうか?」


 この世界には時計が無いわけではない。時計自体が個人で持つには高価なことと、時間を知らせる鐘の音だけでも特に不自由なく生活していけるので普及していないだけなのだ。


「ううっ、分単位で管理される生活はまっぴらゴメンです。わかりました、起きます、起きますよ、グッバイ惰眠……」


 無駄なあがきを止めたニコラはタオルケットからもそもそと抜け出すと、顔を洗いに厨房へとトボトボ歩いて行った。



 ◇◇◇



 ニコラは俺の手抜き朝食に文句を言いながらもなんだかんだで完食。そうして朝食を食べた後は畑仕事だ。


 昨日畑仕事をした時に予感はあったんだけれど、トマトとキャベツが収穫出来るほどに育っていた。やはりポーションの残り湯の効果なのだろう、普段よりも成長が早い。


 さっそく育った野菜をアイテムボックスに収納し、手伝うことなく外のベンチで日向ぼっこをしていたニコラに声をかける。


「これからエステルの家に野菜のおすそ分けに行くけど、一緒に来る?」


「うーん、エステルに会って好感度を高めておきたいところですけど、あそこはもうTHE職場! って感じなので、オフの日にはあまり近づきたくないんですよねえ……」


「それじゃ留守番してる?」


「そうですねえ……。セリーヌのところに行って、エクレインママと一緒に二度寝をしてくることにします」


 まだ寝るのかと思わなくもなかったけれど、この三日ほどは朝早くからニコラなりに頑張ったのだろうし何も言うまい。


「それなら今日は昼過ぎにトリス先生の授業に行くから、魔力供給は昼食前にやるってセリーヌに言っといてね」


「フヒヒ、午前中から乱れたセリーヌが見られるんですね。了解です」


「頼んだよー」


 俺は薄ら笑いを浮かべたニコラに背を向けると、一人でエステルの家を訪ねることにした。



 ◇◇◇



 エステルの家に到着し玄関の扉を開けると、ちょうど物々交換を終えて家に戻っていたらしいエステルとばったり出会った。


「あれ? マルクどうしたの? ……あっ、もしかして遊びにきてくれたのかな!?」


 エステルがパアアァァと喜びいっぱいの顔を浮かべながら俺に駆け寄ってくる。……うっ、なんだか申し訳ないな。


「ごめんね。今日は用事があって来たんだ。スティナさんたちは家にいるかな?」


「そうなんだ、残念……。ふたりとも厨房にいるよ、呼んでこようか?」


「ううん、自分で行くよ。ちょっとお邪魔してもいい?」


「もちろんいいよ! ほらほら入って!」


 少ししょんぼりとした様子のエステルだったが、俺の手を握るとそのままニコニコしながら厨房へと案内する。もう何日か通った家だし、案内は別にいらないんだけどな。まぁ、エステルが楽しそうだからいいか。


 厨房に入ると身重のスティナが椅子に座りながら野菜を包丁でザクザクと切り、奥ではエステル父のミゲルが明日の仕込みらしいスープを大鍋で煮込んでいた。


 こういうのを見ると実家の厨房の風景を思い出すなあ。共鳴石で毎日連絡をしているからか、ホームシックのようなことは無いけれど、できるだけ早く帰りたいなとは思う。


「あら、マルク君。どうしたのかしら?」


 包丁を動かす手を止め、スティナが俺に向き直った。


「こんにちはスティナさん。これウチで採れた野菜なんだけど、よかったらもらって欲しいな」


 そう言いながら幾つかのキャベツとトマトを調理台の上にドサリと置いた。


「あら、あのキュウリとか言う野菜がたくさん売れたことはエステルに聞いたけど、他にも野菜を育ててたのね。でもウチで使うよりもマルク君が出品したほうがいいんじゃない?」


「ううん。これはちょっと売り物に出来ない理由があって……」


 するとスティナはわざとらしく手を口に当て、驚いたような表情を作る。


「まぁ、売り物にならないような物をウチに持ってきたの? ……なんてね、フフフ。なにか事情があるのね。とりあえず試食させてもらっていいかしら?」


「もちろんいいよ」


 俺の返事にスティナがトマトへ手を伸ばし、更に二本の手が伸びた。いつの間にかミゲルも近くに来ていたようだ。そしてエステルも含め三人が同時に魔法トマトをパクリと口にする。


 すると最初に口を開いたのはエステル。


「うわっ、美味しい……! こんなに美味しいトマトは初めて食べたよ!」


「……なるほど、これは魔法で育てているのね」


 スティナがトマトを咀嚼しながら感心したような声を上げる。


「そうだよ。僕の魔法の練習がてら、いつも畑にはマナを込めてるんだ」


「この村には魔法で野菜を育ててる人もいるけれど、こんなに味が濃厚で瑞々しいトマトは初めて食べたね。これを売り物にしないというのは、マルク君が村の農家に遠慮してのことかな?」


 ミゲルが眉尻を下げながら俺に問いかける。


「うん。自分で言うのもなんだけど、これが売れちゃうと他のが売れなくなっちゃうんじゃないかなって」


「ふむ……。確かにこれを売り物にしてしまうと、他の農家の人は大変かもしれない。でも、それは別に君が気にすることでもないんだよ?」


 ミゲルはそう言ってくれるが、俺はこの村でバチバチの売上バトルをやりたいわけでないのだ。答えは決まっている。


「キュウリを売るだけで十分生活出来てるから大丈夫。だからもらってくれる?」


 するとスティナが軽く息を吐きながら俺の頭をポンと撫でた。


「ほんと歳の割によく出来た子ねえ。さすがセリーヌが連れてきた子なだけはあるというか……。そういうことならありがたく頂くわね。……あっ、そうだ。代わりにエステルをあげよっか?」


「んなっ、スティナ! エステルにまだそういうのは早いだろう!」


 スティナの軽口にミゲルが慌てて声を上げると、エステルが呆れたように腰に手をあてる。


「それってボクとマルクが夫婦になるってこと? お母さん、ボクとマルクは友達だけど、恋人じゃないんだからね?」


「そうだぞ! まだ早い!」


「やれやれ、十五歳だっていうのに、この子もまだまだお子様ね。まぁそういうことならお野菜だけ頂いておくわ。ありがとねマルク君」


「どういたしまして。それじゃあ今日はもう帰るね」


「マルク、ボクが途中まで送っていくからね。一緒に行こ!」


 エステルは再び俺の手をぎゅっと握ると、俺を引っ張るようにしながら一緒に厨房を出て行った。



 ◇◇◇



 エステルとマルクが外へと向かった。その様子をスティナは目を細めながら眺め、ミゲルに笑いかける。


「ふふっ、あんなに懐いてるなら、あの子の気持ちが変わるのも時間の問題だと思うんだけど?」


「ま、まだだ。エステルに恋人はまだ早いんだからな!」


 ミゲルはそう言い放つと足早に大鍋の元へと戻って行く。


「やれやれ……。も女の子なら、お父さんの気苦労が絶えることはしばらくなさそうね~」


 スティナはミゲルの様子に軽くため息をつくと、自らのお腹を優しく撫でた。

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