211 緑緑アンド緑
「……ん? うん?」
キュウリにかぶりついたディールは不思議そうに目を丸め首を傾げながら、シャクシャクと一息でキュウリスティックを食べ終えた。そして今度は逆に首を傾げつつ、マヨネーズのたっぷり乗せた二本目を口に入れる。
「ふむ?」
シャクシャクシャク
「これは……!」
シャクシャクシャクシャク
「どういうことだ……!?」
ディールは次から次へとキュウリを小瓶に突っ込んでは口に入れ、あっと言う間に十一本のキュウリスティックを胃の中に収めてしまった。
そして最後の一本は小瓶の中のマヨネーズをこそぎ取るようにかき回し、それでも殆どマヨネーズの付いていないキュウリスティックだったが、気にせず同じ勢いでシャクシャクと咀嚼した。
その最後の一本を感無量といった表情で目をつぶりながらゴクリと喉に通し終えると、ディールは俺の肩をガシリと掴み興奮した口調で話しかける。
「素晴らしいっ! 素晴らしいではないか子供よ! この外来種の噛みごたえと濃厚な緑の香りは、俺が愛してやまない緑色を体内に取り入れ、俺の身体をこれまで以上に緑色へと輝かせているようにすら思える! それにあの白いソースも悪くない。白と緑の対比は緑をより一層際立たせ、それはまるでひとつの完成された絵画のようだ! まったくもって素晴らしい。外来種とはいえ、ここまで緑に愛された野菜を俺は認めざるを得ないだろう! ……よし、もうひとつもらってやる。もちろん対価は渡してやるからな!」
あなたが食べたのはただのキュウリですよ? と喉まで出かかった言葉を飲み込んでいると、ディールは恩着せがましい言葉と共に再び革袋から豆を取り出し、差し出した俺の手の中にしっかりと手渡す。次はなな、なんと! 豆が二粒になっていた!
……まぁ試食品だし別にいいんですけどね。それとももしかして、この村では豆一粒が銅貨一枚くらいで取引されているのだろうか。でもエクレインは皿に盛られた同じ豆を酔っ払いながらポリポリと食べていたしなあ……。
俺が半ば諦めて豆を掴んだ手を降ろすと、それを商談成立と見たディールは再びキュウリと小瓶をさっと掴み、今度はカットされていないキュウリを丸ごとガツガツと食べ始めた。
緑の服を着た人がキュウリを貪ってるのを見ていると、なんだかカッパを連想するなあ。なんともイケメンなカッパだけど。
そんなイケメンカッパが大仰に騒ぎたてながらキュウリを頬張る姿はやはり目立ったらしく、周辺の村人がぞろぞろと俺の近くに集まってきた。当初の予定とは違ったけれど、どうやら集客にはなったようだ。
「坊主、俺にも一本くれるか? この場で食べてみるからよ」
ディールがガツガツとキュウリを頬張っているのを横目に、ガッシリとした体格の男に葉皿に乗せたキュウリスティックとマヨネーズの小瓶を手渡す。そしてたっぷりとマヨネーズの付いたキュウリスティックを口に入れ一言。
「ほう、美味いな。なかなかいけるじゃねえか!」
「それじゃあ俺も貰おうかな」「俺も!」「私にも一本!」「へえキュウリか、久しぶりに見たな。僕にもひとつおくれ」
男の反応を見た周囲の村人からも次々と注文が入った。全員がその場で食べるのを選択したので、スティック状にしたものを次から次へと手渡していく。そして物々交換より先にまず食べてもらい、その様子を眺めてみた。
他の客の反応はさすがにディールほど大げさではないものの、かなり好評を得ているように感じる。たかがキュウリではあるけれど、物珍しい野菜と物珍しいソースの効果が合わさり、相乗効果を生み出しているのだろうか。まぁキュウリ自体の味だって、町で売られているものよりはずっと美味しいんだけどね。
その様子を眺めながら胸を撫で下ろしていると、二本目を食べ終えたディールが、豆三粒を手の平で転がしながら満面の笑みを浮かべて近づいて来た。
「子供、もう一本頼む!」
「あの、試食はもう終わったので、豆三粒ではちょっと……」
「なぬっ!?」
サービスタイムは終わりだ。宣伝には貢献してくれたけど、さすがに特別扱いもできないしね。
「馬鹿か、ディール。この野菜と白いソースがそんな豆数粒と交換なわけないだろ。坊主、俺からは白パン二つだ。これで足りるか?」
呆れた声で助け舟を寄越してくれたのは、ディールの次にキュウリを渡した男だ。
「十分です。ありがとうございます」
「おう、美味かったぜ。また今度も買わせてもらうわ。小瓶はここに置いておけばいいか?」
「よかったら持って帰ってください。頑丈に作ってあるので、いろんな使い道があると思いますよ」
「この小瓶も貰えるのか? そういうことなら白パン二つじゃ足りないな……」
少し驚いたように小瓶を見つめた後、更にパンを取り出そうとする男を慌てて止める。
「小瓶は趣味で作ってるだけですし、オマケみたいなものです。よければまた買ってくださいね」
「そうか? わかった。絶対にまた寄らせてもらうからな!」
小瓶を懐に仕舞った男はホクホク顔で去って行き、悔しそうな顔のディールが残る。しかしディールから何か言葉が発せられるより早く、次から次へとキュウリの対価が支払われ、そちらに掛かりっきりとなった。
他の客はケチではないどころか、新顔の俺に少しサービスをしてくれているようだ。ポーションを使ったマヨネーズの価値は度外視するとして、キュウリ一本と得体の知れないソースの割には少々価値の上乗せしたような品物と交換してくれた。
例えば大きなキャベツ丸ごとだったり、ニンジン三本だったり。後はキュウリセット三つとの交換だったが、自宅のテーブルに敷くのにちょうど良さそうなテーブルクロスをくれた人もいた。まぁこの人は「こういう小瓶がちょうど欲しかったの」と言っていたけどね。
中にはマヨネーズだけ売ってくれという人もいたけれど、それは丁重にお断りした。卵の殻の洗浄に利用しているポーションをマヨネーズを売るために減らしたくはなかった。
それから客は途切れることなくやってきて、エステルにも手が空いてる時には手伝ってもらいながら客をどんどん捌いていき、しばらくすると用意したキュウリは完売した。
そしていつの間にかディールの姿は見えなくなっていた。俺がキョロキョロと回りを見渡したので察したのだろう、ニコラから念話が届く。
『ディールなら肩を落としながらトボトボと帰って行きましたよ。なかなか哀愁漂う背中でした』
交換でゴネることなく引き下がったあたり、価値観がおかしいだけで悪い人ではない……のかな? まぁ今回は宣伝に一役買ってくれたし、少しだけ感謝しておこう。
仕事が一段落したことで、軽く伸びをして体をほぐしていると、笑顔のエステルが俺に近づいて来た。
「すごいね。やっぱり全部売れちゃったね!」
「うん、エステルも手伝ってくれてありがとね。元々僕がお店を手伝うはずなのになんだか申し訳ないよ」
「ううん、いつもボクが手伝ってもらってるのに、何もお返しができなくて歯がゆかったんだ。ようやくボクもマルクのお手伝いができて、今とても嬉しいんだよ!」
エステルが俺の手をギュッと掴んで笑った。するとニコラが俺の腕を引いて頬を膨らませる。
「お兄ちゃん、ニコラも手伝ったんだよー」
「うん、ニコラもありがとな」
普段仕事をしないヤツは、たまに仕事するとアピールが激しいな。この場合、エステルへのアピールも兼ねているのだろうけど。
――しばらくするとエステルの方の惣菜も完売し、今日の仕事は終わった。
今日一日で交換した分をやりくりすれば、しばらくはキュウリを売らずとも暮らせるだろう。とはいえそもそも昼食と夕食はセリーヌにお世話になってるんだし、生活費として大半はセリーヌ家に入れるのがよさそうだ。
そんなことを考えながらエステルの出店の片付けを手伝い、俺のキュウリの伝道師としてのデビュー戦は終わった。
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