第73話

「ふざけるな! オレ様は中止だと言ったんだ! 勝敗はついていない!」


 決闘後、案の定というかヒルデは鍛冶屋の中で大騒ぎしていた。


「キサマが止まらなかったから、仕方なく降参すると言ったんだ!」


「仕方なく言ってるじゃないか」


 あそこで止まったら有耶無耶にされるからこそ、俺は鋼の意思で決闘を続行したのだ。


「……あのですね、ヒルデさん。相手のスキルを見てからマズいと思って決闘の中止を要請するのは、正当な理由だとはギルドとしては認められません。双方の合意が必要です。立会人として呼ばれた以上、従っていただけないと我々も面子を失うことになります。ギルドとしてできる限りの措置を取らせていただくことになりますよ」


 マルチダがヒルデへとそう説明する。


「そ、そんなことはわかっている! 今更決闘を反故にするような、みみっちいことをオレ様が口にしていると思っているのか!」


 正にそうではなかったのか。

 俺が疑問に思っていると、ヒルデが俺へと勢いよく頭を下げた。


「……いいか、エルマ。オレ様は中止だと言ったんだ。その点をこう、考慮して、どうにか二千万ゴルドにならないか? 三千万ゴルドはきつすぎる。キサマも冒険者ならわかるだろう?」


「み、みみっちい……。そりゃ気持ちはわかりますけれど……」


 ヒルデの小さい背を見て、ルーチェが呆れたようにそう零した。


「どうしてもオレ様は、オレ様のレベルに見合った武器を手にする必要がある。上級冒険者一人の成長は、都市の危機を救い、魔物の被害者を減らすことにも繋がる。オレ様には手段を選ばず上を目指すだけの使命がある。エルマ、キサマも冒険者ならばわかるはずだ。確かにやり口がよくなかったことは認めよう。そこの鍛冶師にも迷惑を掛けた。二度とこうした真似はしないと誓おう」


「わかればいい。レベルに見合った武器が手に入らない、焦燥や苛立ちはわかるさ。俺もいくらでも覚えがある」


 俺は大きく頷いた。


 〈マジックワールド〉でも、欲しい武器が手に入らない、なんてよくあることだった。

 一番プレイヤーがモヤモヤする時間であり、だからこそ欲しい武器が手に入ったときが本当に楽しいのだ。

 そしてこの世界でのそうした感情は、ゲーム時代の比ではない。

 これも俺自身が散々体感してきたことだった。

 だからまあ、その言葉はわからないわけではない。


「そこでどうにか二千万ゴルドにならないか?」


「ならない。俺も金銭が大事だから、負けたらミスリルの剣を失う覚悟で賭けに乗った。それは良し悪しやお前の反省とは全く別の話だ」


 ヒルデが力なく肩を落とした。

 魂の抜けたような顔をしている。


 俺も麻痺して来てはいたが、三千万ゴルドはなかなか大した大金だ。

 一攫千金の冒険者で大成功して成り上がってきたヒルデが、新武器のためにしばらく必死に金を貯めてようやく集まるだけの額だ。

 俺もそれを丸ごともらうのは気が進まないが、元よりそういう賭けなのだ。


 自分が負けたから条件を変えてくれ、なんて甘えた提案は通らない。

 ヒルデは自分が勝っていれば、容赦なくミスリル剣を持って行っていただろう。


「な、なぁ、坊主よ。今言うのは少し気が引けておったんだが……」


 ベルガが口を挟んできた。


「どうしたんだ?」


「いや、この剣だが……市場価値は三千万ゴルドではないぞ」


「あれ? そうなのか?」


 主材料の〈ミスリルのインゴット〉が二千五百万ゴルドだったから、その辺りの値段に落ち着くはずだと思っていたのだが。


「も、もしかして、紛い物だったのか!」


 途端にヒルデが活き活きとし始めてきた。


「ま、まぁ、市場価値はいくらでも確認できるから、勝手に各々が確認すればいいが……」


 ベルガが店の奥へと移動し、青緑に輝く剣を両手で持って戻ってきた。

 美しい刀身だ。

 これが今から自分のものになると思っただけでも気分が高揚してくる。


 しかし、三千万ゴルドではないとはどういうことか。

 

――――――――――――――――――――

〈ミスリルの剣〉《推奨装備Lv:70》

【攻撃力:+46】

【市場価値:五千百五十万ゴルド】

 強いマナの輝きを帯びた魔法剣。

 高価な稀少金属であり、ミスリル装備を有しているだけで冒険者として一目置かれること間違いなし。

 また、〈破壊の刻印石ルーン〉が埋め込まれている。

――――――――――――――――――――


 攻撃力の上昇値と値段がとんでもないことになっている。

 そういえば〈破壊の刻印石ルーン〉の分も上乗せしなければならない。

 元より、ヒルデの値段交渉を突っぱねた理由の一つが〈破壊の刻印石ルーン〉の埋め込みであった。

 すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。


「うっかりしていたな。ヒルデ、五千百五十万ゴルドだった」


「ごっごごごご、五千百五十万ゴルドォ!? ふざっ、ふざけるな! 払えるわけがないだろう! なんだその馬鹿げた値段は!」


 ヒルデが顔を真っ赤にして怒る。


「こんなの素直に了承できるわけがないだろうが! お願いしますどうにか四千万ゴルドにしてください!」


 怒るのか下手に出るのか、どちらか片方にはできなかったのか。


「そもそも払えって言われても、無理だからな! これ……ここまで来たら! 残念だったな! いち冒険者がぽんと五千万ゴルドも出せるわけないだろ!」


「一応B級冒険者の方にでしたら、お金を貸し出すことはできますよ。充分返済能力があると認められますから。二千万ゴルドともなると、担保にものをいただいたり、行動を制限させていただくことにもなるかもしれませんが」


 マルチダの言葉にヒルデの顔が真っ青になった。

 赤くなったり青くなったり、まるで重騎士だな。


「ア、アタシ、ちょっと可哀想になってきました……」


「そうだな……俺もあれこれと言ったが、正直、少しお灸を据えておいてやろうというのが一番の理由だったからな」


 ヒルデの良し悪しや反省は関係ないとは言ったものの、正直あれは嘘になる。

 ひとまず鍛冶屋には迷惑を掛けられなくしておこうという考えがあった。


「百五十万ゴルド負けて五千万ゴルドで手を打とう」


 ヒルデはがっくりと深く項垂れた。


「エルマさん、あの、それあんまり負けてない……」


「ルーチェは感覚が麻痺してきているぞ。百五十万ゴルドは大金だ」


「いえ、あの……そうなんですけれど、それはちゃんとわかってはいるんですけれど、えっと……」


 〈死神の凶手〉のためにある程度金銭を抱えておきたかったのだが、その心配はしなくてよさそうだ。

 とりあえず五千万ゴルドの余裕資金があれば、〈破れた魔導書堂〉のようながめつい婆さんが相手でも、最低でも交渉の舞台には立つことができるはずだ。



 後日……俺はギルドの受付でマルチダに呼び止められた。


「エルマさんですね。ヒルデさんから例の五千万ゴルドのお支払いがありましたのでご報告いたします。必要なときにいつでも仰っていただければ」


「本当にあいつ用意できたのか……」


 まだあれから二日も経っていない。

 最悪ずるずると引っ張られてなかったことにされるのではなかろうかと危惧していたのだが。


「冒険者同士の揉め事の対処はギルドが慣れていますからね。ギルドはその気になれば、冒険者が〈夢の穴ダンジョン〉に侵入できる権利を剥奪することも可能です。元々〈夢の穴ダンジョン〉は領主様の資源という扱いで、それをギルドを介して冒険者の方々に公開している、という形です」


「……まあ、そうだな」


 一般的には、冒険者ギルドに登録している冒険者でなければ、〈夢の穴ダンジョン〉に侵入することはできない。

 そういう面では、冒険者は活動基盤と生命線を、常に貴族に握られ続けている形である。


「もっとも、領主様と冒険者は持ちつ持たれつの関係……権利を盾に出し惜しみして横暴に振る舞っていれば、魔物災害が起きた際に対応できずに領地が滅ぶことになるかもしれません。……ただ、ギルド側の切り札として、規律を乱す冒険者の方にちらつかせることもあります」


「そりゃ効果も覿面なわけだ」


 ヒルデには〈夢の穴ダンジョン〉を盾に取り立てを行ったらしい。


「しかし、ヒルデはよく五千万ゴルドなんてぽんと用意できたもんだな。あの口振りからして、すぐに作れるのは三千万ゴルドが限度な様子だったが……」


「冒険者の方は、金銭とは別の形で資産を持っていますからね。本人が好む好まないは別として、お金を作ること自体は不可能ではない方が多いはずですよ」


「それはどういう……」


「あっ! エ、エルマさん、あれ……」


 ルーチェが声量を落としながら、くいくいと控えめに俺の袖を引く。


「む?」


 ルーチェが示す先を見ると、ギルドを歩くヒルデの姿があった。

 手には〈黒鋼の鎌〉と〈ベアシールド〉を装備している。

 そのアンバランスな武器に、一瞬で事情を察した。


 いっそ典型的過ぎるくらいの、破産者の間に合わせ装備であった。


 〈マジックワールド〉でもたまにああした装備のプレイヤーは存在した。

 金欠に陥ってメイン装備を失うことになり、辛うじて手持ちの片隅にあった武器をああして装備しているのだ。


 専用装備ではないが攻撃力はまあまあある〈黒鋼の鎌〉。

 そして性能はそこそこだが、リーズナブルな〈ベアシールド〉。


 盾の中央には、コミカルなクマの顔が大きく描かれている。

 この世界であんな恥ずかしい装備をできる冒険者がいるのだろうかと俺は疑問だったが、まさかヒルデがそうなるとは思っていなかった。

 恥ずかしさから顔を赤くし、殺気立ったように周囲を睨んでいる。


「ああ、なるほど……武器を売ったのか」


 マルチダの言っていた意味がようやくわかった。

 冒険者の資産とはずばり武器のことだったらしい。


「あー! いた! キサマら!」


 ヒルデを声を荒げ、俺の方を指差した。


「ルーチェ、逃げるぞ」


「逃がすと思っているのか!」


 ヒルデが俺達の歩いていた先へと素早く回り込む。


「……何の用だ、ヒルデ。そっちからしてみれば、俺達になんて二度と会いたくないものだろうと思っていたが」


「盾と目線を合わせながら話すな。そんなにオレ様の盾が珍しいか?」


 俺はさっとヒルデへと目線を上げた。


「前回といい、散々このオレ様を馬鹿にし腐ってくれたな。だが、オレ様から奪い取った五千万ゴルドは返してもらうぜ」


 五千万ゴルドは諦めがつかなかったらしい。

 ただ、決闘の対価として、正式に受け取ったものだ。

 ギルド職員に間に入ってもらおうとマルチダの方を振り返ろうとしたとき……前方から、強烈な圧迫感を感じた。


「ヒルデ、それが例の重騎士か」


「ああ、ああ! こいつらだ師匠! こいつらがオレの五千万ゴルドを、卑劣な手段で奪い取りやがったんだ!」


 長身の銀髪の男だった。

 長い髪を後ろに括っている。

 美形で、表情が薄い。

 だが、その双眸からは強い意志を感じた。


 佇まいというか、気迫でわかった。

 こいつは強い。

 人間相手に、ここまでプレッシャーを覚えたのは初めてのことだった。


 聞かなくてもわかった。

 この人物が恐らく、本物の〈黒き炎刃〉だ。


「クラス魔剣士……A級冒険者のカロスだ。ヒルデから君達の話を聞いて、ぜひ会いたいと思ってね」


 場に冷たい空気が走る。

 相対しているだけで、格が違うと思い知らされているような気分だった。

 このレベルの相手と、今の力量で敵対するのはまず不可能だ。


「失礼だが、まず最初に確認しておかなければならないことがある。ヒルデから五千万ゴルドを騙し取ったというのは本当か?」


「……〈ミスリルの剣〉を寄越せと脅しを掛けられて、成り行きで決闘で決着をつけることになった。その結果だ」


 〈黒き炎刃〉は本物の実力者だ。

 冒険者の都とて、そう何人といないA級冒険者。

 基本的にギルドの方が立場は上だといえど、替えの利かない重要戦力であるA級冒険者となれば話は別だろう。

 果たしてギルドを盾にしてもどれだけの効果があるものか……。


「そうか、やはりか」


 カロスは静かに頷くと、握り拳を作り、ヒルデの頭へと一直線に落とした。

 ゴンッと鈍い音が響く。


「つ、つう……! し、師匠、急に何をするんだ! こんな奴の言い分を信じないでくれ!」


「最初からどうせそんなところだと思っていた」


「なっ……! オ、オレの言ったことを信じてくれるって、言ってたじゃねぇか!」


「会ってみたいから連れて行けと、そう口にしただけだ」


 カロスがうんざりしたように息を吐く。


「そもそも師匠師匠というが、私は別に君の師になったつもりは……」


「え……あ……し、師匠……?」


 ヒルデが泣きそうな顔をする。

 カロスは頭を押さえ、溜め息を吐いた。


「……今それを言えば、責任逃れのような形になってしまうか。私の不行届で随分と迷惑を掛けてしまっていたようだ」


 カロスが苦々しげな表情で、俺へと頭を下げた。


「い、いや、別に俺は……。決闘自体、挑発に乗って受けただけで、断ろうと思えば断れたことだ」


 こんなことで頭を下げられては、むしろ俺の方が寝覚めが悪い。


「君はいい奴だな、エルマ」


「……小遣いを作れれば得だくらいに思っていたし、そこでそう評価されても」


 なぜ弟子がこうなったのかわからないくらいの善人だった。

 善人過ぎて居心地が悪くなってきた。


「私は新人時代、あまり仲間に恵まれなくてね。ただその苦労あって、人を見る目には自信があるんだ」


「は、はぁ……」


 本当にやめてほしい。

 窮屈になってきた。

 今お金を返してあげてほしいと頭を下げられたら、そのまま受け入れてしまいそうな空気だった。


「それから例のお金なんだが……」


 狙ったかのようなタイミングで話題が出てきた。

 俺は咄嗟に身構える。


「この子は、身に痛くないと覚えないタイプでな。本人のためにも絶対に返さないでやってくれ」


「あ……はい」


 俺は小さく頷いた。

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