3 覚悟
数ヶ月後。
「……どうされましたか、シルビア様。ここから先はご遠慮ください。シルビア様⁉」
シルビアは驚く騎士を黙って押しのけ、騎士団長室の扉を開けた。アイザックとシルバーの騎士が机を挟んで話をしている。
なんの前触れもないガーネットの訪室に、騎士が当惑顔でひざまずく。
「シルビア、一体こんなところまで来てどうしたと言うのだ」
「アイザック、あなたに頼みがあります」
青ざめるシルビアに、アイザックはただ事ならぬ気配を感じ人払いする。
きっと、原因は近日行われる次期国王との婚約だろう。そう予感はしつつも、騎士が部屋を出たのを確認してから「何があった」と問いかけてみる。
しかし、事態の深刻さはアイザックの予想を遥かに上回った。
「私のお腹に、子どもがいます」
「な……に……?」
あまりの衝撃に、アイザックが言葉を失う。
子どもができた。
それは、次期国王以外の者と関係を持ったことを意味する。つまり、懐妊の事実を誰かに知られれば、次期国王の顔に泥を塗ったシルビアは死罪。
アイザックの脳裏に、次々と二人の思い出が蘇る。
無邪気に
彼女が10歳の頃から大事に守り続けてきた。その大切なシルビアが、どこの馬の骨とも知らない男のせいで殺されてしまう。
アイザックの中からふつふつと怒りがわいてきた。
「……誰の子だ」
「申し上げられません」
「一人で罪をかぶる気か」
「人を愛することは罪ではありません。これは、私たち二人が話し合って決めたことです」
シルビアの決意は固かった。
儚いようでいて、こうと決めれば決してぶれない。
シルビアの性格はアイザックが誰よりも良く分かっていた。
「分かった。誰が相手だろうと責めはしない。何も知らないのでは助けようがないから、言えることだけでも私に教えてくれ」
怒りを抑えたアイザックに見つめられ、シルビアがためらいがちに相手の素性を口にした。
「父親は、ライオットです」
再びアイザックに衝撃が襲う。
……同じガーネットでも罪だと言うのに、こともあろうか地位が一番低いライオットだと?
自分がそうならないように、一線を超えてしまわないようにと身を引いたのに。
なぜシルビアは人種を超えた恋をしてしまったのだ。
そうであれば、なぜ相手は自分ではなかったのだ……!
肩を落とすアイザックに、シルビアが緊張と申し訳なさに震えながら訴えた。
「申し訳ございません。しかし、私はあなたを失った時の後悔を繰り返すことだけは、どうしてもできなかったのです。愛する人を失って再び傷つくくらいなら死んでしまいたかった。お相手は、あなたと別れ憔悴しきった私を救ってくれた唯一の方なのです。どうか、彼を責めないでください」
自分が離れても、きっと時間が経てば忘れてくれるだろう。
そう思って護衛の任を離れたが、シルビアが負った心の傷はアイザックが思っていた以上に深かったらしい。
それを思い知ったアイザックは、自分と別れた後にシルビアへ訪れた悲劇を痛感した。
シルビアが追い詰められたのは、自分のせいだ。
「……すまなかった、シルビア」
かつてシルビアが夢にまでみた抱擁。
しかし、それは彼女の心を満たすものではなくなっていた。
その事実がシルビアにわずかな驚きを感じさせる。
シルビアを包み込むアイザックも、見た目では分からなかったお腹のふくらみを感じ、心の中で小さく驚いていた。
確かにここに、シルビアの子どもが存在している。
自分がずっと大切に思ってきた、シルビアの子どもが。
「いいえ、私が悪いのです。ですが、お腹の子どもに罪はありません。どうか、私をさらって逃げて……アイザック」
なにがあろうと、厳しい規則にしたがって生きてきたアイザック。
正義の名のもとに沢山の罪を滅してきた。
そのアイザックが迷いもなく告げる。
「命にかえてでも」
正義の天秤が、シルビアと母体に宿る命の存在に初めて傾いた。
その夜、アイザックは得意の魔法で身を隠しながらシルビアを連れて城を出ることにした。
厳重な城の守りと弱点は、騎士団長として全て知り尽くしている。
足音を立てないよう慎重に、見張りの横を通り抜ける。
明るくなれば、シルビアがいなくなったことが公になるだろう。
身重のシルビアに負担をかけるわけにはいかないが、夜明けまでにできるだけ遠くまで逃げなくてはいけない。
アイザックは足取りが重くなったシルビアを両手に抱え、山道を走った。
唯一の肉親であり、自ら絶縁した兄のもとへと。
三日間走り続け、兄の住む小さな山小屋にたどり着いた。
しかし、そこにいたのは兄ではなく、12歳になる兄の一人息子。
兄は、すでに死んでいたのだ。
さらに三ヶ月の時が過ぎる。
そこに住む少年の手を借り、シルビアはとても可愛らしい女の子を出産した。
山小屋の少年は、赤ん坊をとても愛おしそうな目で見つめ、おぼつかない手つきで一生懸命に世話をする。
その姿をみたシルビアは無理を承知で、赤ん坊を育ててくれないかと頼んだ。自分と一緒にいれば、きっと娘も殺されてしまうから、と。
「……俺がこいつを殺すかもしれないんだぞ」
物騒な言葉とは裏腹に、少年が赤ん坊を見る眼差し、触れる手、かける声、どれも優しさがにじみ出ている。シルビアは、とても少年がそんなことをするようには思えなかった。
しかし、子どもの面倒を見るなんてそう簡単にできないことは分かっている。無理強いするわけにもいかない。
せめて、追手に捕まるまで逃げよう。
シルビアがそう考えていると、少年がおずおずと提案を投げかけた。
「……孤児院なら、ひょっとしたら見てくれるかもしれない。俺の気が変わったらそこに連れてってやってもいい。もし、俺が殺さず、赤ん坊が生きていたらの話だ」
苦渋の決断を迫られたかのような少年の頬が、ほんのり赤くなっている。
素直ではない少年の純粋な心を感じ取っていたシルビアは提案を受け入れた。そして、愛情の証として自身が身に着けていたネックレスを託し、小屋を後にした。
小屋を出ると、アイザックが「自らも罪を償う」ため、一緒に城へ戻ることを希望した。しかしシルビアは「寿命が尽きるまで何としても生きること」を命令する。
ガーネットの命令、しかも、自分が大切に思うシルビアからの願いを受け入れざるを得ないアイザック。来た道を一人、勇敢に戻って行くシルビアの背中を、断腸の思いで見送った。
まもなくシルビアを見つけた追手が、縄で乱暴に縛り上げた。
「次期国王との婚約を拒否した罪」のみを犯したシルビアは、騎士に両脇を抱えられ、引きずられながらも安堵を感じる。
城に到着すると、すれ違う誰しもがシルビアを軽蔑の目で見た。しかし、赤ん坊の命が助かったことの前では、ガーネットの親子連れに蔑んだ目で見られようと、これから死罪が待っていようと、全く気にもならない。ボロボロのドレスも、罰によって全身につけられた傷跡も、全て勲章のように感じる。
……どうか、母が死んでも元気で育ってください。
次期国王の怒りを買ったシルビアは、プライドの高いガーネットにとって死よりも辛い、下働きと同じ生活を強いられることになった。
地下に着くと、騎士たちがシルビアを乱暴に床へ投げ捨てる。
「きゃっ!」
小さな悲鳴に一番最初に気が付いたのは、心配で憔悴しきっているエーファン。
もう二度と会えないだろう。そう覚悟をしていたところに舞い降りた神の導き。
心配と喜びを入り混ぜながら、すぐにシルビアへ駆け寄ってボロボロの体を抱き起した。
「大丈夫か、シルビア。……無事か?」
抱き起されたシルビアは、誇らしげに父親へ告げた。
「あなたに似てとってもかわいい女の子でしたよ」
遠く、山小屋にいる少年の腕の中。
愛の印を胸に刻んだ赤ん坊が、待ち受ける運命を受け入れるかのように力強い鼓動を続けた。
シルビアの逃亡 (本編64話までのネタバレあり 中村 天人 @nakamuratenjin
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作者:田中 龍人/中村 天人
★40 エッセイ・ノンフィクション 連載中 19話
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