第十八話 裏組織のやり方
日が開けたばかりの早朝に、ヴァンプレスとフードをかぶったジェランとシズカが物陰に隠れていた。
様子をうかがっている建物は、昨夜大立ち回りをやったばかりの派手な飲食店だ。どうみても中華店に見えるが、そんな国はこの世界にはない。
シズカは、納得するように頷いて言った。
「やっぱりね。ゴタゴタの片付けで手薄になってる。狙うなら今しかない」
「その前に、シズカ。暗殺の前に調べたいことがあるんだ」
「調べたいこと? 裏金かしら」
ジェランは目を見据えて否定した。
それからアルスのことを、できるだけ簡潔に伝えた。
だがどうしても潜入前では時間が掛かりすぎるので、続きは聖剣の中に入力しておいたテキストデータを、シズカのヴァンプレスに転送した。
それに話すより何倍も早し、気持ちは最初の言葉で伝えられたはずだ。
シズカはそれを高速でスクロールさせてから、うなずいてみせた。
「なるほどね。ここに来る前に言ってくれればよかったのに」
「ごめん。なんというか、言い出せるような雰囲気じゃなくなってな」
「ロンを頼る必要はないわ」
「どういうことだ?」
「わたしは、魔獣王側の依頼も受けているからよ」
「つながっていたのか!?」
「直接じゃない。わたしの師匠からよ」
話をここで止めることにした。あまりにも時間がかかると、チャンスを逸してしまう。
シズカは改めて根城を観て、潜入するタイミングをはかった。
ジェランも周りを警戒するため、目を走らせた。
そこに、シズカの大きなお尻が飛び込んできた。
こんなにキレイで柔らかそうなお尻は見たことがない。彼女のちょっとした動きで、ぷるぷる揺れているではないか。
ヴァンプレスでTバックのようになっているし、男でこれに反応しないのはおかしいだろ。
「ちょっと、どこ見てんのよ!」
「み、魅力的なお尻」
「はぁ!? 大きいの気にしてんのよ! ヴァンプレスがこんなデザインだからもう嫌になってんのに!」
フード付きのローブを伸ばして、せっかくのお尻を隠してしまった。
「ああ、もったいない」
「スケベなこと言ってないで、屋根裏から飛び移るわよ」
シズカのタイミングに合わせて、高所から潜入する。
ちょうど、彼女のお尻を追いかける形になる。
だが欲情すると、ヴァンプレスがきつくなって痛いので、観察はほどほどにしよう。
難なく屋根裏に潜入することが出来た。
あの数の見張りの目をかいくぐるなんて、さすがは暗殺者だと感心した。
シズカは立ち止まると片膝を立てて、ジェランに向き直った。
「ここなら会話をしても悟られにくい。わたしからも話しておくことがある」
「作戦か?」
「それもあるが、もっと大事なことだ」
「なんだ?」
「なぜわたしが暗殺者だと分かった?」
「正直に言おう。昨晩、後をつけさせてもらった」
「尾行したの? そうか、刺客が来ることは織り込み済みだったというわけか」
「ああ。それから、君が酷い目に合うまですべて見ていた」
「そう。……あの娘は仕方なかったわね」
奥に連れて行かれて、無残に殺された娘の事を言っているのだろう。
ジェランは目を伏せ、どう詫びればいいのか分からなかった。何を言っても言い訳になってしまう。
その様子を見たシズカは、首をゆっくりとふった。
「仮に、あなたがあのとき彼女を救っていたら、私達全員殺されていたわ。結果論でしかいえないけれど」
「あの娘とは、仲が良かったのか」
「いいえ。わたしに友達と呼べる娘なんて、いないわ」
そして、でもねと続けた。
「ロンのあのやり方にはもうウンザリなの! いい機会だから、あいつらを始末するわ。いいわね」
「魔獣王の手かがりは、他にあるんだな?」
シズカは大きく頷いた。
今度は彼女からテキストデータが送られてきた。
それに目を滑らせると、目を見張った。
師匠のとおぼしき人物の事細かな行動履歴や、交友関係から魔獣王関係者との接触まで事細かく書かれていた。
驚いたのはその先の画像だ。
「おいこれ、師匠があっている奴って?」
「そこから先は成功報酬よ」
「つまり、はっきり写ったものがあるんだな」
「ロンたちを暗殺してからよ」
シズカはヴァンプレスを構えると、中空に見取り図が浮かび上がった。
その中では、名前のつけられた丸いマークが動いていた。
そして予想される動きの矢印まで、事細かに描き出されていく。
点滅しているマークがジェランたちを示していた。
シズカはそれを動かしながら、こういうふうにやる作戦だと伝えてきた。
「分かったよ。俺は邪魔な雑魚を眠らせればいいんだな」
「ええ。ロンはわたしが殺るわ。そいつらの生死は問わないから、殺しても構わないわよ」
「分かった」
ジェランは、ロンを警護している周りの雑魚を処理することにした。
ロンがいるのは屋根裏の下、つまり二階だ。一階の連中に悟られなければ速やかに済むはずだ。
ここは気絶させるなんて、生ぬるいことは考えない。
年端のゆかぬ女の子たちを、あんな目に合わせて喜ぶような連中だ。
一撃で楽に殺すことに、感謝されてもいいくらいだ。
いつも予備に携帯している、刃渡り二◯センチほどのダガーを抜いて目標を定めた。
天井から降りて喉笛を掻っ切る。
そして天井へ消える。
この世界で、というかそもそも人を殺すのは初めてだった。
正義のために悪を討つ、という感覚は今はまだよくわからない。
深く考えるのはよそう。正しいことをやっているのだから。
ロンの側近以外は、全て始末した。
一度シズカと会う手はずになっていたので、先程の場所で待機する。
シズカは彼らの行動を監視し、動きがあった知らせるポジションだった。
彼女がこちらに気がつくと、いきなり両肩を掴まれた。
「ジェラン、わたしの目を見て」
「え? なんで」
「いいから!」
薄暗い中に、シズカの鋭い眼光がジェランを見据えた。
目を合わせるのに、なぜか時間がかかり、ようやく合わせることが出来た。
するとシズカは、ため息をついから優しく言った。
「あんた、人を殺したの初めてね? 目が死にかけているわよ」
「そうだよ」
「どうして先にそれを言わないの?」
「だって、悪人を殺すのは当然だろ」
シズカは一呼吸置いてから、話を続けた。
「いいこと? 人を殺すときは、己の正義を強く思い描くの」
「正義を?」
「守りたい人でも、故郷でもなんでもいい。それを思い浮かべなさい。今からでも遅くないわ」
「でも……」
「わたし達が殺す理由は?」
「彼女たちを救うため……」
「違うわね。少なくともわたしは違う。女の誇りと落とし前を付けるためにやってるわ。あなたは別の目的があるんでしょ?」
「そうだよ」
「それを強く思い浮かべて、それを守ることに誇りを持ちなさい。誇りを忘れた殺人は、ただの殺戮であり狂人よ」
アルスに対して後ろめたい気持ちがどこかにあった。
それがジェランの精神を闇に堕とし始めていたのだ。
シズカはジェランの肩をたたいた。
「いい、あんたは暗殺者になりたいんじゃないんでしょ? だったら今のことを忘れないで」
「ごめん、シズカ。こんなことに時間を使わせてしまって」
「いいわよ。あのまま作戦を進めていたら、あなた今頃心が死んでいたわ」
「ありがとう、優しいんだな」
「よしてよ。暗殺者に一番似合わない言葉だわ」
――アルスの機士になることが、俺の正義だ!
ジェランは深呼吸して、決意を新たにした。
今ロンは自室に引きこもっている。
周りに側近が四名、その中には昨晩の巨乳の娘を殺した奴らも含まれている。
見張りは互いにすれ違うように歩いていた。
一人なら暗殺の隙はないが、二人同時ならいける。
タイミングを合わせて同時に天井から飛び降り、側近の喉元にダガーを当てた。
――アルスの幸せを考えろ。無事を祈りつつ、殺るんだ。
躊躇なくダガーで引き裂いた。
すぐに天井裏に戻る。
そしてすぐに最後の側近を襲った。
淀みなく、暗殺者のシズカに遅れを取ることなく、ロンの周りの脅威をすべて排除した。
シズカは薄明かりの中でジェランを一瞥すると、すぐに視線を下の標的に下ろした。
そしてシズカが先に降りる。
ロンの背後を取ると、シズカは音を立てぬ幽霊のようにダガーを差し込んでいく。
だが、シズカの肘が伸びない。
その刹那、シズカは飛び退き臨戦態勢に入った。
ロンを見ると、その傍に老人がひとり小笑いをして立っていた。
「こんなことだろうと思ったわ。手塩にかけて仕込んでやった恩を仇で返しよって。シズカよ、師は悲しいぞ」
「戯言を。わたしを拾ってすぐ呪印を仕組んだ後に、人殺し以外の選択肢をなくし、いいように利用したくせに!」
「胸が育たたなかったが、殺しの腕は買っていたのだがな」
「このジジイ!」
「さて、どのくらい成長したか、本気を見せてもらおうか」
二人のやり取りに、ロンは狼狽していた。
まさか昨夜の今朝で乗り込まれるとは、思ってなかったようだ。
ジェランは聖剣を握って、呪文を紡ぐ。
「《アイスニードル・バレット》」
ジェランの左手から氷の結晶が生成され、細く長い氷のつららとなった。
完成するとすぐさま、標的のロンに向かって発射される。
その速さは弾丸のごとく、一瞬でロンの脳幹を貫いた。
元々の呪文《アイスニードル》の発射速度を高めるように、呪文を改変したのが役に立った。
その様子を見た老人は舌打ちをして、シズカのダガーを嫌い払うと、部屋の隅へ退いた。
シズカは言った。
「覚悟しろ!」
「やれやれ、ついつい遊びすぎたわい。ロンを殺してしもうたようじゃ。シズカ、お前も地獄でロンの尻奴隷になって奉仕してこい」
老人が歯を見せてニヤリと笑うと、袖をまくった。そこには、ギザギザの螺旋模様が刻まれていた。
それを自らのダガーで切り裂いた。
「呪印を喰らって死ね!」
「うっ!?」
シズカは膝をついてしまった。
ジェランはすぐさま飛び降りて、シズカの安否を確かめた。
老人はそれを見ていった。
「やはり二人いたとは思ったが、お前だったか。だが手遅れじゃ。シズカの身体は吹き飛び、木っ端微塵の肉花火になるのだからの」
「そうはなってないようだが?」
ジェランは、ゆっくり立ち上がるシズカの手を取っていた。
老人が目を丸くして驚愕した。
「馬鹿な! この距離なら完全結界も効かぬはずだぞ」
「呪印は発動したさ。だが、その部分だけだ」
シズカは口から出た血を拭うと、ジェランを睨みつけていった。
「本当に、死ぬほど痛かったぞ。お前が呪印を結界の玉で囲むと言ったときは、どうなるかと思った」
「破壊された部分を即座に治癒したんだ。これくらいの大きさならなんとかなる」
シズカの呪印部分を結界で遠隔につないで、ミフィリアに観てもらっていたのだ。爆破した瞬間、すぐに治療が出来るように、かなり大掛かりな魔法を準備してもらっていた。
さすがは自称、最高の衛生機士だ。
まだ驚いている老人にこのネタバラシは必要ないだろう。
「もうこの組織は壊滅した。おとなしくしてもらおうか」
「くくく……」
「何がおかしい?」
「間に合ったようだわい」
急に建物が揺れ始めた。
家具やら置物やらが倒れて壊れていく。
これは地震なのか。
「いやこれは、ロードだ!」
天井が木っ端微塵に吹き飛んでいく。
そこに見えたのは青空ではなく、あのロードだった。
老人は計ったように外へ飛び出すと、両手を振って呼びかけていた。
「おーい、こっちじゃ!」
生物のような目がギョロリと見おろされると、ロードの手が差し出された。
それに飛び乗ると、老人は勝ち誇ったように腰に手をやって高笑いした。
「また会おうシズ……」
ロードのもう一つの手が、まるでハエを叩き潰すように老人が潰されてしまった。
ジェランはその動揺を振り払って、ロードを召喚した。その腕で、魔獣ロードを殴り飛ばした。
「アルスお嬢様!」
魔獣ロードは答えず、崩れかけたバランスを踏ん張って持ちこたえた。
二体のロードが出現したことで、ロンの根城はもはや崩壊してしまい、近隣の建物も崩れてしまった。
ロードが争えば被害は更に広がる。
それでもこの機を逃してはならないと、ジェランはロードオブジェモナスの聖剣を引き抜いた。
ジェモナスとなったジェランは剣を叩き込む。
しかしいつの間にか抜かれた赤い剣で裁かれ、切り結んだ格好になった。
鍔迫り合いを嫌って、赤剣を振り払い更に右から左からと叩き込んでいく。
それは互いに流線型の軌跡を生んで、激しい火花が咲き乱れていく。
その攻防に、ジェランは違和感を感じ始めていた。
今度は踏み込んで鍔迫り合いを仕掛けた。
そしてジェランは声を発した。
「お前、誰だ?」
「……」
「アルスお嬢様の剣じゃない。洗練されすぎてていて、まるで達人の剣だ。まさか違うロードなのか?」
「多少は出来るようだな、聖剣機士」
その声はアルスではなかった。
そしてどこか聞き覚えがあった。
でも、ロードの拡声器で声が大きくなりすぎてて、確信が持てずにいた。
鍔迫り合いが剥がされると、今度は魔獣ロードの一方的な流れになってしまった。
足場が悪くなった戦場で、計算されたように動くと同時に攻撃がくる。赤剣だけではなく足技も絡めてくる。
ジェランは聖剣のスキルSランクがなかったら、今頃胴体を切断されていたはずだ。
もうすでに、剣先を目で追えていない。
古武術の先生が言っていた。「達人同士は目で剣を追うことはしない」と。
その意味がようやく分かった。
そして考えるより、聖剣に身を任せたほうがいい。
しかし、このままでは押し負けてしまう。
打開策はこれしかない。
ジェランは第五階位の魔法詠唱を開始した。
口に出さずに、頭の中で呪文を紡ぐ。この場合は、注意力などの脳リソースをかなり持っていかれるので、こんなタイマン勝負では命取りだ。
でも聖剣に任せられるからこそ、成し得る荒業だ。
流石に何をしているのか悟られてしまい、間合いを取られてしまう。
それに反応して素早く踏み込んで呪文を完了させた。
「追放されし
「なに!?」
聖剣にまとわせた重力波が、大きな荷重を生み加速度を引き上げたのだ。
もちろんジェランに掛かる負担も大きい。剣がハンマーに変わったような感覚になっていた。
ジェランは、さらに頭をねらって振り下ろした。
魔獣ロードは、武器の性質が変わったことに対応できなかった。
赤剣でガードされるも、それごと叩き割って脳天を見事に打ち砕いたのだ。
ロードのダメージは機士に伝わる。
魔獣ロードは身体をふらつかせて、両手をついた。
ジェランは剣にかけた魔法を解いて、首元に刃を当てた。
「何者か話してもらおうか。そしてそのロードに乗っていた、アルスお嬢様の居所を言うんだ」
魔獣ロードが解かれて機士が逃げ出すのではないか、と警戒したがそれは起こらなかった。もちろん飛行も警戒しているが、その素振りもない。
まるで敗北を認めた、誇り高き機士のようにも思えた。
「抵抗する気はもうない。
シズカに呼びかけてアイコンタクトをすると、彼女にロードを解くように言った。
だがそれは断られてしまった。
この期に及んでまだ抵抗する気かと問い詰めると、そうではないと背中を見るように促された。
背中が小さく縦に開いて、中から人が現れた。だがこの魔獣ロードは、頭の額に操縦席があったはずだ。
ジェランはどういうことだと首を傾げつつ、ロードを解いてそのままの高さで魔獣ロードに飛び移った。
彼女は、うつむいたままぽつりと呟いた。
「これが私よ、ジェラン」
「まさかお嬢様の専属メイドのリディ……、いや、それよりもその背中は」
リディと呼んだ彼女の背中から太いホースのようなものが伸びており、まるで生物のように脈動していた。
衣類はつけておらず、それらに恥じらうように自らの身体を抱いていた。
「私は、もはや人ではない。この魔獣とロードの融合体のパーツなんだ」
「なんでこんなことに」
「これまでの失態の責任を負わされたのさ」
「じゃあまさか俺の?」
「いいや。お前が大きな原因なのは確かだが、ずっと前からいろいろ小さなミスもあってな」
「魔獣王の命令か? いくらなんでも酷すぎる」
「まさか。魔獣王御自ら、私のような一介の手下に手を下すわけがない」
「それじゃいったい?」
「それは……」
キュイン!
鋭い金属音が鳴り響いた。
いつの間にかシズカがリディの裏にまわって、ダガーを構えていた。
「ふたりとも気をつけろ、狙撃だ! まさか、ジェランの予想したとおりになるとはな」
シズカは気を張り巡らせて、射線から狙撃者を探し出そうとしている。
ジェランは聖剣のリコネスを起動させて、敵影を探った。
「シズカ、もういい。敵影はかなりの手練れみたいだ。一応俺も周囲を警戒していたんだけどな」
「なるほど、すぐに離脱するとは。なんて割り切りのいいやつだ」
「なんで私なんかを助けた? お前たちを本気で殺そうとしたんだぞ」
リディが身体を小さくしながら、悲痛を込めてつぶやいた。
ジェランはそれに答えるように、ヴァンプレスのマントを外してリディに掛けてあげた。
そして指を揃えて、リディを指し示して言った。
「それはお前が、剣士であり機士だからだ」
「そんなことで?」
「それて十分だ。君の剣からは戦いに誇りを感じたんだ。それは決して悪から来るものじゃないと」
「私は敵だぞ? おかしいんじゃないの。それにこんな身体、助けられても迷惑だ」
「大丈夫だよ。その代わり、アルスお嬢様のことを教えて欲しい。助けたいんだ」
「さらった犯人は私よ?」
「だったらなおのこと、助けて欲しい」
「あんた、ずっと手を私に差し出しているな。……いいわよ、こんなお人好しにお嬢様は惚れたのかもしれないわね」
手を取ったリディの表情は、剣士からメイドに変わっていた。
それでいい。
彼女はアルスの大切な従者なのだから。
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