リンボ――ゲヘナ
かつんと靴音がしたのに、夢子は顔をあげた。
生臭い地獄のちょうど真ん中にある檻のなかにいれられた夢子は、ドアを開けてきてくれた牧間を認めて、ほっとした。
「ほまれさぁん」
「夢子っ」
駆け寄る牧間は、その地獄を一瞥しても足を止めずに夢子の元にきてくれた。
無造作に人々を動物のようにいれた鉄の檻はひどい有様だった。
「君からのメールで、場所だけが記されていて、すぐに鍵を開ける」
「ほまれさん、有栖川さんが、」
ドアの鍵を開けて外へと連れだしてくれた牧間に手をひかれて夢子は必死に今まであったことを早口で説明した。
牧間の顔がひどく苦し気に歪んだが、それをすぐにひっこめて彼は倉庫の外に出た。
暗闇のなか、波の音が聞こえる。
暗がりに立つ人影があった。
「雑音がないから、よく音が聞こえるだろう」
有栖川が微笑んで、口を開こうとする。
「夢子、嵐を」
「はい! 空間固定確認、範囲選択、領域を支配する……
それが一番二人で戦う得意とする領域展開だ。
一瞬にして夢子の手から滑り落ちる墨は形を変え、暗闇は増して世界は嵐に飲まれる。
ソラリスの化学物質による五感の刺激で、雨も風も、吹き荒れるそれは本物と変わらない。そのなかで夢子だけが嵐に飲まれず立っている。
そうして敵に貰わせて嵐から現れた牧間が敵を攻撃する――不意打ち狙いとこの嵐に紛れて夢子の化学物質による肉体強化による戦闘能力をあげての一撃で敵を倒すためのものだ。
有栖川は動かないのに牧間が先に動いた。
降りしきる雨のなか、それを冷たく凍らせて雹のようにして襲う。
有栖川はじっとその様子を見つめ、不敵に笑い、言葉を紡いだ。
「■■■」
理解できない言葉。
あのときの言葉を牧間はどうして思い出せない。けれど確かに耳を通り、ウィルスを刺激し、肉体の何かが変化したことだけは覚えている。気が付いたとき、嵐は止み、自分は馬乗りになって、苦し気に呼吸を繰り返す夢子がいた。
悪い悪い夢を見ているようだ。
有栖川は言霊使い。それによって目に見えない力で相手を意図的に操作することも出来たのだ。そうして牧間の思考を一時のとったのだ。
このままだと夢子は死んでしまう。
手が伸びる。生きるという希望を捨てない瞳。けれどもしジャーム化したら、そのときは殺してくれと彼女は口にした。
だから
このまま夢子はジャーム化してしまう。自分のためにジャーム化して、牧間の罪を正当化させようとしてしまう。
もう、いい。
もうやめてくれ。
お願いだから、もうそれ以上はやめてくれ。
「うそつき」
掠れた声で罵ってくる。彼女の差し出した慈悲を、受け止めきれない自分を敏感に感じ取って。
そのあとのことは怒りに身を任せてしまい、よく覚えていない。
あのとき牧間は確かに狂っていた。怒りによって飲まれて、ジャームになりかけていた。
そんな彼の視界を遮り、確かに正気に戻したのは
抱えていた夢子の左手の指輪だった。
こんな暗闇のなかで光るはずがないのにと、呆然としていたとき、世界が色を変えた。
やってきた夜明け――いいや、まだ、そんな時刻でないことは牧間自身がよく知っている。
けれどそれに見入ってしまうくらいに美しかった。
ああここは作られた楽園だ。
領域を操る夢子が作り出した――楽園。
腕のなかに抱えて夢子がうっすらと目を開いて、動き出した。
肌にぴりりっとするジャーム特有の恐ろしいほどのレネゲイドウィルスの反応に牧間は気が付いた。
夜明けの世界で夢子は立っている。じっと自分を見つめて。なにもかも否定する瞳が涙で濡れていた。ジャームになって、失くした心を、嘆いているのか喜んでいるのか。それは牧間にはわからない。
名を紡いで、
手を伸ばして、
彼女が走り出そうとしたのに牧間は躊躇わなかった。
この世明けがなにもかも答えなら、自分たちはその先にいけるずだ。
両手いっぱいの罪悪感と罪の意思を抱えても、それでも体は動いた。動かすことができた。
逃げようとするその足に風を放ち、足の腱を切り裂いて、血を流し、地面に転がす。それでも必死に逃げようとする。否定しようとするのに夜明けは終わらずあり続けるから。
牧間は夢子の胸倉をつかみ、馬乗りになった。
「私はすべてを否定するっ、諦めろっ」
ジャームが吠えた。
「俺は、すべてを諦めないっ」
牧間は咆哮した。
「君と生きることも、この先の未来も、きっと素敵になると言ったのは君じゃないか」
それに彼女が言葉を失くす。
「二人で、楽園の先に行こう」
炎を纏わせた拳を振り下ろした。
遠くでサイレンの音がして、仲間が来るのだと悟った彼は絶望と悔しさに声をあげて、叫び泣きながら誓った。
決して諦めない。絶対に諦めたりしない。
だから自分の今の裏切りを許してほしい。
なにもかも、太陽に包まれる世界で彼は誓った。次を必ず手に入れるんだと。
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