第5話 「騎士」

「咲希、大丈夫だったか?」


 浩樹くん、そう呼ばれた少年は嶋村さんに問いかける。

 線が細い少年だった。

 目が隠れるぐらいの長めの前髪に、整ったシャープな顔、手足は細く長く、どことなく中性的な印象を持つ。


「浩樹くん、浩樹くん……!」


 うわ言のように繰り返して、嶋村さんはゆっくりと浩樹君に歩みを進める。

 感動的な再会ってのは、こういうことなんだろう。

 やけに冷え切った頭で、他人事のようにそう思う。映画でも見ているようだった。


『ゔぅ……』


 背後で一人立ち上がる気配がした。

 苦しそうなうめき声は、手負いの獣のそれで。ぶわっと全身のうぶ毛が逆立った。


「しぶといな」


 浩樹君はそう言って、俺の方へ片手をかざす。正確には俺の後ろで、立ち上がっているだろう満身創痍まんしんそういの大男に向かって。口元は何かを唱えているようにパクパクと動いていた。


 ビュウッと一陣の風が、俺の横を吹き抜ける。

 強烈な風圧に、思わず目を閉じる。

 ほんの一、二秒後には後方でドサリと何かが落ちた音。


 振り返ると、先程立ち上がったと思しき大男が五メートル先に倒れていた。

 大男と目が合う。恐怖で顔が歪み、わなわなと震えている。

 バケモノ、そう言われているようだった。


 見るなよ。

 そんな目で俺を見るな。


 獣耳に鋭く長い爪、尖った八重歯。おおよそ普通の人間とはかけ離れた男から、そんな視線を受けるのは気分が悪かった。

 気づけば、俺の近くで倒れていた他の四人の男どもも、起き上がっている。

 俺を襲うでもなく、睨むでもなく、すごすごと退散の姿勢を見せている。


 目に付いたのは、赤く腫れあがった手や足。

 浩樹君の魔法によって、上空から落とされたときにできたものだろう。

 痛々しくてとても見ていられない。


 こいつらを傷つけたのは俺じゃない。俺は何もしていない。

 そう自分に言い訳しても、どろどろとした罪悪感が胸中を支配する。


 たまらず、リュックに入っていたコールドスプレーと湿布を取り出した。

 ゆっくりと男たちへ距離を詰めていく。


『ァ……、ウア……!』


 相変わらず何を言っているのかは分からない。

 止めろか、近づくなか、そういった類の意味だろうか。


 ズルズルと足を引きずっている、最後尾にいた男の肩を掴み、座らせる。

 抵抗の意思は無いようで、俺の手振りを見てあっさりと従った。

 男は無表情だった。男というよりは俺と同い年か、俺より年下ぐらいの青年。大男と同じように作り物めいた獣耳が頭部に生えている。


 何をやっているんだろう。

 一歩間違えれば刺されかねない状況。ましてや相手は俺に襲い掛かろうとしてきた相手だ。手当をするなんて間違っている。

 

 でも、見過ごせない。

 このまま何もせずにいたら、俺は俺を嫌いになりそうだった。


 患部にスプレーを噴射し、湿布を貼り付ける。青年は一瞬だけ顔を歪めたが、特に声も発さない。されるがままに俺の処置を受けていた。

 スプレーと残りの湿布を無理やり持たせると、男たちのところへと戻っていくようにジェスチャーをする。


「他の人の怪我、治してやってくれ」


 絶対に伝わらないであろう日本語で、ぼそりと漏らしていた。

 青年はこちらを一瞥いちべつすると、また足を引きずりながら戻っていった。 

 僅かに頷いたように見えたのは気のせいだろう。


 周りを見渡すと、いつの間にか俺たちを囲んでいた街の人間はまばらになっていた。ちょうど帰ろうとしている姿も見える。


 とりあえず、どうにかなったか……。


 全身の筋肉が弛緩しかんし、そのまま地面に座り込む。

 踏み荒らされて凸凹になった土は、座り心地が悪い。けれどそんなことを気にする余裕も無かった。


「あんたバカだろ」


「ちょっ……、浩樹くん!」


 すぐ俺の近くまで来ていた、嶋村さんと浩樹君。

 こんな風に、年下の男子にバカにされた経験は初めてかもしれない。


「かもね」


「認めるんかよ」


「実際、俺も何がしたかったのかよく分からないし。ああ……、、助けてくれてありがとう」


「別にあんたを助けたわけじゃない」


 年上にも平気でため口を使ってくるあたり、肝が据わっている。生意気とも言うが。

 しかし、助けられたことは事実だ。それに、きっと浩樹君は俺や嶋村さんより長くこの世界にいる。

 だからだろうか。特に腹は立たなかった。


「あんた、名前は?」


「人に名前を聞くなら、まずは自分から名乗ったらどうだ?」


 やっぱさっきの無し。腹は立たないとか言ったが、流石にこの言い方にはイラっとしたので、そう返しておく。心なしか口調が強くなってしまった。

 どんな反応をするのだろうか? 先程までの口調からすると舌打ちでもしてきそうだが。


「そっすね。すみませんした。俺は瀬川せがわ浩樹ひろきです。聞いてると思うけど咲希の幼馴染っす」


 浩樹君の反応は意外なもので、素直に自己紹介をしてくれる。どうしてか雑な敬語もセットで。


「いいよ。気にせんで。俺は矢島やじま堅也けんや。嶋村さんとは、昨日この世界に来てから会った」


「あざっした。咲希を助けてくれて。矢島さんがあいつを手当てをしてるときに、咲希から少し話を聞きました」


「それは全然良いけど、さっきのクソ生意気な話し方はどったの?」


「ああ……、あれ」


 浩樹君はそこで言葉を区切ると一瞬考えた素振りをして、すぐに口を開いた。


「品定めっすよ。矢島さんがどんな人間か。年下に舐めた口聞かれて縮こまるタイプか、逆に怒鳴るようなタイプか」


「ふーん。どんなタイプだと思った?」


「分からないっす。今まで出会った、年齢が上だけの人間とは違いました」


 棘のある言い方だなぁ。

 嶋村さんの話だと、高校には最低限しか行ってなかったらしい。何か揉めた経験でもあるんだろう。


「そっか。んで、浩樹君。さっきのあれは? 魔法ってやつ?」


「さっき使ったのは魔術っす。まあ詳しい話は後でします」


「詳しい話? そうだ。寝る場所とかどうしてるんだ? どこかに居住地があるのか?」


「だから、それも含めた詳しい話っすよ。そろそろ来ると思うんで」


 浩樹君はニヤリと口の端を吊り上げると、俺のいる方向とは間反対――俺たちがこの街に踏み入れてから向かっていた方向――へと顔を向けた。


 しばらくすると、軽快な馬の走る音とともに一人の男が現れる。

 男は慣れた動作で馬から降りると、浩樹君のもとへと歩いていく。歩いている動作ですら眩暈がするほど様になっている。

 

 まず目を引いたのは、ざっくりと編まれた長い金髪。

 そして、かえって気味が悪くなるほど整った顔に碧く透き通った瞳。

 長い四肢に百九十センチはあろうかという高身長。

 身にまとった鎧と、腰のあたりの剣がこれでもかと主張している。


 本物の騎士だ……。

 普通に生きていればお目にかかることすら無い。


「ヒロキ様、勝手に城を出られては困ります」


「思ったより早かったな。魔術は使わなかったのか?」


「御冗談を。あなたほどのマナは持っておりません」


 外国人風の男は流暢りゅうちょうに日本語を話していた。

 それだけでは無い。金髪碧眼の騎士が敬語で話しているのに対して、浩樹君はため口。この状況を見ているだけで頭がおかしくなりそうだ。


「それで、ケビンさん。あの二人がだ」


 ケビン。この男はケビンと言うらしい。

 ケビンさんはペコリと俺らに一礼をして自己紹介を始めた。


「お初にお目にかかります。私はケビン・マクスウェルと申します。ケビンとお呼びくださいませ。遠いところお疲れでしょう。よろしければ、私めの家にご案内いたします」


 マクスウェルって物理学者いたなぁ……。


 やばい、あまりに完璧な言葉遣いに思考が飛びかけた。

 ニコリと微笑みを浮かべている顔は彫刻のよう。大学の女子がある日突然、ドSの金髪長身イケメン(二次元)に目覚めていたが、なるほど分かる気がする。


「えっと、俺は矢島堅也です。以後よろしくお願いします。その、ケビンさんがご迷惑でなければ家の話も……。何分なにぶん家無しなので……」


 敬語はこれで合っているのだろうかと不安に襲われれる。

 とはいえ、一応自己紹介は済ませた。次は嶋村さんの番かなと、視線を送るとどうやら様子が変だ。


 目は大きく見開かれ、口は少し空いている。

 驚いている人ってこんなリアクションするな、と少し感動してしまった。

 嶋村さんには悪いが、自分より驚いている人を見たおかげで、いくらかは冷静になれた。


「お嬢様、大丈夫でしょうか」


 うわ、この人サラッとお嬢様って言ったよ。どんな人生を経験すれば、自然にそんな言葉をかけられるんだか。


 嶋村さんはと言うと、ケビンさんが声を掛けたことにより、正気を取り戻したらしい。顔を真っ赤にさせてぼそぼそと消え入りそうな声で話し出す。


「嶋村咲希です……。浩樹くんとは幼なじみで……。その、よ、よろしくお願いします……」


 あー、見惚れてたんか……。まあ、気持ちは分かる。俺が女子だったら絶対惚れるもんな。


 ケビンさんは特に気にした風も無く、ニッコリと笑みを浮かべる。街を歩いていたら十人中十人が思わずガン見してしまうほどの完璧な笑み。


「ケンヤ様とサキ様ですね。どうぞよろしくお願いします」


 そう言って、深々と頭を下げるのであった。

 

 今日一日での情報量が多すぎたので、一つだけ。一つだけ分かったことがある。

 

 


 自分より格上の金髪超絶イケメンに頭を下げられると気持ちが良い。

 


 


 

 


 



 

 

 


 


 

 

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