第63話 古井コガレの決断

63話 古井コガレの決断


 海岸を襲撃されたその日、『魔女』の本部で緊急の会議が行われた。

 越山ドームの特異級ヴェノムがサンダーファントムを殺し、スノーラビットをさらい、ウラシマをドームの奥で待ち構えている。

 明らかな罠だ。

 男でありながら魔法を使えるウラシマ。なぜ彼が魔法を使えるのか。なぜ彼があれほどまでに強いのか。その理由を『魔女』の者たちは知らない。『魔女』が把握していないウラシマの特異性にヴェノムが目を付けた可能性もある。


 ヴェノムの誘いにのるか否か。

 『魔女』の幹部の中でも意見が分かれた。


 レッドソードを始めとした、サンダーファントムという戦友を失って復讐に燃える者たち。彼女たちはウラシマという最強の戦力が加わった今ならドームを奪還できると主張している。

 グリーングラスを筆頭に、特異級ヴェノムの脅威を前に慎重な姿勢を見せる者たち。彼女たちはウラシマという『魔女』にとって貴重な存在を見え見えの罠に放り込むべきではないと主張している。


 どちらの言い分も正しく感じてしまう。

 完全な正解は存在しない。互いにメリット・デメリットがある。

 膠着状態になったとき、その決定はたった一人の少女に委ねられる。

 その少女こそ、古井コガレだ。


 積極的な者も慎重な者も、コガレが出した結論であれば大人しく従うだろう。

 それほどまでに『魔女』における彼女の影響力は大きい。


(責任重大ですね)


 コガレは会議を一度中断し、『魔女』の本部にある自室へと向かいながら、考えを整理する。

 最終的な決定権が彼女にあるということは、その選択による責任も付随するということだ。

 だからこそ安易に決断を下すことはできない。コガレの結論次第で『魔女』に所属する魔法少女、彼女たちによって守られている一般市民たち、その全てに大きな影響が出るかもしれないのだ。


 ドームの奪還は『魔女』の悲願だ。

 ウラシマならばそれを成し遂げられるかもしれない。

 コガレは『魔女』の中で、ウラシマの能力を誰よりも高く評価している。

 自分では敵わないようなヴェノムであっても、ウラシマであれば可能性があると考えていた。


 そのウラシマが大事に想っている少女がさらわれた。

 彼のやる気は十分だろう。

 ならばそのやる気を利用して、ドームの奥にいる特異級ヴェノムを撃ち果たすべきではないだろうか。


(そもそも反対したとして、黙って従ってはくれないでしょう)


 最悪のケースは、ウラシマが単独で突入してしまい、無駄に消耗した結果の敗北だ。ウラシマという貴重な戦力を失えば目も当てられない。

 かといってウラシマの出撃を強引に止められるかと言えば、それも難しいだろう。

 『魔女』には選択肢があるように見えて、実は一つしか残されていない。


 にもかかわらずコガレが決定を保留したのは、先に確かめておきたいことがあったからだ。

 それはつまり――ウラシマの正体だ。




    ◆




 俺と瑞樹はコガレの部屋で待たされていた。

 応接用のソファーに座って会議の終わりを待つ。


「少し落ち着け」


 隣に座る瑞樹はソワソワと落ち着かない様子だ。

 早くコガレが戻ってこないか時計を気にしている


「もし『魔女』がくるみを助けに行くことを反対したら……」


 『魔女』のバックアップが受けられないことになる。

 俺にとって『魔女』の支援はそこまで重要なことではないが、『魔女』の一員として活動してきた瑞樹にとってはそうではないのだろう。

 とはいえ、彼女の心配は杞憂に終わるはずだ。


「古井コガレは俺を知っている」


 実質的なリーダーである古井コガレ。彼女は俺のことを知っている。

 一人であってもくるみちゃんを助けに行くことを分かっている。


「そう上手くいく?」

「俺たちがここに呼ばれたことがその証拠だ。彼女の答えは既に決まっている。後はそれを裏付ける確信が欲しいだけだ」


 俺が勇者モモタロウだという確信が。


「そうだろう?」


 扉の向こうに問いかける。

 扉がゆっくりと開く。


「その通りです」


 古井コガレが部屋に入ってくる。

 彼女は魔法少女の状態を解除していた。

 魔法少女としての衣装も和テイストのものだったが、普段着も和服だ。この洋城と全く合っていない。


「どうしました?」

「いや、なんで和服なんだろうと思って」

「可愛いからです」


 両腕を外側に開いて、着物を見せつけてくる。

 コガレ自身の顔が非常に整っており、おかっぱな髪型と相まって精巧に作られた日本人形のようにも見える。

 チラッとこちらに目を向けてきた。

 彼女の意図するところはすぐに分かった。


「可愛いぞ」

「ふふふ」


 懐かしいやり取りだ。

 まだ彼女がレティシアだった頃、よくこうやって「可愛い」と褒めることを要求してきた。

 恥ずかしくはあったけれどレティシアは本当に可愛かったし、古井コガレという少女の姿も方向性は違えど可愛らしいから、その姿を褒めることは苦にならない。


「ウラシマ」


 瑞樹がムッとした顔で、不機嫌そうに俺の名を呼んだ。


「すまんすまん。じゃあ本題に入ろうか」


 話すべきことは分かっている。

 真剣な話だ。俺もコガレも意識を切り替える。

 コガレが俺たちの向かい側に座った。

 着物が乱れないように手で抑えながらゆっくりと座る姿には気品を感じる。


「あなたに希望を託してよいものか、私はまだ確信が持てません」

「だったらどうする?」

「今一度問います。あなたは勇者モモタロウ様ではないのですか?」


 まっすぐに俺の目を見ながら尋ねた。

 魔法を使っている様子はない。以前のような嘘を見抜く魔法は使っていない。

 でも今の彼女に嘘や誤魔化しを使えばすぐにバレてしまうだろうと思った。


「俺は勇者じゃない」

「――ですがッ!?」

「だが……元勇者ではある。レティシアに召喚されて、モモタロウと名乗った男は確かに俺だ」


 コガレがよろよろと立ち上がる。


「や、やはりあなたが――」


 身体を震わせながらゆっくりと近づき、俺に向かって手を伸ばした。


「古井コガレ!」


 コガレの動きがピタッと止まる。


「お前は誰だ?」

「私は、レティシアです」

「レティシアは死んだ」

「私は――」

「そうじゃない」


 俺の目の前にいるのは14歳の少女だ。

 どんな前世があろうと、どれだけ重責のある立場にいようと、彼女はただの中学生の女の子だ。


「確かにお前はレティシアの生まれ変わりなのだろう。でもレティシアという女は死んだ。お前はレティシアじゃない。古井コガレだ」


 形はレティシアのときのものとは違うけれど、彼女の目からは強い意志を感じる。

 その強い目こそが、古井コガレがレティシアの生まれ変わりであると雄弁に物語っている。

 だが今、その目から動揺が見て取れた。


「俺はもう勇者モモタロウじゃないし、お前はもうレティシアじゃない。そこをはき違えるな」


 コガレが目を閉じて俯く。

 それはレティシアが何か思いつめたときにとる行動だ。

 彼女は誰よりも世界の行く末を案じていた。人々の前では強く優しい聖女としてふるまっていたが、俺の前では弱い部分をさらけ出すこともあった。

 レティシアのそんな姿を見る度、彼女を抱きしめていた。


 ――変わらないな。


 昔と同じように彼女を抱きしめようと無意識に手を伸ばし、コガレの身体に触れる直前に、ついさっきの自分の言葉を思い出して踏みとどまる。


「あっ……」


 途中で手を止めた俺のことを、コガレが見ていた。


「もう抱きしめてはくれないのですね」


 彼女は悲し気に笑い、そして頷く。


「分かりました。私は古井コガレです。古井コガレとして、『魔女』があなたたちを支援することを約束しましょう」


 コガレは今後の方針を『魔女』の幹部たちに伝える必要がある。

 話はついたと俺たちはコガレの部屋を出ていこうとした。

 彼女の横を通ろうとしたときに呼び止められる。


「モモタロウ様……いえ、ウラシマ様」


 彼女の目は輝きを取り戻している。

 決意に満ちた顔だった。


「ウラシマ様の仰る通り、私はレティシアではなく古井コガレなのでしょう。それでも私は、レティシアとして生きたこと、成してきたことを引き継ぎます」


 異世界で聖女だった前世があるからこそ、彼女はその経験と才覚を対ヴェノムに活かしてしまった。ヴェノムという化け物に人々が苦しめられることを見過ごせなかった。

 その結果、『魔女』という組織を作り、魔法少女たちのリーダーとして責任ある立場に立たされている。

 前世を引き継がなければそんなことはせずにすんだだろう。ただの中学生として青春を謳歌できただろう。


 でも彼女は自らその道を選んだ。

 だから俺には止める権利がない。


「無理はするなよ」


 年齢も随分離れてしまった。

 34歳のおっさんと14歳の少女だ。

 互いに支え合うパートナーにはなれない。


「ウラシマ様に言われる筋合いはありません」


 コガレがムっとしながら返事をした。


「そうだな」


 俺は思わずフッと笑ってしまう。

 レティシアは俺より3つ年上の女性だった。

 俺よりも遥かに精神的に成熟しており、大人の余裕がある彼女に嫉妬することもあった。

 だから余計に、今の彼女が見せる子どもっぽい反応が微笑ましい。


「頑張れ」


 コガレの頭を撫でて、その傍を通り過ぎる。

 部屋を出ようとする俺たちに対して、彼女は振り向くことはせず、俺たちに背中を向けながらその場に黙って立っていた。

 部屋を出て、瑞樹に尋ねる。


「怒らせたかな?」

「知らない」


 瑞樹はぶっきらぼうに答えて、ズンズンと先に歩いて行った。




    ◆




「ハッ!?」


 立ち尽くしていたコガレは我に返った。


(これはマズいです)


 両手を頬に当てる。

 手のひらが頬の熱を感じ取る。

 不自然なほどに熱くなっていた。


 コガレはウラシマが勇者モモタロウに違いないと思っていた。彼の振舞いや行動を知れば知るほど、その確信を強めていった。

 以前に否定されたせいで最後の確信が持てないでいたが、今回のやり取りでウラシマこそが勇者だと確定した。


 レティシアが愛し合った唯一の男性だ。

 彼との記憶や彼への想いは生まれ変わった今も全て残っている。

 奇跡のような転生を経て再会するという運命的な巡り合い。それだけでも心はトキめく上に――


(あんなにカッコよくなってるなんてズルくないでしょうか!?)


 大人としての魅力が増している。

 昔のウラシマは少し頼りないけれど、世界を救うために真っすぐに突き進んだ男の子だった。

 でも今の彼には大人としての貫禄がある。重ねてきた年月が彼の顔にも、心にも刻まれていた。

 若い頃のウラシマとおっさんなウラシマ。

 どちらが魅力的かは人によって意見の分かれるところだろうが、コガレには今のウラシマの姿が心に突き刺さった。


「ふ、ふふ」


 右手を自分の頭に乗せる。


「頑張れ」


 低い声でウラシマの言葉を再現した。

 思い返すだけでも恥ずかしくなってしまう。

 ジッとしてられなくなってソファーに寝ころんでジタバタと身体を動かした。


「そういえば……ここにウラシマ様が座っていましたね」


 ウラシマが座っていた場所に手を当てる。

 ほんのりと熱が残っている気がした。

 ソファーの布地をさすりながら、思いを巡らせる。


 レティシアとウラシマの関係は、レティシアが年上だったこともあり、基本的にレティシアが誘惑し、ウラシマが翻弄されるというパターンが多かった。

 いつも主導権はレティシアにあった。


(ウラシマ様は大人になって、私は子どもになりました)


 14歳の少女だ。思春期真っ只中だ。

 その身体に精神が引っ張られている。

 コガレは自分が浮かれていることをはっきりと自覚していた。


(目を閉じればウラシマ様の姿が浮かんできます)


 どうやら主導権を投げ渡してしまったらしい。

 レティシアのときと同じように誘惑することなどできないだろう。

 ウラシマの顔を思い浮かべるだけで心臓がドキドキするのに、昔みたいなことをすれば、きっと恥ずかしくて死んでしまう。

 それでも、コガレは決意する。


「必ず主導権を奪い返してみせましょう!」


(それはそれとして……)


 まだうっすらと温かいソファーに意識を戻す。

 そこにウラシマが座っている姿がはっきりとイメージできた。

 イマジナリーウラシマを前にして、コガレはゴクリと唾をのみ込む。


(膝枕をしてもらいたいです)


 それくらい許される気がした。

 むしろ今まで散々してきたのだから、今度はこっちがしてもらわないと割に合わないと思った。


「私じゃ……コガレじゃダメですか?」


 空想のウラシマに上目遣いで訴えかける。

 イマジナリーウラシマは、コガレの上目遣いに興奮して、恥ずかしそうにしながらも膝枕を了承する。

 男はチョロいと黒い笑みを浮かべながら、ソファーに寝ころんで擬似膝枕を体験した。

 そして――部屋の扉を開けたグリーングラスと目が合う。


「えーっと、ごめんなさい」


 気まずそうにグリーングラスが謝罪した。


「……」


 コガレは何も言えなかった。

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