第34話 百合少女のノンケ疑惑

 隣からは寝息が聞こえる。

 中々眠ることができない瑞樹からすれば、ぐーすかぐーすかと呑気に眠っているウラシマが腹立たしいことこの上なかった。


(私を置いてとっとと眠るなんて……信じられない)


 同じベッドの上で隣にいる男のことを意識してしまって目が冴えていた。

 瑞樹は男嫌いだ。しかし、それはどちらかといえば食わず嫌いな面が強い。

 美人であるが故に男によく言い寄られて男嫌いに拍車がかかってはいるが、何か特別な過去がある訳ではない。単純に嫌っているだけだ。

 男のことを理解する気もなかったし、そもそも傍に寄せ付けなかったから、男という存在を詳しく知る機会がなかった。

 だが今、男と同じベッドの上で、同じ布団を被りながら、隣りに並んで寝ている。ウラシマのことを意識せずにはいられない。


(ウラシマ……魔法おっさん)


 突如として現れた、男なのに魔法が使える存在だ。

 最初は味方なのかどうかも分からなかったが、くるみのことを大事に思っているようだし、『魔女』に所属する意向であるため、味方と判断していい。

 魔法おっさんという重要な存在に接触している魔法少女は瑞樹とくるみの2人だけだ。『魔女』のことを考えれば、可能な限り親しくすべきだと思っている。


(くるみの害虫)


 ウラシマは気づかぬ内にくるみの心に上がり込んでいた狼藉者だ。今すぐにでもたたき出してやりたいところだが、悲しいことにくるみは彼を気に入っている。

 知り合って間もないらしいが随分と懐いていた。傍から見ていると親子のようにすら思えてくる。


(ウラシマのことを知る必要がある)


 くるみの周りにはウラシマがつきまとうことになるだろう。少なくとも現時点で、くるみが彼を遠ざけることはないように思う。

 だから嫌って拒絶しているだけでは始まらない。

 どのように接するにしても、ウラシマのことを分かっておくべきだ。

 ウラシマは瑞樹が初めて知りたいと思った男になった。ウラシマ本人はちっとも喜ばないだろうが。


(大きい)


 ウラシマを眺める。

 掛け布団の隙間からのぞく背中や肩は女のそれとは異なっていた。


(これが男……)


 女の背中よりも幅が広く、そして角ばっていた。

 魔法少女になることで身体能力は何倍にも向上するが、それは元々の身体能力に左右される。

 一般的に男は女よりも筋力がある。魔法おっさんとしての驚異的な身体能力は、男女の差もその一因のはずだ。


(筋肉……)


 ――瑞樹って年上の細マッチョ好きでしょ?


 友人の田中愛梨との会話を思い出した。

 そんなはずはないと瑞樹は思う。彼女にとって男は興味の対象外だからだ。

 だが愛梨曰く、瑞樹は年上の細マッチョを目で追っていることがあると言う。それではまるで男好きの変態ではないか。


(私は変態じゃない)


 ウラシマの背中をじっと見つめる。


(これは調査だから)


 背中をツンツンとつついた。

 肩甲骨の下あたり、いわゆる広背筋と呼ばれる場所だ。服の上からでもこの部分に厚みがあることが見てとれる。


 瑞樹も魔法少女である以上、ある程度鍛えてはいる。でも体質の問題なのか余り筋肉はつかず、ウラシマの大きな背中を羨ましく思う。


「意外と柔らかい」


 筋肉というのはガチガチに硬いものだと思っていた。

 脂肪とは違って張りや弾力があるけれど、想像していたよりもかなり柔らかい。

 この柔らかい肉がでたらめなパワーを生み出していることが不思議だった。


「これは調査だから……」


 そう自分に言い聞かせながら、手のひらをウラシマの背中にあてる。

 温かい。

 手のひらがウラシマの熱を感じとった。


「んん」


 こちらに背を向けて眠っていたウラシマが呻く。

 目が覚めたのかと焦ったが、どうやら眠ったままらしい。反射的な反応だったようだ。


 ホッと瑞樹は安心して気が緩んでしまう。

 その結果――


「きゃっ!?」


 背中を向けていたウラシマがこちらに身体を向けて、瑞樹を抱き寄せるようにして覆いかぶさった。

 突然の事態に瑞樹は小さく悲鳴をあげる。

 男性に抱かれるという初めての体験に、頭が追い付いていなかった。


 瑞樹は後輩の女子からカッコいい女性だと思われている。

 真帆川女子高校の生徒たちを、あえて男性的、女性的と分類するならば、間違いなく男性的な方になる。

 だが、今しがた見せた生娘の様な反応は、普段の凛々しい瑞樹の姿とは程遠い。


「な、なな何を!?」


 パニックになった。

 瑞樹はウラシマのことを嫌っているが、とはいえ、彼が強引に不埒な真似を働くことはないことを、癪ではあったが認めていた。

 くるみの人物眼を信じていたし、短い期間ではあるが彼と接して、悪い人間ではないと分かっていたからだ。

 にもかかわらず、突然の暴挙には困惑するしかなかった。


「むにゃむにゃ」


 意味不明な言葉を呟いている。


(寝ているようね)


 寝返りをうって、たまたま丁度いい位置にいた瑞樹を、抱き枕のように利用しただけのようだ。


(人騒がせな……これだから男は嫌い)


 理不尽な悪態をつきながら彼の腕から逃れようとする。

 しかし、ガッシリと抱き寄せられていて、ちょっとやそっとじゃビクともしない。起こさずに離れることは困難だった。


 ウラシマを叩き起こすべきか悩んだ。

 男に抱かれて密着されるなんて、瑞樹にとってはあり得ないことだ。

 だが同時に、彼の胸の感触が気になった。

 強引に抱き寄せられた結果、瑞樹の顔はちょうどウラシマの胸あたりにあり、頬が胸板にくっついてるような状態だ。

 頬から感じる感触は、さっき背中の筋肉を触ったときよりも硬かった。瑞樹を抱き寄せる体勢になったせいか、ある程度胸筋に力が入っているらしく、彼の胸板は少し硬くなっている。


「これが男……」


 改めてウラシマの胸に顔をくっつけて、耳を押し当てる。

 バクバクと小刻みに素早く動く心臓の音が聞こえてきた。

 この音はウラシマのもの……ではない。胸に当てた耳から聞こえる鼓動は力強くゆっくりと音を刻んでいる。

 小刻みに動いているのは自分自身の心臓だ。

 自分でもはっきりと聞き取れるぐらいに脈打っていた。


(ムカつく)


 厚くて硬い胸板やゴツゴツして太い腕が瑞樹の動きを制限している。

 男如きに動きを制限されていることに腹が立った。

 怒りのせいで瑞樹は気がついていないが、男嫌いを主張しているにもかかわらず、ウラシマに抱き寄せられて、身体の大部分を密着させておきながら、彼女は不快感を覚えてはいなかった。


(汗臭い)


 瑞樹はウラシマを汗臭いと感じているが、彼が不潔な男という訳ではない。むしろ一般的な成人男性よりも清潔であることを心掛けている。

 女性の匂いが基準になっている瑞樹だからこそ、男の体臭を強烈なものと感じているに過ぎない。


「臭い」


 身体をよじってウラシマの脇に顔を近づけて、その臭いを嗅ぐ。

 瑞樹はしかめっ面になりながら、脇から顔を遠ざけた。


「……」


 そして、もう一度、ウラシマの脇を嗅いだ。




    ◆




 翌朝、目が覚めたとき、隣にウラシマの姿はなかった。

 リビングに出れば、ウラシマが台所に立って朝食を作っている。くるみはソファーで爆睡していた。

 美味しそうな匂いを吸い込んでいると徐々に頭が冴えてくる。


「おはよう、瑞樹」


 昨晩のことなど気にした様子もなく、ウラシマが挨拶をする。


「眠っているのをいいことに、私に触った?」

「触る訳ないだろ」


 ウラシマが否定する。

 寝ぼけて瑞樹を抱き寄せたことは覚えていないらしい。

 瑞樹はホッと安心した。


「もうすぐ朝食できるぞー」


 ウラシマがくるみを起こすべく、瑞樹の傍を通り過ぎる。

 瑞樹の鼻がウラシマの寝汗による臭いを感じ取った。


「~~ッ!」


 その臭いが昨晩の記憶を喚起し、瑞樹は顔を赤く染めるのだった。

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