第9.5話 運命か偶然か
本当のところを言えば、怖かった。
純血吸血鬼として、大袈裟に余裕を見せてはいたが、一度殺されかけた男を前にして、恐ろしくないというのがおかしい。
でも、これが以前のように孤独だったのならば、相討ちになる覚悟を持って、死に行けた。
500年も一人で孤独に生きてきた私に、もはや生きる意味など、見出だせない。
『シェラミア』
懐かしい母の姿も声も、いつも孤独だった。純血には珍しく、情の深い人で繊細だったが、側には私やじいや以外に誰も居なかった。
長老家系の由緒正しいマナナンガル家は、母と私だけの数少ない血族で、血を授けてしもべとした吸血鬼もいない小さな世界。
女吸血鬼の家系、祖母の代にいた四人姉妹の血族も、残された母だけで、後は全ていなくなった。
天涯孤独となった母が、何故父と別れ私を産んだのか。父は何処にいるのかも知らない。
『シェラミアもいつか、大切な人を見つけて、家族を作りなさい。お母様は……いつまでも、側にはいられないと思うから』
だけどそう、たった一人の娘に、母は言った。
いずれ自分もいなくなり、一人で生きていかなきゃいけなくなる娘の『大切な人』とやらが現れることを、願って。
大切な人。
人間でよく言われてたのは、白馬の王子様というやつだ。大体は、ピンチの時にやってきて助け出してくれる理想の男性。
吸血鬼の娘だって、願わなかったわけじゃない。父親の居なかった私には、男というものをよく知らなかったからなのもあるけど。
………いつまで経っても、そんなものは現れなかったな。初めて結婚してだいぶ苦しんだ時期も、何度も死にかけた目にあった時も、苦しんだ日も、誰も救いには来やしなかった。
正義感に溢れる王子など理想だ。だって当時の女は、ただの子供を産む道具でしかないと、最初の結婚の何処かで気づいた。
それ以上になるには、相応の魅力を持たないと無理な話だ。自分には無縁だと諦めて、何処か羨ましくとも、興味ないふりを続けてた。
ドイツで、他の吸血鬼達が無惨に死んでいった中で、私も首と胸を撃ち抜いたというのに死ななかったのは、何故だったんだろう。
自分の中に残るエウメニデス…始祖ヘカテの娘の血の強さが、私を助けたとでも言うのか。それとも。
____『あの、今…彼氏とかいます?』
地下牢に繋がれ、冬が明ける頃には死ぬ運命だったはずの人間に、口説かれる為だったのか。
冷たい棺の中で一人、目を覚ます。
今よりももっと寒い日だった。目覚めたときは何もないいつもの夜だったが、動物も静まった猛吹雪の中で、人間の血の匂いがした。
例年稀に見る大吹雪の中、わざわざ迷い混んできた人の匂いに誘われて、見に行った先にあいつがいた。
怪我をして、雪に埋もれていたから助けたんじゃない。ここ最近、生きた人間の血を吸っていないことに飽き飽きしていたから連れて帰っただけ。
それなのに何を勘違いしたのか。
起きて早々私を見て、その台詞だ。
なめてるのかと思って顔を蹴っ飛ばしてやった。
それでも次の日にはヘラヘラしてるからかなりイラついたもの。
腑抜けで脳なしのお花畑かと思ったが…………死に直結した時、何も顧みず助けてくれた男は、聖也だけ。
まだ25になったばかりの、人間。
出会うはずもなかった世界に生きていた、私のような吸血鬼とは無縁だった…。
「お前が雪山に来なかったら、どうなってたんだろうな」
「ん?」
事を終えた体を聖也の胸の上に預けたまま呟いた。ベッドの横の机に置いたままになってたスナックをポリポリかじっていた聖也が、胸の辺りにいる私を見下ろして反応する。
「お前があの山に来なければ、私とは一生、会うこともなかっただろう。その後、別の女と出会ってたはずだ」
「いきなりどうしたの?また不安になった?」
「…別に。ちょっと思っただけ」
「言ってよ。笑わないからさ」
……この世で起きることは、偶然と偶可能性が重なって出来るものであり、今起きなかった事も起きた世界も別に存在するという。
そんなようなことを、じいやが昔話してた。
だから、思った。
けして縁がないと思っていた人間と吸血鬼が出会って、一つ屋根の下で奇妙に生活してる。考えてみれば、偶然が重ならない限りあり得ない。
聖也が言う運命は、どんな世界線にあっても必ず出会うという意味だ。そんなの限らない。
あの雪山で出会っていなかったら、私はこの先ずっと屋敷から離れなかっただろうし、聖也は私の目の及ぶ所に二度と現れなかったかも。
人間の胸の上から聞こえる心臓の鼓動も体温も息づかいも、知ることはなかった。
「…シェリルって、結構深く物事考えるよね 」
頭を乗せた胸の辺りを指でなぞりながら話す私の頭に触れた彼は、そんな深く考えなくてもいいのにと言いたそうに返事をした。
「悪いか」
「んーん。でも、ちょっと消極的過ぎ。考えたら切りないし、嫌な気分じゃない?起きてない事なのにあれこれ考えるの」
「確かにそうだけど、お前は私をいつも運命の相手だとか、言うだろう?」
「うん」
「出会わなかったら?私を知らないまま、他の女と結ばれる可能性だってだな…」
「…………」
…何言ってるんだ、私。
聖也の私を見る顔でハッと目が覚めた。
なんでこんな私らしくないことを…クソ、酔いがまだ覚めてないらしい。
「いい。忘れて」
「…君からそんなこと言われるなんて、ちょっとびっくり」
「忘れろ!なんでもない忘れろ!」
胸の上から顔を上げて、なんか嬉しそうな聖也に背を向ける。
柄にもない答えもないことを言ってしまったと恥をかいたが、後ろから伸びてくる腕と聖也の顔がやって来る。
お互い何も身に付けていない状態で密着して、聖也が私を抱き寄せて耳元に囁いた。
「…あの時、僕が君に聞いたよね。彼氏いるの?って」
「…聞いた」
「もし君にそういう人がいたら、殺されてもいいやって思ってた。だって、一目見た時にこの人だって思ったから…他の男がいたりしたら、そりゃかなり、ショックだし」
「一体どこをどう見て一目惚れしたと言うんだ。また胸って答えたら怒るぞ」
「ずっと昔から、探してた人にようやく会えたって感じだったんだって。胸も含めて見た目も全部好みだし、気が強くても照れたときとか可愛いし、あ勿論不機嫌な時とか怒った顔も可愛くてむしろ構いたくなる。体の相性だって最高だし、何より行為中のギャップが…」
「もういいもういい!!飽き飽きするからやめろ!!」
普段と言ってることが変わらない。もう本当に、そのままなんだな…。吸血鬼としての形相も所業も見てるのに、そこ気にしてないのが逆に怖い。
「僕だって同じだよ。君に他の人がいたら死にたくなる」
「私は別に死にたくなるなんて一言も言ってないけど」
「じゃあ、他の子と僕が付き合ってたらどう思うの??」
「…………………逆に、雪山の時点でお前に彼女がいた場合は?」
「早めに別れて君と付き合う方向に持ってく」
「………薄情もの」
なんでこいつはちょくちょく変なところに思い切りかいいんだ?というか、情もなくさっさと別れると言い切ったな。
「言ったじゃん。僕結構飽きっぽいのに、執着するのは凄く珍しいんだって」
「そんな奴の言うことは信用できないな」
「君にやったら殺していいよ、誓う。…それで?君は?そうなったら君は、嫌?」
全く……この浅はかな下僕が。
どうなの?と私の顔を覗いてくる彼の方に体をよじって向き直る。
狭いベッドの上で密着している体、まだ残っているスナイプスにやられた腕の傷を見ながら、彼の汗臭い高揚した体に触れた。
彼の瞳に私が映る。薄紅の瞳をした、哀れな吸血鬼女の姿。
昼の時間に襲う眠気に襲われて、気だるげな目配せをしている。
「お前を殺すのが先か、女を殺すのが先か。お前が一番苦しむのはどっちか考える」
「素直に嫌って言ってよ」
「フンッ」
「可愛い」
ますます惚れると拒もうとする私にキスをする。
運命は信じられないが、この下僕に他に女がいると考えたら……不愉快極まりない。吐き気がするのは確か。
だから、死ぬまでは手放したいと思わない。仮に向こうが離れたいと言ったら、望み通り殺すまで。
「もう君と出会えたんだ。そんなこと考えなくていい。明日もその次も、君とずっと一緒にいるから」
「…うん」
「君がいる朝がいい。…だから、今日のようなことはもう起こさない。僕が君を守る」
言い聞かせるように顔を近づけてきた彼に答える。
「…命に危険が及ぶことはするな。お前を殺すのも生かすのも私だ」
「心配してくれるんだね」
「人間は、脆くてすぐ壊れるから」
なんともない触れ合うだけの優しい口づけなのに、愛しくも悲しくなるのは………どうして?
私が吸血鬼で、彼が人間____だから?
「好きっ…好き……君は運命だ…」
運命に違いない。聖也はそれを繰り返す。
そうであったなら、もっと、いい。
触れる彼の髪、首の後ろに手を回して体を求めたが、数回キスで触れ合っただけで珍しく、聖也の方から離れた。
「怪我してるのに付き合わせてごめん。君は寝てて」
「…出掛けるのか?」
互いの汗も熱も交わってた体が離れた。ベッドから起き上がった聖也は、脱ぎ散らかしたままにしてる服はそのままにして、収納から服を取り出して着替え始めた。
「すっかり忘れてた、用事あるの。買い物もしてこなきゃいけないし」
「…そう」
別に寂しくなんかない。ちょうど眠くなった所だし、まだ昼間で人間の活動時間だ。今日に限って予定ぐらいある。
それでも、着替えて身支度を整え始める聖也の背中をずっと目で追ってた。
「ほら、休んでて」
「…フンッ」
「寂しい?すぐ帰るから待ってて」
「別に待ってない」
さっさと身支度を済ませた彼がベッドの私のところまで戻ってきたのを素っ気なくかけ布団を顔に被るが、布団からはみ出たままの頭に、聖也の手と唇が触れた。
「おやすみ。可愛いシェリルちゃん。好きだよ」
「バッ…バカにするな…!!」
クスクス笑う声が聞こえて、少し物音と足音がした後、部屋から気配が消えた。
ま………全く、いつから私をなめ腐るようになったと言うのだ…!!
うぅ………でも逆らう意欲がないのがもどかしい。どうしてこんな気持ちを持ってしまったんだ!
………お母様。
あんな人間が、私の今の『大切』だったら、怒る?
寝ようにもなんか寝付けず、聖也がいなくなった部屋、布団から顔を出して水でも飲もうと起き上がった。
全身痛い。なのに聖也の相手までしたものだから余計痛い。明日は筋肉痛になりそう。
あぁ…全く。狂ってる。
発情期のせいなんだろうか。こんな風に、妙に感傷的になってしまうのは。行為の後の妙な罪悪感を抱きつつ、足を伸ばしてベッドから降りようとしたとき、ふと足の裏に何か踏んだ感触を感じた。
ごみでも落ちてたのかと足の裏を見たら、名刺サイズのカードが引っ付いてた。
眞藤聖也と名前が書いてある。そして裏面を見ると、一週間の日程表と、注意事項のような記載。そして、表面にあった名称の名前に、思わず、眉を潜めた。
「心療内科?」
______***
東京という一大都市。ひそかに吸血鬼達は、大都会の何処かに身を潜めている。
吸血鬼ハンター達は、比較的丸まって動く彼らを狙い、世界の日陰に隠れて活動している。
不死身のスナイプスと呼ばれる黒人の男が日本に来たという噂は、どちらにも及んでいた。
「あんたがそうなんだろ?超目立つからすぐに分かるぜ」
「本当にハーフヴァンパイアかよ~?キバついてんの???どうして同胞を狩るんだ?」
狩りの標的を探していた男は、急に軽口を叩いてきた日本人兄弟に捕まった。
彼ら二人は大学生と高校生ほどの若さだったが、父親が吸血鬼ハンターであった影響で仕事をしているらしく、歴戦の勇士であるスナイプスに興味を持って近づいた。
そして、スナイプスが狙っている獲物の事も、何処かで嗅ぎ付けてきたのか、全て知っていたようで、子供のように目を輝かせていた。
「取り逃がしたのか?本当に純血の血筋か?」
「……関わるな」
「凄いじゃん!!ロサンチーノJr.より大物だぞ。手伝わせてよ」
「噂だとめっちゃ美人の妖魔らしいな。どうなんだ?」
「お前らに純血は無理だ。黙って家に帰ってろ」
日本の吸血鬼は海外から逃亡してきた移住者が多く、吸血鬼に変えられた人間も、純血が海外から来日した時がほとんどだ。よってこの若い日本人兄弟には、純血を相手にした経験がないという事は容易に見抜ける。
多くの吸血鬼を相手にしたスナイプスも、純血相手には苦戦を強いられる。
力が強く、ほとんどが特殊な能力持ちであることから、人間相手では歯が立たず、必ず犠牲を伴う事が前提。
スナイプスは立ち去ろうとしたが、兄弟はしつこく食い下がってきた。
「待てって!純血種の噂はもう広がってる。あちこちのハンターが狙っているぜ!俺達だって始末しなきゃ、夜もろくに眠れねぇよ」
「子供の出る幕じゃない帰れ」
彼は相手にせず、そのまま立ち去る。
残された兄弟は体格の違う男の背中を睨みながら罵倒したがそれも無視され、そのまま取り残される。
「日本人だからって馬鹿にしてんのか!!外人様がよ!!おいごらぁっ!!×ガーー!!」
「女の吸血鬼相手に逃げられた奴にどう言われようが構わねぇさ。せっかくの純血が日本にいるなら、たとえ女でも狩りゃしばらく食いっぱぐれねぇ大金が手に入る」
「どうする兄貴?」
「決まってんだろ。…………狩りの始まりだ、弟よ」
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