第8.5話 嫉妬したっていいじゃない



 数日経った昼頃、忌々しい太陽の中を歩いて、指定された場所に足を運んだ。


着いて早々、ジャッキーの職場であるスタジオの一角を借りて………他には絶対見られたくないスケッチモデルとやらに付き合った。


というか、来るんじゃなかった。

それなりに報酬は出すと言うし、暇潰しになるかと思って来てみたが。


「ちょっと!そんなブスッ~ってしてないで、もうちょっと可愛い顔出来ないわけ??」


「これが普通の顔なんだけど」


「だとしたら、体だけはナイスボディーなとんでもないブスよあんた」


「こんな格好させられて、愛想を振りまけと?まるで娼婦だ」


「考えが古いのよっ」


説明もしたくないが、私がさせられている今の格好を簡潔に説明する。


テロガンハット、豹柄の紐みたいな下着、網タイツ、黒いファーの長いマフラー。


 この4部構成でしか成り立っていない恥のない娼婦のような格好を、スケッチさせているというだけでも寛容というもの。


じいやが見たら、泡を吹いて倒れる。絶対。



「……この格好、いつまでやってればいいの?」


「横向いて頂戴!!」


黙ってポーズを取りなさい!!と強い口調で強要され、スケッチにペンを夢中で走らせているジャッキー。もう私の言うことなど、聞く耳もたずということか。


"インスピレーション"のためと言うが、一体なんのかは知らないし、理解できそうにないし知る必要もない。


 要求されるポーズもかなり卑猥で下品なものだ。絶対にスケッチを他に見せない事を約束させた上で大人しく従っているのには………まぁ、一応、理由がある。



 どれぐらいの時間続けてただろう。ジャッキーがようやく一度スケッチを置いて休憩と言った時にようやく解放された。

 寝っ転がっていた見た目は高級そうに出来ている低品質なソファーに座り直し、改めて見てこんな恥ずかしい格好の上に、さっさと用意されていたローブを羽織る。



「好みはある?」


「好み?」


「若い男?それとも年配もの?」


ジャッキーは近くに置いていた革のトランクケースから、ワインボトルを取り出して見せた。中身がワインじゃない事は当然分かる。質問の意味も。


「どちらでも」


「あら、欲張りさんね。それじゃ、年配ものにするわ。あたしはこっちが好みなの」


「へぇ、意外」


 取り出したグラスに注がれる赤い血、ワインのラベルには60年物と記載がある。ジャッキーは注いだ一つのグラスを私に差し出してきた。



「それでどう?人間の暮らしは」


「暮らし?……まぁ、別に。色々と分からない事だらけではあるけど」


「そういう意味じゃないわよ。人間ですら分からない事だらけな世の中なんだから、当たり前じゃない!」


グラスに口をつけながら、ジャッキーは私を押し退けて隣に座ってくる。はぁ…………そういう質問か。年代物ほど少し酸っぱさの出る血の味が、舌にしつこく染み渡る。



「悪く、ない。嫌いじゃないし、あいつの事。変わってるけど」


「まーファーストコンタクトの事聞いた時点で変わり者だとは思ってたわ。それでぇ?吸血鬼にするわけ?」


「するわけないでしょ」


即答で答えると、ジャッキーは目を丸くして「あらどうしてよ?」と聞いてくる。そんなの決まってるだろと、少し酸っぱさのある血を飲んだ。


「あいつにそんな度胸ないし」


「でも、これからも付き合ってくわけでしょ?人間のままだと、そのうち老いて死ぬわよ?」


「分かってる」


それでも、私にあいつを吸血鬼にはしない。吸血鬼の世界は、思っているよりもシビアだ。


長老と呼ばれる純血の支配するドロドロした社交界を経験している私にとって、この世界は人間のように生きやすくはないし、摂取するのは主に人の血だけ、太陽は天敵という嫌な制約までついてる。


 ヘラヘラしたお人好しですぐ泣くような泣き虫。気質的にも、あいつは人間でいる方がいい。


…………例え、いつか死ぬとしても。


「ふーん。あんたって、そういうタイプ?好きな人には邪道を歩かせたくないって?」


 純血吸血鬼としては珍しいわねと言いたげな目をしていた。それも、何処か複雑な感情を込めながら。それもそう、ジャッキーは純血ではない。純血の誰かに吸血鬼にされた元人間だ。私の理由に、何か言いたい気持ちはあるんだろう。



「純血らしくないと言いたいのか?」


「そういうんじゃないわよ。ただ、あんたみたいなのも、いるのねと思っただけ」


「おかしいか」


「好きな人ほどずっと一緒にいたいからって、恋人を吸血鬼にって考えてる子が何人かいたけど。……そうね、あんたの考えも、正解だと思うわ」


「ジャッキーは、どうして吸血鬼に?」


 ジャッキーの表情を見て何となく、そう質問をしてみると、「あら私?」と一言置いた後に間が空いたが、まぁいいかと自分で納得したように頷いて、こう言った。



「あたしもそういう感じよ。結局、顔が好みのゲス野郎に利用されただけだったけどね」


ジャッキーの年齢を考えれば、かなり苦労のあった時代での話だっただろう。

好きになったのが、たまたま純血吸血鬼の男で、ずっと一緒にいたいからと魂を売り渡したのが運の尽きだったと語った。



「その男は?」


「100年ちょっと前かしらねぇ。死んだわ。最期は呆気なかったけど。200年近く、あいつに利用されてただけだったって気づいたときは、目的も何もかも見失っちゃったけどね」


どうして、吸血鬼になんかになってしまったんだろう。

その疑問が拭えないまま、ずっと生きてきたと、ジャッキーは視線を斜め上に預けながら言った。


「だからねぇ、人間だった立場からしたら、シェラミーって結構、彼氏想いじゃないって思っただけ。どのみちずっと一緒になんかいられないし、一時の感情を信用したら、後で後悔させることになるもの」



 好きでなったくせに、年月が経って、その目的を失ってしまったら……ジャッキーのようになるのか。

 好きな人の為に吸血鬼になって、永遠の命を手に入れて、それが幸せに繋がるとは思えない。


 あいつにも同じことが言える。年月が経てば、心変わりがある事だってあり得るし、私も完全に不死じゃない。先にいなくなる可能性だってある。その時、あんなひ弱な奴が吸血鬼の世界で生きていけるとは考えられないし、正直。




「でも、嫌なことだらけじゃないわ。楽しいことや仕事には恵まれてるもの?」


「…そういうもの?」


「そうよ。あんた、500年も生きてるくせして、そんなこともわかんないの?」


なんか凄い嫌なところを突っつく言い方をされて、ムッとジャッキーを睨んだ。


「生憎、私はお前みたいに人生を謳歌してるわけじゃないの」


「あたしより酷いっての?何よ、言ってみなさいよ!恋人がいる分あたしより充実してるくせして生意気ね!」


「お前の嫉妬はそこなのか」


「決まってるじゃないの!!」


 一通り語った後に、あんたの人生ってなんなのよ!?としつこく聞いてくるジャッキーに離れろと体を引きはなそうとして、もみくちゃにされそうになっていた時だった。



__「ジャッキーさーん?入りますよー」


「何よ!?スケッチ中に入ってくるんじゃないわよ!!」


「モデルの衣装チェックお願いに来たんですけどー」


私達のスタジオのドアを開けて、頭を出したメガネの男の声に、ジャッキーは私に馬乗りになったままハッとして「あ、そうだったわー」と仕事を思い出してようやく解放してくれた。


ジャッキーは他人のファッションに口を出す批評家というか、スタイリストだ。その道では結構有名らしいが、人にこんな格好させるセンスを持った奴の何処が良いのか分からない。



「シェラミー、一度中断よん。あんたも折角だから一緒に来て」


「なんで私が」


「新しいインスピレーションが湧くかもしれないじゃないの!!」


「待て、これの他にまだ着るものがあると!?」


「当たり前じゃない。さっ行くわよーー!!」


せめて着替えをさせろと言ったが聞かず、バスローブを着たまま、そのまま連行された。





_______





「はぁ~い!可愛い小鹿ちゃん達!おまたせぇ~!」


……何が小鹿ちゃんだ。

ジャッキーと一緒に入った所には、いかにも貧血そうなメスばかりがいる。



「ジャッキーさぁ~ん!」


「お疲れさまですー!!」


「その子誰~?新人さんですか~?」


 外国とは違って地味に思えるが、ジャッキーのプロデュースだ、ここでは派手な方に思う。


 そんなファッションに着飾ったモデル達はわざとらしく媚びるような態度でジャッキーに挨拶をしつつ、後ろについてきた私の事に触れたとき、ジャッキーは「キュートなバービーちゃんでしょ?」と、馴れ馴れしく肩を抱いてきた。



「あたしの従姉妹の娘。シェラミーって言うの。仲良くしてあげてねぇ~」


「…………」


誰が、あんたの従姉妹の娘だって??

微妙に遠い親戚設定にする意味は?


 あからさまに嫌な顔をすると、「なーによその顔。ブッサイクねぇ~」と嫌味満々で言われる。モデル達は綺麗な顔をして笑っているが、それぞれの目から辛烈しんれつなものを感じる。


……こういう世界では、表面上はよくとも、中身はかなりドロドロだ。貴族社会と何も変わらない。むしろ慣れてるから、別に何とも思わない。



「さぁて、今日も可愛い小鹿ちゃん達のチェックをしていこうかしらっ………って、ちょっと!そこの子担当したの誰!?指示が全く違うじゃないのよぅ!!!!」



「あ……はい、私です………」



「あんた!!話聞いてたの!?こんなんじゃアタシのイメージより大幅5ミリずれちゃってるじゃない!?このズレは世界の崩壊を招くものよ!!分かる!?」


 仕事モードになったジャッキーは尻をわざとらしく振りながら、モデル其々についてるスタイリスト達に絡み始める。見ても私には、それがおかしいのかおかしくないのかよく分からないのだけど。


ただ、口煩いのは分かる。耳を塞ぎたそうな顔であいつの叱責を聞いてるところを見ると、可哀想になってくるな。



 あれもダメ、これもダメ。次々にバッシングを重ねて行くジャッキーの様子を、とりあえず眺めていると、私の後ろにあった扉が突然開いた。



「ごめんなさい!遅れました!!」



 慌てて入ってきた声に振り向き、鼻についた匂いが最近何処かで嗅いだばかりだと直感した。

身長が求められるモデルながらも、その娘はどちらかと言えば小柄だった。


 しかし肌が綺麗で、おっとりとした深窓のイメージを抱く。多分、この中にいるどのモデルよりも一番容姿が整っているだろう。




 初めて会ったというのに、どうしても不愉快に感じざる負えない匂い。けして臭くはないが、発情期の終わっていない今、この場にいる女の匂いだけでも不快だと言うのに、もっと不愉快にさせられる。


 女の後ろからスーツを着た男も一緒に入ってくると、ペコペコと頭を下げ始めた。



「すみません、すいませんジャッキーさん!動画撮影が押してしまいまして!!」


「もういいわよ!!時間ないんだからさっさと入んなさい!!」


「すみませんでした!!…優愛ちゃん、また後で迎えにくるからね」


「はい!」



ペコペコしながら付き人と思われるスーツの男は、その女を残して出ていった。





……………待て、今、って言った?



………ムカムカとお腹の中から胃酸が沸騰するような不快感を覚える。その不快感を、更に膨張させるかのように、付き人が出ていった扉から、見慣れた声と姿が入ってきた。



「ちょっと待って優愛、これ、忘れてる」


「あっ!ごめん、忘れてたぁ。ありがと!」


 扉からニュッと差し出してきた紙袋を持つ手と顔、それに向けられる光輝くような可憐な笑顔の先を見る。

 今、なにかを手にしていたら、そのまま叩き割っていたところだっただろう。



 今の時間帯、仕事の時間のはずだ。

けしてあいつの職場ではない場所で、そこともけして近くではない場所に、あいつが何食わぬ顔をして存在していた。___女の匂いをプンプンさせて帰ってきたあの夜と同じ匂いをもった女と、一緒に。


 あいつもきっと、すぐ出ていこうとした視線の先に、私の姿が一瞬写っただけで気付いたときに思っただろう。



「…?……!?………!?」



 三度見くらいして………あのバカの顔にと書いてある表情で、私を認識した頃には、私はどんな顔をしていただろう。


なんだろう、別に苛立つ理由もないのに、きょとんと私に視線を送ってきた横の女の存在を見ると、かなり腹が立ってきた。




「?聖也?知り合い?」


「な、何でここに??こんな昼間から…」



………なんでもここにいる?だって?おかしいな、それは、こちらの台詞なのだけど。

朝仕事へ行って、人の髪を切って真っ直ぐ帰ってきているはずの男の台詞ではないことは、確かだ。



 聖也の目が、明らかに横で紙袋を手にしている女を意識して右往左往しているのがよく分かる。何をそんなに慌てる必要が??ふん、相変わらず、おかしな奴だ。


格好もバスローブのままで気になっているのだろうが、聖也が口を開く前に私は腕を前に組んで先に言葉を発した。



「お前こそ、仕事は?私が知らぬ間にもう転職したのか??」


 誰が聞いても明らかな皮肉を込めて返すと、この室内の温度が徐々に下がっていくのが分かる。


「えっと、仕事中だよ…?」


「何の?」


「委託で、仕事しに…」


「そう。"委託"で。……ご苦労様?」



 聖也の顔は、何故かみるみる青ざめていく。ご苦労様と労っただけなのに極限まで血を抜かれて瀕死の状態のような、顔色の悪さだ。




「ねぇ、聖也。だれ?友達?」


 私達のやり取りに、横にいた女が固まった聖也の腕に触れる。

 その瞬間、離れた所にいたジャッキーが私の目の前に瞬時に走ってきては私の腕を掴み、傍にあった機材照明の電球が独りでに砕け散った。




「きゃーー!?何!?」


「照明が割れたぞ!?」


「あぶねぇな!!ショートしたのか!?」


「シェラミー……!抑えなさいっ……顔、顔がもう敵意むき出しの本性丸出しよっ……!!!!」


 思わず念力で割ってしまった照明の方に全員の注目が行ったせいで他には気づかれなかったが、私の衝動にいち早く気がついたジャッキーは、私を隠しながら凄い力で爪がビッと伸びた私の手をググッと抑えつけた。



「あんたどうしたのよ…!?」


「煩い……離せ、そしてどけ」


「ここで離したら、あんたそこの二人の事襲うでしょーがっ…!!…って、あら!?下僕君じゃないの?」


「ジャッ、ジャッキーさん…!!」


「……げぼく君?」


聖也とジャッキーは、私が来たときに何度か面識がある。ジャッキーが私を抑えながら、震えている小鹿のような聖也とアイコンタクトで何やら意志疎通を図っているも、私には関係ない。


 どうして、その女と一緒にいる!話を断ってすぐ別れたんじゃないのか!?今日も仕事だって、いつも通り出ていったくせに!!


「っ…離せ!」


「ちょっとシェラミー!?」


「ま、待って!!話を……」


バンッ_!!スタジオの扉を閉めた時、何かが扉の側面にぶつかる音がした。無視。


 そのまま元いたスタジオまで早足で帰る。すれ違う人がチラチラと私を見ているが、関係ない。

 背後から扉が開く音、走る音が同時に聞こえるが無視。


吸血鬼の中では足が遅い方だが、人間が追い付けるほど遅くはない。ジャッキーといたスタジオの扉に手をかけ、すぐに閉じる。


発情期が来るまで然程波打たなかった心臓の鼓動がバクバクと波打って、痛い。苦しい。


……悔しい!!どうしてこんな屈辱感を、味わっていなきゃならない?


 スタジオに置かれたソファーにごろっと転がり、だらしなく顔を埋める。頭の中でずっとぐるぐると回る。浮気だという確証もない、もしかしたら本当に仕事でバッタリだったのかもしれない。


 けど、偶然とも思えない。大分前ならまだしも、つい数日前に、あの女と会っていたのだから。

もう会う事もない、自分には彼女がいるからと断ったって、言ってたのに。



……………………。


…………あいつ、あんな娘と付き合ってたのか。


一通り回って冷静になり、びっくりして私を見ていた間抜け面のあいつの横にいた、あの優愛という女を思い出す。



 パッと見ただけだが、私とは少ししか違わない身長のあいつとはいい身長の差だし、小柄でいかにも女らしく、素直で可憐な印象を受けた、美少女タイプ。


 隣に立っても違和感が全くなかったし、むしろ親しげで悪くないようにも思えたけど、どうして別れたんだろう。




いや、なんでそんなこと気にしてる私?

というより、親しげだったというのが問題点だ。


 何気ない事のはずなのに、とんでもなくムカつく。忘れ物だと差し出した紙袋を受け取るだけの仕草も、女の名前を口にしていた事も、あの女が聖也の腕に触れた一瞬も。……全部。


 ジャッキーがいなかったら、二人とも八つ裂きにしていたぐらい、腸が煮えくり返った。浮気なんかしないと信じていても、どうしても、嫌。

いっそ殺してやろうと、闇の者としての考えが剥き出しになったぐらいに。


でも………本当だったら、あいつはあぁいう普通の人間と一緒にいるべきなのだから、私が怒る筋合いなんて、ない。


息が苦しい。鎮まっていた発作がまた戻って来ようとしていた。

…………じいやの言ってた通り。自分は全く傷つかない訳がないって。

もう手遅れだ。年甲斐もなく、あんな風に子供じみた嫉妬心を剥き出しにするなんて、私も堕ちたもの。


………発情期も、誰かに惚れることももうないと思っていた。じいやの言うことは無視して、ずっとあの山奥で隠居しようと思っていたあの頃が、一年前なのに遠く感じる。


 もう、嫌だったのに。いっそ、死んでしまえたら、楽なのだろうか。

ここにいること自体が、居心地悪くて仕方がない。ジャッキーには悪いが、もう帰って寝よう。あいつが帰ってきたら改めて……



___ガチャンッ

私一人しかいないスタジオの中で、何かが動いた音が、天井から聞こえた。



 

「……?」



ジャッキーが出入り禁止にしていたスタジオだ。清掃も入ってくる心配はないと言っていたから、誰かいるはずもない。

機材か何かが外れたのかと思い、顔を埋めていたソファーから、上を見上げようとしてすぐだった。


「ッぁ!!!!!!」




__背中から、溶岩でも浴びたように焼ける激痛が走る。体の内部を守る皮膚がヒリヒリと腫れて、爛れていく激痛。

 反射的に上を見上げたとき、庇った手から焼き焦げていく煙を上げる隙間から見える、眩しい光。


それが、私を殺す憎き太陽だとすぐに分かった。



「っ!!あぁぁぁぁっっーー!!」



 天井には少し大きめの天窓があった。それを塞いでいた物が外れたのか、のか。

 吸血鬼の体を焼く太陽の光が、スタジオに射し込んできたのだ。


 長らく浴びていないというより、浴びてはいけない日の光に晒され、体が焼けていく痛みと肉の焼ける臭いに、悲鳴を上げてしまった。突然やってきた激痛と死の気配に、ソファーから転がり落ちた。



「ぁっ…!!誰が……誰がこんっ……」


 スタジオの構造からして、天窓は何処かにある操作盤を弄らない限り、人の手で外すことは出来ないものだ。それが急に誤作動で、開かれたとでも言うのか。



 ローブなど肌を守るのに意味もなさない。まして中はもっと薄着だ。光を吸収して守ってくれる暑苦しい黒いニカーブでようやく全身を守っているのだ。グリルの上で生きながら焼かれ、まだ身動きが出来るうちにソファーの下にでも隠れようと這いつくばったが、太陽は容赦なく紫外線の攻撃を止めることはない。


このままじゃ、本当に死ぬ。

一瞬でも、死を願った事を後悔した。




熱い、痛い、苦しい…………………………怖い___


じわじわと焼けていく体を無意味に太陽から守ろうとうずくまる。

感じたことがない恐怖と苦しみの中、頭に浮かんだのは、自分を産んだ母でも育てたじいやでもない。あいつの顔。



「せい………聖也ぁ……っ…!!」


力の限り叫ぶ。

勝手に怒って飛び出して、こんなところで一人でいる私を、見つけられるわけがないと分かっているつもりでも。



私の下僕。

私を、一人の女として見てくれた唯一の人間。ようやく出会えたお前から……離れたくない。誰にも取られたくない。一緒にいたい。


このまま灰になんかなりたくない。


早く来て。助けて。



___眩しい光の元、なすすべもなく意識は陽光の中に持っていかれ、淡くも愚かしい願いも奪われ体の半分の肉が爛れてきたその時だった。



_____「シェリル!!!!!!」


視界が黒くなり布のようなものに包まれる、重い何かが私の上から覆い被さり、太陽の光は遮られた。


………まさか。

もうダメだと諦めていた私の耳に、あいつが呼ぶ声が聞こえて…



「シェ、シェラミー!!…!?なんで天窓が…」


「ジャッキーさん!!早く天窓閉めて!!」



 私を守るように、普段感じられない力強さで腕に抱き抱えた。そして黒くなった視界の向こう側では、騒がしく人が出入りする気配を感じ取る。



_「どうしたんですか?なんかあったんですか?」


_「どうしたじゃねぇ誰だ!!このスタジオの天窓は弄るなって言っただろうが!!!!」



 集まってきた人間の声に、ジャッキーが酷く怒ってる声が聞こえてきた。間一髪、灰になる前に太陽から逃れられたものの、全身に光を浴びた体は酷い火傷を負って激痛に苛まれる。

グッと力強く抱き締められた力にも、私は声をあげてしまう。



「シェリル!?あぁ……」


「ね、ねぇどうしたの!?」


「優愛!!控え室貸して!!彼女酷い日光アレルギーなんだ!!」


「い、良いけどでも…」


「退いてくれ!!」


 聖也の焦った声で、薄れていた意識が戻ってきた。どこで持ってきたのか、黒い布に包まれたまま、足が宙に浮いて何処かに連れていかれた。


あの女の声も聞こえたが、聖也はそれもすぐに退け、グラグラと揺れる衝撃が伝わるほど駆け出していた。



「シェリル、もう少しだからね!!頑張って……….!!」


私そう繰り返し、涙ながらに語りかけながら。




_____***





 騒ぎを聞き付けて近くにいた人が集まってきたのも、ジャッキーさんが怒っているのも、何故かついてきた優愛が心配して声をかけてきたのも全部無視して、彼女を優愛の控え室に運んだ。


 勢いよく扉を開けて、控え室にあったソファーに目をつける。

 自分の腕の中で苦しそうに唸っている彼女をソファーの上に横たわらせ、窓のカーテンも全部閉め、部屋の電気まで消す。



熱いと唸り続けていた彼女の傍にいく。肉のこげた臭いに吐き気を誘ったけど、グッと腹に力を込めて我慢する。


 黒い布のなかにいる彼女の体の形と微かな呼吸音があるのを確認して、パニックになっていたのが少しずつ安堵していく。



「シェリル…大丈夫、ねぇ……布を取るよ…?」


「……嫌……取らないで」


 布に手をかけたとき、悲壮感が漂う彼女の声が懇願するように聞こえる。


 運んでいるときに見た、いつも綺麗で滑らかな腕の白い肌が焼けただれていて、見るも悲惨な姿になってることが想像ついた。



「怖がらないで。もう大丈夫。僕がついてる」


「せい…や………痛い…痛い…熱い……」


可哀想に、どんなに痛くて苦しい思いをしただろう。後もう少し遅かったら……そんなこと、考えたくない。



「ほら僕の血、飲んで。大丈夫だから、ほら」


 苦しそうに繰り返す彼女に、僕は自ら腕の袖を捲って、手首を彼女の顔の前に差し出す。

 唯一の栄養の供給である血を飲むように、いくらでも飲んで構わないと言って押し付けると、彼女は布を捲って口元だけを晒し、僕の腕に噛みついた。



「っ……」



 勢いよく噛まれて、吸われる痛みと違和感が襲う。


そんなのは別に構わない。吸われ過ぎて自分が死んでも構わない。君に、死なれてしまうよりかは。


 右腕に吸い付く彼女を抱き寄せ、左手で顔半分まで被った布を取り除く。

獣のように鋭くなった瞳孔、鮮やかな薄紅色の目を見開き、夢中で僕の血を吸う彼女の顔は火傷のような酷い跡。


痛々しく残ってしまったらどうしようと心配する僕の目の前で徐々に、赤みが残る程度の痕になっていく。


 僕から生命力を吸い、傷が癒えていく姿を見て安心する。自然と笑みがこぼれて、もっと飲んでと彼女を撫でた時、はっと目を見開いて彼女が僕の腕から牙を抜く。


 チクッとした痛みが戻ってきて、腕の噛み跡から血が流れ出すのを、彼女は労るように舐め尽くした。



「もういいの?」


「これ以上やったら、お前が死ぬ」


「いいんだ。ごめん、もっと早く君のところに駆けつけられていたら……」


「…泣くな」


そもそも悪いのは僕だと言いかけた時、彼女は冷たい指先で僕の頬にそっと触れた。情けなく泣いていたようだ、彼女の手が僕の涙で濡れる。


「だって怖かった。君が死ぬかと思って」


「………」


 彼女は黙ってポカンと口から見える牙の先を見せて、僕を見ていた。そっと頬に触れた僕の手に、甘えるように自ら押し当ててくる。


 彼女がどう思ってるのか、それが答えだと思った。言葉にしないけど、態度で表してくるタイプなんだと、パンダランドの一件からようやく分かった。

 

前々から分かっていたのは、彼女は不器用だってこと。だからちゃんと向き合えば、分かってくれる。



「……あのね、今日は本当に、仕事で来たんだ。うちの常連さんに頼まれてね。来てみたらさ、この間話した子が居たんだよ。まさかいるとは思ってなくて…」


「……」


「秘密で会ってたわけじゃない!誓うよ!言ったでしょ?君がいるのに浮気なんか考えない。どう考えたって、浮気しようと思えないもん」


 君が昼間っからこんなところにいるとも思っていなかったけれど、やましいことは一切ない。そう必死に弁解する僕から顔を逸らし、もういいとシェリルは口を開いた。



「そんな度胸がないことぐらい、分かってる。ただ勝手に………酷くイラついただけ…」


「………嫉妬って事?」


「し、し、嫉妬じゃない!!イラついただけ!!ホルモンが過剰反応をしただけだ!!」


分かりやすい。

顔が真っ赤になってフンッとそっぽを向く。定番の照れ隠しだということに本人は全く気づいてない。


「な、なんで笑ってる!?」


「ごめんごめん。安心しただけ。…怒ってなくて良かった」


死ななくて良かった。

付け足してグッと体を抱き締めた。はだけたローブの隙間から見える肌には、まだ痛々しい痕が残っていて、悲しくなってくる。




「ちょっちょっと、お前…」


 首筋に残った赤く腫れ上がった痕の上に、小さな口付けをする。彼女の体がビクッとはね上がったけど、何も言わず彼女の右頬の痕にも2度繰り返す。

やめろと言われても、やめられない。慈しみたいという本能のまま、首筋を辿って下へ、下へと………彼女の肌に吸い付いた。



「可哀想に……もう痛くない?平気…?」


「っ……やっ……バカっ家じゃないんだぞ!」


身をよじって抵抗しようとするシェリルの体に手を回し、逃げられないようにして続けた。


「聖也っ!」


「じっとしてて」


 何もしてあげられない、こうなる前にもっと早く君のところに行くべきだったという後悔と贖罪、そして愛しい人が今まだ生きている肉体を慈しむ。



「あっ………ぅ……」


 口では嫌がっていても、くすぐったく喘ぐような息遣い、徐々に僕を受け入れ始めた。やらしい声が、眠っていた本能まで起こしてしまいそうだ。


 そのうち少しずつはだけていたローブも前が開いて、露になった体が、暗い闇の中にうっすらと見える………。




「……どうして、こんな格好してるの?」


「はっ…こ、これは……」



 ローブの中に着けていたのは、セクシーな豹柄のネグリジェに挑発的なアミタイツ。何でローブなんだろうとは思っていたけど、まさか…こんな。



………すっげぇ、エロい。



慌てて隠そうとする彼女の仕草も思わず笑ってしまいそうなぐらい、ゲスな感想が浮かぶ。



どうしてこんな格好してるのかは………多分、彼女のことだから、ジャッキーさんに何か頼まれたんだろうなぁ。見てる感じ、強引な吸血鬼さんだし。


んでも………なんか、モヤモヤする。こういう格好、まだ僕の前でしてくれたことないのに。



「ジャッキーさんにやらされたの?」


「う、うるさい……見るな」


「んーん。もっとよく見せて。君凄く、綺麗だ」


「やっ…あんっ……」


彼女の髪がかかった首筋から再びキスをして、また下へ下へと、痕を辿っていく。鎖骨から胸、助骨、お腹………素直に声から反応が漏れていくのが、また可愛い。




「せい……んっ」


「君も酷いよ……ジャッキーさんにこんな格好、最初に見せちゃうなんて……」


「ちが……だって…」


「しっ~。静かに…」


いくらジャッキーさんに男の心はないとはいえど、それこそ、嫉妬してしまう。

それでも、傷付いてしまった彼女の柔らかい体を労るように、キスを落とし続けた。




 部屋は締め切った上で電気も消したし、ソファーの上。背中にトンっと彼女の足がぶつかる。僕を受け入れて、長い足を広げたシェリルとこのままイチャイチャするのも………悪くはない。


というか、したい。物凄く。





「はい。おしまい!」


「ふぁう?」


でも、そこは彼女の敏感に反応を示したヘソの下までキスを落として、自分に言い聞かせるようにして言い、切り上げた。


 顔を上げて離れ、はだけたローブを着せた僕に、「え?もうおしまい?」と言いたげな気だるい表情と吐息の入り雑じった彼女の瞳が僕を見上げた。肝心なところでデザートを取り上げられた、子供みたいだ。



「一応仕事中、だからね。…ここからの続きは、帰ってからにしよう」


指で優しくなぞるように、最後にキスをした場所に触れると、彼女はボンッ!と顔から煙を吹き出しそうなほど、赤くなって、目がつり上がる。



「あ、あああ当たり前だ!!…じゃなくて、仕事中にこういうことをしないのが、当たり前だ!!バカ!!!バカ下僕!!」


 僕の背中に足を擦り付け広げた足を閉じてソファーから起き上がり、バカバカと言い続ける。……力、抜けてたくせに。こうも意地っ張りなのに、やっぱり、可愛い。


「こっちは死にかけたというのに!!」


「ははっ、思ったより元気で良かった~。今日仕事が終わったら直帰だから、一緒に帰ろうね?」


「なんでお前と一緒に帰らなきゃいけないんだ!!一人で帰る!!」


「いいじゃん。どうせ帰る場所は一緒なんだからさ!それにもう万全に動けるかも心配だし、シェリルちゃん、待っててねっ!」


「私を託児所に預けた子供かなんかだと思ってるのか下僕め………」




___「ちょっと!!中のお二人!!いい加減出てきなさいよ!!中でおっ始めてるんじゃないでしょうね!?」



外からのノックが聞こえ、僕は安心して閉じこもってた楽屋の扉を開けに立ち上がった。




____**





「悪かった、ジャッキー」


「謝るんじゃないわよっ。新人スタッフが間違えて操作盤弄ったせいなんだから。無事で良かったわ~シェラミー!」


「ひっひっつくなっ!!」


帰り際、施設の受付まで見送られた時には、もう日が沈む直前。空は青みがかって夜の訪れを待っていた。

しばらくまたジャッキーのスタジオで休ませてもらい、聖也の仕事が終わる頃にフロアに出てきたらもうこんな時間になってしまった。


死ぬかと思った。死の危険は、予期せぬ所で起こりうるものだと改めて実感する。


最近が平和で何もなかったせいか、すっかり忘れていた。



「バカなスタッフには、後できつく言っておくから。危うく死にかけたって言うのに平謝りばっかり!!ね、怪我はどう?」


「平気」


「下僕君に感謝しなさいよ。あんたの意地っ張りで鼻を打ったのに、見捨てないでくれたんだから」


「分かってる」


………腕と首筋にみみず腫が残ってしまった。他のところは赤みが差した程度になったが、日光を直接浴びた背中には酷くまだ残っているらしい。聖也の血とジャッキーのワインを飲んだおかげか、このまま日が経てば治るとは思うけど。



「ねぇ、シェラミー」


「何?」


「あの子、真っ先にあんたの悲鳴を聞いて助けてくれたのよ。初めて見たときは、な~んか頼り無さそうな子犬ちゃんって思ってたケド、彼、結構格好いいじゃなぁい?」


「……」


「あんな邪険に扱わないで、大切にしてやんなさいよ」


ジャッキーが隠れた牙をチラ見させてニカッと笑った。

………別に、邪険にしてなんか。確かに、まぁ………あいつのことは、ちょっとだけ見直したけど…。


「あんたって可愛げないんだから?そうツンツンしてると、他の女にいずれ取られるわよ」


「う、うるさい」


「ほら、約束してた報酬よん。今日やれなかった分は、また後日よろしくぅ~」


「は!?まだやるのか!?」


「どうせ暇でしょ!!後、次までに新しい銀行口座作っといで!!」


 今時手渡しとかめんどくさいわ!!とか文句を言っているジャッキーから封筒で受け取ったお金をしまっていると、反対方向のエレベーターから「シェリルちゃーん!」と恥ずかしげもなくロビーで呼び掛けてきながらあいつが降りてきた。



「あらあら、下僕君のお出ましねぇ~」


ニヤニヤしながら私を見るジャッキーの下品な顔にも、腹が立つ。


「あんた、部屋でどんな介抱されたのか教えなさいよ」


「ふ、普通だ!!何もない!!」


「嘘おっしゃい。部屋から出てきた時のあんたの顔、完全に出来上がってたわよ。下僕君ったら、可愛い顔して御上手みたいねぇ」


で、出来上がってた……?何が!!

フフフフフ………と不気味な笑い方をするジャッキーと私の元に、聖也がやって来た。

何話してるの?とぽやんと聞いてきた聖也の腕を引っ張った。



「遅い!!帰るぞ!!」


「わわっちょっと!?そんなに引っ張らないでって!」


「下僕君~。シェラミーをよろしくねーん」


「あ、はーい!!ありがとうございます!ジャッキーさーん!!」


 腕を引っ張ってる聖也が後ろでジャッキーに手を振っている中、彼が気づかないところで、ロビーを出る直前に、目にした。


近くのソファーの所で、見覚えのあるスーツの男がスタッフと思われる人間にペコペコしていて、その側には、あの女が立ってこっちを見ていた。


そこに、聖也や誰かに振りまいていた笑顔はない。虚しいような真顔で、私達を見つめている。



見なかったふりをして、私は聖也と一緒に建物から出た。




「傷、まだ傷む?帰んなくて本当に平気?」


「平気。だいぶ痛みは引いてきたから。…帰って食事を作るのも、面倒でしょ」


「まあね~。でも、また痛みが振り返したりとかしたらすぐ言うんだよ?」


 近くのレストランに入って聖也の食事に付き合う。目の前で彼が食事してるのを眺めながら、唯一頼んだホットティーを口にして、終わるのを待った。

人間の食べ物の匂い、時々食べたらどんな味がするのだろうと気になりもする。



私も、人間として生まれていたら、何が好きになっていたのだろう?人間の食べ物は豊富だ、吸血鬼から見ても、どれも食べたら美味しそうに見えるし。



「どうしたの?」


「美味しいのかって思って。それ」


「食べてみる?」


「いらない」


 何度か密かに手を出してみた事はあった。この間、聖也が持って帰ってきたチーズタルトもこっそりと食べてみたが、風味以外の味が全くしない。というか、美味しいのかどうかすらわからない。嘔吐反射も、食べてからすぐに出るし、良いことはあまりない。



「そんなに人の食べ物って毒なの?」


「毒ではない。人に紛れる訓練として多少の食べ物は摂取して我慢は出来るけど、すぐに体が吐き出そうとする。受け付けないの」


「そっか。でも、血液だけで体って維持できるもの?」


「気にしないで食べろ」


その辺は私も分からない。

聖也から貰いすぎたせいか、どうにも顔色が悪く見える。よくあの後普通に仕事ができたものだ。



「あの……聖也」


「ん?」


「さっきは…………た……」


 助けてくれて、ありがとう。

という簡単な言葉が、簡単に出てこない。言いたくても、勝手に沸き上がってくる羞恥心に、パクパクと食べ物を口に運んでいる聖也から目を背けてしまう。


 そのせいか、言いかけたのに黙って下を向いた私に、「?」の文字を浮かべて顔をあげた彼は、もぐもぐ口の中で頬張った後、ハッとして私に言った。



「もしかしてまだどっか傷む!?」


「ち、ちがう」


「だってさっきから具合悪そうだし!!顔色も悪いし!!………あ、でも、元々か」


「どういう意味だそれは!!」


「だぁって君、色白なんだもん!」


 人の顔をマジマジと見ておいて、慌てたかと思えば今度はヘラヘラと笑う。その顔を見てるとイラついて仕方がない。

出会ってからずっと、笑顔を見てるとなんだか胸がムカムカして気持ちが悪い。


「…それで、何?」


「いや…その」


そのまま流すかと思えば続きを聞いてくる。…………なんでだ。言うべき事なのに言えない。どんだけ意地っ張りなんだ私。

真っ直ぐ私を見つめてきた彼は、黙ってる私の言葉を待っていたが、意を決して「あの」とだけ出た私に、先に口を開いた。



「もしかして、優愛の事?」


「え?あ…」


聖也はあの女の事だと思ったらしい。そもそもはあの女が発端というか、一連の要因にはなったからだ。

別にもう気にしてなかったが、私の口ごもる様子を見てそうだと思ったらしい。



「もう何もないから安心して。僕もう、あの子の事嫌いだし」


「嫌い?なら、なんで一緒にいた?忘れ物まで持って」


「あれ?あぁ、僕が作業してたのモデルさん共同のスタイリングルームだったんだ。そこ私物置いちゃいけないとこでさ、彼女忘れていったから僕が持ってくように頼まれたってだけ」


………そういうこと。

てっきり荷物持ちでもされていたのかと思った。


「安心した?」


「別に」


「良かった」


聖也は優しく私に微笑み、食材が無くなって空いた皿を横に避けた。


「僕には君だけだ。ほんとだよ」


「……どうしてそう言い切れる」


「分かんないけど」


そこまでの要素が私にあるとは思えない。どうにも、納得がいかない。

女の中でも、私は跳ねっ返りな方だ。男からしてみれば、従順で弱くて目立たない娘を選びたがるようなものじゃないのか。


まさしく、あの元彼女のような感じの。

どちらかと言えば、私よりも誰もがあっちを選びそうな気がするが。



「シェ~リル!また眉間に皺が出来てる!」


目の前の聖也にポンッと指先で眉間を突っつかれる。考え込んでいたのか、険しい顔をしていたらしい。


「そんなに疑ってるの?じゃあさ、僕だって、君の事がたまに心配になるときがあるんだよ?」


「は?」


「だって美人だしキリッとしてるしスタイルも抜群だし、僕なんかよりも長身でイケメンの人に取られちゃうかって心配になるよ!!」


「く、くだらない!!そんなわけないでしょ!!」


ムッーとカエルみたいに頬を膨らませ唸りながらくだらない事を口にした聖也に叱責する。今さら他の男に目移りするほど、伊達に独身生活を送ってきてはいない。


「僕だって不安になるもん。パンダランドだってさ、君の事皆見てたし、君に元カレがいるってだけでも涙が出そうになるし」


「お前の涙腺本当弱いな」


「……だって、君は、僕にはもったいないってぐらい綺麗だし、可愛いし………」


………この男は。見ていればグズグズと!!全く、全部台無し。身長とかはまだしも、根がこんな甘い男じゃなければ………。


「言っておくが!!好条件な男ほど、地雷を抱えてるもの!!そんなものに今さら目移りする私じゃないぞ!!」


グズグズ言ってて堂々としていない聖也にはっきりと言うと、一瞬驚いた顔をした後、ハハハハッと何故かあんまり嬉しそうじゃない苦笑いを向けてきた。




「それに!!…私は、偉そうな男が大嫌いだ。お前ぐらいの男が丁度良い」


「……ん?」


 そっぽを向いて最後にそう付け足す。

意外な言葉だと言うのか、聖也はぽかんっと口を開けて私を見る。全く、表情が豊かな奴。


今のは本心だ。嘘なんか言わない。



「それは、どう受け取ったらいいの?」


「だから、お前は偉そうにしないし、女を見下したり、変なプライドもないから付き合いやすいってだけ!それだけ!!」


「優しいって事?」


「……………そうとも、言う。後…どちらかと言えば、誠実だし…」


「………」


 最後につけ足したという言葉に、いつもならすぐ「そっか!ありがとね!!」とか単純な言葉を返してきそうなものだったが、聖也の表情は少し寂しげというか、あまり納得いってなさそうな微笑を浮かべていた。


何かおかしな事を言っただろうか?誠実という言葉に、嫌な意味なんか含まれていないはず。


「聖也?」


「………んーん。何でもない。シェリルが、そういう風に僕の事、見てくれてたんだって思って」


「嫌味で言った訳じゃないぞ」


「分かってる。ただちょっと……」


…?浮かないな。やっぱり何か変なことを言っただろうか。

聖也の様子が気になったが、すぐいつもの調子に戻った。私の顔に添えていた自分の手に、聖也の温かい手が重なった。


そして、茶色いがかった目が私を見つめる。



「本当に、僕には勿体無いほど綺麗な吸血鬼だよ。無事で、本当に良かった」


「………悪かった」


人間にここまで身を案じられたの、初めてだ。命を脅かす敵同士なのに、こんなにも、私の無事を願ってくれる。

………吸血鬼相手にだって、無かったことか。



「いいって、もう。……帰って、あの時の続きをしよ?お腹から下の……」


「バカ!!公共の場で言うな!!」


 ……………強いていうなら、変態な所だけは、本当に嫌。

この後、家に着いて早々に、まだ腫れ上がった赤みが残る病み上がりの体を激しく愛でられたのは、言うまでもない。


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