第8話 晴れのち血の雨
____**
「ふぁぁ~………」
「眞藤~~眞藤眞藤アホ眞藤ぅ~」
「ふぁっ!!」
よく出るあくびをしながらレジでアポの確認をしていた時、突然脇腹を集中砲火してきた店長に驚かされる。普段何かとねちっこく絡んでくる店長から脇腹を守りつつ、なんですか?と返すと、なんですか?じゃねーよと急に態度を一変して僕の隣に立った。
「おめー年始明けてから数日有給使って休みやがった挙げ句に、遅刻早退が多いってどうゆうことだ?このバリカンで俺に丸ハゲにされてーのか」
手に持ったバリカンを見せつけられる。怒るのも無理ないよね。通りすがりの同じ職場の先輩に、「パワハラ~」と言われるが、店長は「うるせぇ」と軽く受け流した。
「すいません。迷惑かけました」
「…………で?今も眠そうにしてやがったけど夜一体何してんの、ちゃんと寝てんのか??そんなに彼女ちゃんの具合悪いの?」
目の隈まで指摘され、まるでやる気がないように思われてしまってるなぁ…これ。
職場にまで迷惑をかけて申し訳ない気持ち。でも、他ならない僕の彼女が、僕以上に大変なことになっている事の方が、正直重要ではある。
たった一夜の行いで病気を発症してから、昼も夜も落ち着かない彼女。
素直じゃない彼女は我慢して棺桶に入っては眠ることもろくに出来ずに、爪で内側を引っ掻いたり、枕やその辺のものに噛みついたり壊したり、部屋の中をぐるぐる歩き回るぐらい気が立つものだから、一日中僕が側にくっついて体を撫でてあげたりしてないと落ち着かなかった。
視界から急に離れたり、僕が外に買い物へ出ようとするだけでも発作が起きたりしてたから、常にトイレ以外は一緒だったし………全然迷惑じゃないけど、年始の休みが明けてもこれだったから、仕事出れなかったのは痛かったかも。
ようやく少し落ち着きを取り戻した今、仕事には来れてるけど………。あくまでも、昼間の間だけ。吸血鬼の習性のせいか、夜は元通り、彼女を収める為に毎晩、頑張り続けてたら寝不足にもなるよ……。
「病院には?」
「あぁ……まぁ。だんだん良くはなってるんですけど、発情……じゃなかった、発作が収まらなくて」
「はーん……大変だなぁ?そういやうちの嫁も、昔はしょっちゅう持病の発作を起こすほど体弱かったっけなぁ~」
「え?奥さんも発情期が?」
「は???」
よく聞きとれられてなくて幸いだった。今なんて??と僕を凝視してきたから、すぐに発作です!!と言い直す。
「いや、奥さんもよく発作起こしてたんだなって…」
「まぁなぁ~。今じゃ考えられねぇほど鬼嫁だから、嘘に思える」
店長の奥さんには僕も会ったことはあるけど、この店長と似て豪快な人というか、何かの病気をしている人には見えなかったけどなぁ。昔は体が弱い人だったんだな。
「申し訳ないです、迷惑かけて」
「看病で大変なのは分かるが、夜はちゃんと寝ろ。あ、後そこのチーズタルト、お客さんに貰ったやつ、彼女ちゃんに持ってけ。お前のではけしてないから勘違いすんなー」
「あはは……ありがとうございます」
喜びますと言って、レジの下に置いてある紙袋を見る。北海道のお土産の美味しそうなチーズタルトだ。僕は嬉しいけどシェリルは食べられないのが残念。
店長がその場から離れようとしたとき、店の扉のベルがなって、店長がこんにちわーと挨拶する声に、僕も挨拶をしようと視線を向けて笑顔を作った。
「こんにちわ~、御予約のおきゃ……」
………思わず、入ってきた女性のお客さんを見て途中で言葉が止まってしまった。
見覚えがあったからだ。眠気に襲われててずいぶん久しぶりでも、すぐに誰だったのかを思い出す。
__「…あぁ、やっぱり。外から見てそうだと思ったの」
色白の茶髪の長い髪、青と白が目立つお洒落な冬服のコートと耳には緑色のピアスを着けた清楚な雰囲気を持つ女性。
ぱっちりした瞳を潤ませ、僕を見て微笑んだ彼女に、心の中で警報がなったような気持ちになった。
「聖也、久しぶり」
「………
アポ帳が登録されているタブレットをつるっと落としてしまいそうな程、手の中に汗がにじんだ。
____**
まだベッドにはあいつの臭いが残ってる。鼻につく汗の混じったいやな臭いが、今は心地がいい。
今日もベッドのシーツを取り替える。ずっと聖也一人が使っていたベッドは今二人で使っているから、汚れる頻度が多くなってしまって、取り替える頻度も自ずと増えるというもの。
………あいつには、ずっと無理をさせている。だいぶ落ち着いては来たが、まだ聖也の姿が見えないと凄く落ち着かないときがあって、この前も、壁に酷い引っ掻き傷を作った。
夜になると元通りになる欲情を、毎晩受け止めてくれる下僕をどう労うべきか。
今日も眠そうに仕事へ出ていったし、倒れたりしないといいんだけど。
ベッドのシーツを変え、洗濯機に投げ込んでスイッチを入れた後、ポケットのスマホを覗く。聖也からラインが来ていて開くと、「今夜は少し帰りが遅くなる」と来ていた。
「遅くなる…飲み会か?」
ここ最近は私の為にと寄り道もしなかった聖也が、今日は遅くなるらしい。……まぁ、最近はそれで色々無理をさせていた。息抜きか、それとも残業だろう。
私は「わかった。気をつけて」と返信して、ラインを閉じようとした所、今度はベルカから着信が来て電話に出た。
「はい」
「ハロー発情期モンスターちゃーん!具合どお?今晩美味しい生き血が飲める吸血パーティー行かない?」
……………相変わらず、減らず口を。というか、もう酔ってるでしょこれ。
「怪しいパーティーじゃないよー?吸血鬼ファンの人間が、うちらの為に生き血を提供してくれるコンペよコンペ!映画にあるような虐殺パーティーじゃないの」
「乱交パーティーならお断りだ」
「ちがぁうって!!ほんとにただの立食だって!!」
定期的に裏界隈でそんな秘密のパーティーが開催されるが、当然真っ当なものではない。どうせ、人間の芸能界で売名に燻ってる無名のタレントを集めて血を提供させてるだけだろう。
日本の芸能界にも吸血鬼がいるから、知っている。
ベルカも人間を殺すことには躊躇がある方で、ほとんどを血症パックや動物の血で誤魔化しているが、たまには新鮮な生き血も欲しくなるとこの事。
日本とはいえ、ハンターに聞き付けられたらまずい事になるため、私は行こうとは思わない。
ベルカは断り続ける私を幾度となく誘うが、大体は本題が別にあることを私は知っている。
「まー純血種様が真面目なのは、仕方ないとして。例のハンターのことなんだけど」
「何か分かったか?」
「まだ日本にいるらしいわ。黒人で、サングラスかけたマッチョな男だってさ。バウダーは依然として行方が分からないらしいけど探し回ってるのか、殺したけど他に何か探してるのかの、どっちかね」
「厄介だな。まさか、日本にいる吸血鬼すべてを殺してから帰るつもりではないだろうが」
バウダーは恐らく死んでいる。私がひどく痛めつけたのもあるが、ここ最近で遊園地を出たバウダーの行方の情報が全く出てこないことが証拠だ。
純血種でハンターを呼び込むような事をしたバウダーの動向は、誰もが保身のために探っていただろうし、大した程度でもない些細なことすら情報が出てこないところを見ると………だ。
「今じゃ『ブレイド』って呼ばれてるみたいよ。ジャッキーから聞いたの」
「
「昔ほど数は多くないってさ。エクソシストみたいなもんよ」
「その男の素性は?」
「容姿以外には何も。ただそいつにやられたって吸血鬼は何人か、発見されてる。派手なことは何もないけどね」
「なら、吸血パーティーはやめておいた方がいい。たとえ一人でも、奴等は吸血鬼相手の訓練を受けてる。舐めてかかり、二度と会うこともなくなった仲間を何人か知っている」
「ジャックにも言われたわー。非公式だから大丈夫だと思うんだけどねぇ」
「今はSNSの時代。情報が昔よりも簡単に洩れる。止めておけ」
そう促すとベルカは食欲もあって唸っていたが、最終的には仕方ないと折れた。
今や人間はどこでも情報を共有できる機械を持ってしまったものだから、吸血鬼という少数の隠れ住む生物は肩身が狭い。
聖也のように吸血鬼と知って好んで付き合う物好きもいるけれど、それ以外は対象じゃない。今が寛容というだけで、昔は異常な程に警戒されていたのが正しいだろう。
「ていうか、まだ終わんないの~?発・情・期」
「やかましい!それ他に言いふらしたりしてないだろうな?」
「言ってないよー多分」
この女に話すべきじゃなかった。飲みに来いと煩いからつい言ってしまったけど、私がバカだった。
「でーさー?どーなのよぅ、彼氏ちゃんのテクは??」
「何でそんなことを聞く?」
「純血種の発情期って、そりゃー激しいもんなんでしょ?お粗末なテクじゃ満足できないんだって」
思ってたほどお粗末じゃなかったから発情期になったんでしょ。
と言いかけた口を手で抑える。本命はそっちだなと半分キレ気味で言うと「お熱いのねぇ~」と、この場にいない余裕か、へらへらとからかってくる。
「用が終わりならもう切る」
「いーよ。元気そうで安心したわ。彼氏ちゃんを吸い付くして見限られたら連絡ちょーだい。慰めてあげる~」
「お酒も大概にしろ」
呆れつつ、ベルカからの電話をブチってスマホを置く。
リビングの本棚の上には、パンダランドで貰ったパンダのぬいぐるみが二つ並んで置いてあるのが目についた。
………気持ちには凄く自信があると言っていたが、本当なのだろうか。
とりあえずまた一年一緒にいてもいいでしょ?と囁かれて、じいやにも置いていかれたし、了承してしまったけど、不安は拭えない。
飽きやすいなら尚更だ。あいつが心変わりする可能性は、まだあるってこと。
天井に足をつき、逆さになった状態でこじんまりしたリビングと、二匹のパンダのぬいぐるみを眺めながら、思い出す。
あの一夜から全てがくるっと変わってしまって、私が彼を好きになってしまったということにようやく気づかされて、離れたくないと思って、起こしたことのない発情期まで起こして…………全部が一気に吹き出すように起きた。
毎日毎日、収まってもまたすぐに始まる発情。それでも聖也は、文句も嫌みの一つ言わず私を慰めてくれる。というか、もう喜んでやってるのは見え見えなんだが。
……変態。聖也の手に渡った赤い布を着けた方のパンダに呟く。
それでも、隈を作って毎朝出ていく聖也を責める気になれない。むしろ、ここにいてほしいと望んでいる自分がいる。あいつは結構モテるみたいだし、他のメスの目に触れてほしくない独占欲みたいなものなのか。………そんな資格なんかないのに。
あいつが裏切るような事はないと思ってる。でも、何度好きだと囁かれて、命をかけられても、全く信じられない。
今まで付き合ったどの男性よりも信じられるとは思いつつも、完全に信じきって、裏切られるようなことがあれば、また、自分が傷つくだけ。
男なんてそんなもの。皆私を、子孫を生ませる道具としか考えてなかった。吸血鬼の奴等は特にそう。純血の姫を欲しがるのは、その為だから。人間の男は、魅惑的な容姿に恵まれる吸血鬼の魔力に、惹かれるだけ。
あいつもその一人だと思ってたけど、そうにしては効き目が抜群すぎるというか、考えが妙なほど曲がってると言うか、とにかく、今までの奴等とは違うと言える。
信用したい、でも、出来ない。
こんなにも、私に情を持たせたあいつは、本当に罪な男だ。
……だから、こんな気持ちが沸くんだろうか。どうにもあいつがいない時間が暇でしょうがない。
ただ待つのも嫌になってきた私は、意外にホコリが溜まっている天井の掃除まで手を出し始める。夜も深まるに連れて、また体に熱が戻って全身が歯痒くなるのを感じた。
かきむしりたくなる体のウズウズした感覚、掃除に集中しづらくなる。全く!嫌な発作だ!!
「ただいま~」
っ…!
玄関から音がした。遅くなると言っていた聖也は、いつも帰ってくる時間よりも二時間ほど遅れて帰ってきた。
あの声が聞こえて、私の胸の中で、ほどんど動かない心臓がドクッと高く鼓動が跳ねた。また発作が起こるんじゃないかと、天井に足を付けたまま、咄嗟にうずくまる。
もう嫌だ、こんな病気。
風邪とかにかかった方がまだマシな気がする。
_____………?
なんだ、この匂い。
今まで感じなかった、私とこの部屋、聖也以外のものが混じって………妙な。
この何処からともなく漂ってくるほんの僅かな匂いに、腹から何かが込み上げてくる。気持ち悪い。敏感になった体が、また発作を起こそうとしているのか?
しかも、この匂いは……。
まさかとは思ったが、リビングの扉を開けた聖也が入ってきた時、身体中の毛が逆立って拒否反応を起こす。……………間違いない。
"
「シェリル、ただいま~。遅くなってごめ…」
「近づくなっっっ!!!!」
「へっ!?」
体から提げていたバッグをテーブルに置いて早々、両手を広げて近付いてきた聖也を咄嗟に拒否する。いきなりの事に、聖也は両手を広げたまま、ポカーンと私を見て止まった。
「ご、ごめん。いきなりどうしたの?」
私が怒っていると思ったのか、訳が分からないといったばかりに逆さに見える聖也はそう聞いてきた。
それもそうだろう、私も咄嗟とは言え、怒鳴るように口から飛び出してしまったし。
しかしこの匂いに体が、聖也を受け付けようとしない。
というか…………こいつ、女と会ってたな???ここまで濃く匂いが、残るなんて、そうとしか思えない!!
「………正直に、言いなさい」
「正直に?何を?」
「今まで、何処で、何を、していたのかを」
「何って……悠斗と一緒に飲んでた、けど?」
目線が一瞬だが、左横を向いた。飲み過ぎてはいないと言うが、あの友達の匂いはしない。というか、女の匂いの方が強すぎてかぎ分けられない。
自然と鼻をつまんでしまう私に、聖也はハッとして、「まさか臭い!?僕臭い!?」とか言って自分の事を嗅ぎ始めるが、嘘をついているのは確実だ。
「女の匂いが凄いする」
「……お、女……?」
「会ってたな?」
「違うって。匂いがするとしたらそれはお客さんの匂いで…」
「匂いの度合いが明らかに違う!!」
一旦は誤魔化そうとしていたが、本当の事を言わないとベランダから逆さにして吊るすと脅しをかけると、黙ってゆっくりと下を向いた。
「………やっぱりな。どうせそんなことだろうと思った!!!!信じろと言っておきながら、もう!!」
「違う違う!!待って、そんなんじゃないから!!久しぶりに会った人で、ちょっとお茶飲んでただけ!!」
「じゃあ何で隠した!!!!下劣な人間め!!私を発情させて置きながらもう他のメスと!!」
「違うって!!話聞いてよ!!君を心配させたくなかっただけだ!!とりあえず匂い落としてくるから、話を聞いてください!!」
「あっちいけ!!」
____ぐるぐるとリビングをしつこく追い回した奴の顔をビンタし、なんとなくそれですっきりした。風呂に入れさせ、匂いを落とさせた聖也を正座させると、じっくりとリビングで話を聞いてやることにした。
______***
「それで?」
「専門時代の時に、付き合ってた彼女…で」
「彼女???………へぇぇぇ~………"元"彼女と、仕事帰りに、お茶」
まさか、こんなにも鼻が敏感だとは思ってなかった。帰ってきた瞬間にバレて、ビンタされて、そして今、腕を組んで仁王立ち。
長い人指し指をトントン二の腕に打ちながら、正座した僕を睨み付けている。それも、明らかに殺意を込めた、恐ろしい真顔で。
浮気はしてない。するわけない!!!!たまたま職場を偶然通りかかった時に見られて、店に入ってきた彼女と再会した。それがどうしてお茶を飲みに行く事になったって?僕としても、不本意ではあった。
店に入ってきた時は、早々に会話を切って強引に仕事に戻った。そこで優愛とはもう話すつもりも、会うつもりもなかった。…本当に。
でも、仕事が終わって店から出たとき、昼間にはもう出ていったはずなのに、何故か出待ちしていた。ビックリした僕に、優愛は結構しつこく話をしないかと食い下がってきて……閉店時間の事は多分、店長が教えたんだろうけど。
「いつから待ってたのか知らないけど、断っても少しでいいからって食い下がってきた…近くのカフェで話をして、帰ってきただけ。ほんと、それだけだから」
「ほう………お前が家に帰ってくるまでの"二時間"、話をしていたというだけで、ここまで鼻につく女の匂いをべっとり残すとは考えにくいんだけど?」
時間まで強調して迫ってくるシェリルは、これ以上何か言うと、今度はビンタじゃなく拳が飛んできそうなほど、怒りに満ちているのがまるわかりだ。
心配かけないようにと黙ってるつもりだったのに、匂いにまで敏感になってた彼女に、すぐに気付かれてしまうとまで考えてなかった。
「いや…ほんと、話だけだよ、本当に」
カフェを出るとき一瞬、ブーツのヒールが溝に落ちてよろけた優愛を受け止めたって事はなんとか隠し
「言え!!!!嘘ついたら別れるぞ!!」
「抱き止めました!!転びそうになったところを反射的に!!」
どうしてバレる。脅しとも言える牙をむいた吸血鬼の迫力と、新幹線のチケット購入画面になってるスマホの画面を見せつけて弱点をついた言葉に、もう半泣きで真実を伝えた。もう、彼女の顔は、完全に怒りがMAXの状態だ。顔がまだジンジンする。
「その女の名前は?」
「ゆ……優愛……です」
「上の名前も全部」
「そんな、シェリルが知る必要な…」
「明日、19時発のにする」
「
お願い。そのスマホから手を放して、止めて帰らないでとせがむ僕に、「お座り!!」と一喝。……ゆっくりまた正座を戻す。
「でも……でも……ほんとにそれだけだから!!話だって、今何してるのかって話だったし、僕には超激可愛いシェリルっていう彼女がいるって事もちゃんと言ったし!!」
「なるほど分かった。それなら話が早い。名前さえ分かればこの時代、容易に特定が出来よう………行って殺してくる」
「シェラミア!!」
それは本当に止めて!!
本当に背を向けて、ベランダから出ていこうとした彼女の背中から抱き止める。
柔らかい彼女の肌と、とても香しい良い匂いに包まれて、こんな状況ながら幸せな気持ちになった。
「離せ!!この裏切り者!!」
彼女の口から裏切り者という言葉が出て、振り払おうと凄い力で体を退けようとしてきた。
裏切り者じゃない。裏切ってなんかない。落ち着いてと耳に繰り返し囁いて、グッと興奮する彼女を抱き締めた。
「ごめんね、寂しかったよね。ずっと家に一人にしてしまったのに、女の人と会った僕が悪い。ごめん」
「子供みたいにあやすのはやめろ!!別に寂しくない!!」
そう言い張ってるけど、耳が真っ赤だし、体の熱もだんだんと上がっている。本気で振り払わない所を見ると、ある意味じゃれてきてることが分かってきた。
本気だったら、僕の力なんか全然気にもしないだろう。
「本当にやましいことないって」
ゆっくり彼女の体をベランダのガラスから引き戻すと、そのままソファーに座り、膝の上に彼女を座らせた。顔を覗く。
「……お前なんか、嫌いだ」
むくれてる。可愛い。自分じゃ気づいてないだろうけど、本当可愛いんだよね、こういうとこ。怒った顔はめちゃくちゃ怖いのに、こういうギャップが最高。
「バカ下僕!嫌いだと言ってる!!」
「じゃあ、降りる?」
「全く反省していないな!!」
「してるよ。…君が嫉妬してくれてるのが、嬉しいだけ」
「してない!!貶されるのが嫌いなだけだ!!」
フンッ!と顔を背けるシェリル。それでも膝からは降りようとしないところを見ると、本気で僕を追っ払いたいわけじゃない。
見え見えの真意。パンダランドに行ってから、一年でどうしても縮まらなかった部分が一気に縮まったと思う。
生意気で威張りんぼうなのに、それが可愛く思えるのが彼女という人。浮気したと思って怒るのも、愛情がある証拠。
「君がいるのに浮気なんかするわけないじゃん。機嫌直してよ」
落ち着いてと、彼女の頭を首もとまで寄せて愛でて、彼女はそっぽを向いたままだけど、体を自ら密着させてきた。
「大丈夫だよ。本当に心配することないから」
そう彼女に囁くも、頭ではさっきの会話の事ばかり考えてた。
上がりを狙って出待ちしてた優愛の用件は、聞く前からもう分かってた。最初こそは、今まで何をしていたのかの話になってた訳だけど、途中で全部変わる。
どれだけ周りに迷惑をかけて、傷つけた関係だったのか、彼女は今でも分かってない。僕は抜け出すことが出来たけど、全部終わりにするために別れたのだと、何も分かってない。
きっと僕の居場所も、誰かに聞いて来たはずだ。
だから、もう終わったことだと、僕にはもう最愛の人がいると言った。
残念そうに優愛は俯いていたけど、分かったとすんなり引き下がった。
………優愛との過去は、過去だけは、シェリルに知られたくない。これだけは絶対隠しとおす。知られてしまったら、僕は終わりだ。
「我が下僕」
彼女に声をかけられ、現実に引き戻される。ほのかに熱を持った柔らかい体と、キャミソールから見えるふくよかな胸、薄紅色に光る瞳がじっと僕を見上げているのに応えた。
「お前のせいで、無駄に叫びすぎて、喉が渇いた」
「いいよ、好きなところからどうぞ」
彼女のおねだりには敵わない。牙を見せ、僕の肩に噛みつこうと迫る吸血鬼の本性も、全てが愛おしいこの時間に、ずっと酔っていたかった。
______***
聖也が寝てから久しぶりに外の空気を吸おうと思って家を出た。
まだまだ肌寒い東京の街には、時間帯もあってか、人はほとんど歩いていない。というか、この時間に歩いているとすればほとんど吸血鬼の類いだろう。
…………全く、起きてから余計なエネルギーを使った。女の匂いをプンプンさせて帰ってきてから、何だか虫の居所が悪い。
信じろと言われても、まだ信じれていない。そもそも考えてみれば、私は、聖也の過去を知らない。
今まで別に興味がなかっただけなのだけど、今改めて気になっている。美容師になるために学校を出たくらいのことまでしか聞いていないし、子供の頃の話とか、あまりしないから。
私は聞かれてなんとなく話していたことはあったが………聖也からは何も聞いてないような。
付き合ったことのある異性がいると言う事は会話の端々から聞いて取れたものの、今までどんな人生を生きてきたのか………あいつは特に代わり映えのない人生のような気もするけど。
「あれ?シェラミーちゃんじゃなーい。偶然ねぇ」
「?…ジャッキーか」
「最近見なかったわねぇ~どう?東京の生活には慣れた~?」
深夜の街を宛もなくフラフラと歩いていた時、前から明らかに男ではあるものの、高いヒールを履いた…いわゆるオカマと会った。私が最初に東京に来たときに世話になった、同じく吸血鬼のジャッキーだ。
くねくねと腰を揺らし、近づいてくるジャッキーは、私にまで色目を使ってくる。相変わらず、趣味がよく分からない。仕事は芸能界でインフルエンサーとか言うよく分からない事をしているらしいが、その立場を利用して、東京に来る吸血鬼のガイドも務めてる。
「ねぇーあんた、発情期だって聞いたけどほんとー?」
「違う」
「あらそ、残念。純血種の吸血鬼様にはおめでたいことだと思って、お祝いしてあげようと思ってたのに」
「結構だ」
………ベルカだな?あいつに話してしまったことだけは、本当後悔しかない。しかもジャッキーにまで知れてるとは、いい笑い者だ。
「相手はまさか、あの人間の彼氏ぃ?いいじゃなぁい?もう結婚しちゃいなさいよ」
「だから、発情してないって言ってるでしょ!!第一、人間との結婚なんて!!」
「あら、そういうの気にするタイプー?ま、純血だものねぇシェラミー。でも人間との結婚はご法度なんて決まりある~?」
相変わらずの変わり者だ。ベルカもジャックも随分変わってはいるが、ジャッキーは特に、変わってる。
まるで人間が好きみたいに受け入れているかと思えば、生き血好みで、殺してしまうほど吸い尽くすのに容赦がないほど、貪欲。
ある意味腹の読めないと言うより、何を気まぐれにするか分からない吸血鬼。
「同性婚の次は、異種婚というわけ?世界はますます、狂っている」
「同性婚の何が悪いのよっ!皆が皆、思った通りの体で生まれるなんて、大間違いなのよっ!!というか、神のミスよ!!!!」
「…………吸血鬼になる前からなのか?そのキャラ」
「そーよ!!伊達に369年、オカマやってんじゃないわよ!!」
初めて歳を知った。………私よりも、年下だったのか。それが一番驚きなんだけど。
「そんな事より、あんた一人で出歩かない方が良いわよ。まだ噂のハンターがうろうろしてるみたいだから」
あんたみたいな若い見た目の子が夜中にウロウロしてたら、吸血鬼だってすぐバレるわとか言うが、近頃の若い人間は夜更かしが好きだ。すぐに銃で撃ってくるわけじゃないと反論するが、相手は人間とはいえ甘く見れない相手であるのは、経験として知っている。
「逆に、ジャッキーみたいなのが吸血鬼だとは思わないかもな」
「分かってるじゃない。あたしはカメレオンよん。擬態して襲う前に襲ってやるわ!伊達に人間生活長くないのよっ」
そういう意味で言ったわけじゃないんだけど。
「……あ、そーだ。ちょうどあんたに話があったのよう、忘れてたわ」
「話?」
無駄に赤く塗った唇を尖らせ、ジャッキーは思い出したように手を叩き、私をなめ回すようにじろじろと見回し始めた。それはもう全身をぐるぐると回られ、怪訝に睨んで待っていると、ジャッキーは「決まりね!」と勝手に何かを決めたような言葉を発した後、耳を疑うような事を言い出した。
「あんた、今度モデルやってちょーだいよ」
……………モデル???
モデルって、雑誌に服着て写ってるあの??
「………本気で言ってるのか」
「本気よ!!前々からいいモデルになると思ってたのよ~!そんだけ細いのに、胸はでかいし、嫉妬しちゃうぐらい可愛い顔してて50年も山籠り生活してたなんて勿体無さすぎっ!!何食べたらそうなるの!!」
「待て、そもそもだ。モデルというのはあれだろう、写真に撮られたりするんだろう?吸血鬼は写真に写らないんだぞ」
「やーね!モデルと言っても、スケッチよ、スケッチモデル。あんた純血のいいとこなんだから、肖像画くらい作ったことあるでしょ?」
あ、あぁ………なるほど。スケッチモデルか。確かに何度か成長期を迎える度に、画家を呼んで描かせたことは何度かあるけど。
あれ、動かずにいなきゃいけないのが嫌で途中からもう呼ぶの止めろと拒否した記憶がある。
「次の流行を産み出すための下地が、なかなか見つからなくってねぇ~。ほら、日本人って、スタイルは良くっても、ちんちくりんが多いじゃない?あんたみたいな骨格の子、少ないわけよ」
日本人を全て敵に回すような台詞を言ったな、今。そして、私は"下地"なのか。
「私みたいな骨格がいないのに、日本でそれを流行らすのはちょっとずれ込んでる気がするけど」
「それがいーのよ!!ありふれたものよりも、ずば抜けてる方が、皆お手本にしたくなるわけ!勿論、タダじゃないわよ?」
「し、しかしだな………」
「別にメディアに出すなんて言ってないでしょー!!あたしが指示したものを着て、立ってるだけのお・し・ご・と。スケッチモデルよ、スケッチモデル」
「…………………」
「おねが~い!!」
…………本当に、変わってる。
顔がだんだんと迫ってくるジャッキーの威圧が、私を圧しきった。
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