第7話 凶暴猫のなだめ方
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年末年始の休みが来る前の日。職業柄、年末はかなり忙しい。新年に向けて身だしなみをさっぱりさせたいって人が多く来る。
だから、休みに入る連日は激動。ひっきりなしに予約が詰め込まれて、息つく暇もない。
それがようやく終わった。腱鞘炎間近の手で身支度を済ませ、スマホを持った。
「聖也、今日忘年会来ないのか?」
「うん」
ロッカーから荷物を下ろした悠斗が話しかけてきた。これからサロンの皆で打ち上げもかねての忘年会なんだけど、今年はどうしても行けそうにない。
「行きたいけど、シェリルの具合が悪くてさ」
「まだ治ってねーの?……肺炎。ちょっと前からだろ?病院行ったのか?」
「治りが遅いみたい」
地味に重い病名。大変だなと悠斗が哀れみの目を向けてきた。
「この間唐突に早退した時、店長怒ってたぞー」
「んー、ごめん」
「あの時は、そこまで忙しくなかったから良いけど、繁忙期は正直勘弁」
シェリルのラインに文字を打ちながら話す。ぼくが寄りかかってたロッカーの隣に来て、僕のスマホを覗き、苦々しそうに悠斗が僕に言った。
「お前さ、彼女に束縛されてるわけじゃねーよな?」
「は?束縛?」
顔を上げて悠斗を見ると、とても訝しげだけど、心配そうな表情で僕を見ていた。
「早退、聖也の彼女の為だろ?いくら肺炎だからって、ちょっと構いすぎじゃないのか?」
「違うよ。僕が構いたくって構ってるんだ。シェリルにお願いされたからじゃないよ」
なんか勘違いしてる悠斗にそう弁解した。確かに仕事をかまけすぎなのかもしれないけど、彼女の状態が、色々特殊なことになってることになってるからこそ、繁忙期でもちょっと早めに帰らせてもらった日は1日だけ……あった。
仕方なくだ。本当に。
「ならいいけど、仕事に支障でないようにしろよ…分かってるだろ?」
「……分かってるって。悠斗が心配してるような事はもう、ないから」
冷たい画面の送信ボタンを押す前に、悠斗に答える。僕の答えを聞いて、悠斗は少しの沈黙の後、怒ってるのかもと思ったけど、僕の肩をパンッ!と叩き、いつもの調子に戻った。
「新年会は参加するよな?たまには付き合えよな~。彼女出来てから付き合い悪いぞ」
「ご、ごめんごめん。次はちゃんと付き合うよ」
「当たり前だろ!!高校の時からの付き合いの俺様を!!ここまでほったらかしやがって!!」
ぐっと首が絞まり、頭をグリグリとかきむしられる。久しぶりに受けたじゃれつきに、やめろって!と声が出た。
「俺なんかなぁ!!お前みたいにいちゃつける相手がいねーんだぞ!!寂しい男なんだぞ!!それがお前、彼女出来た瞬間から規則正しく真っ直ぐ帰りやがって!!」
「し、仕方ないだろ!!だったら作んなよ!!彼女!」
「作る暇ないんだよ!!!!ちくしょう!!俺もシェリルみたいな巨乳の彼女欲しい!!」
「え?」
「え??」
………最後の発言は結構問題を感じたけど、忘年会に行く職場の人達を見送り、僕は真っ直ぐに家に帰る。
途中、買うものがあってコンビニに寄ったけど、そこから寄り道もせずに自分のマンションに帰った。
「ただいま~」
暗い廊下に言いながら、玄関を閉める。
リビングの明かりもついていない。誰もいないように思えるけど、彼女は確実に家にいる。
時間的にもまだ寝ているとも考えにくい。すぐ右にあった部屋を開けた。部屋のど真ん中に置いてある棺が開いている。
電気もつけないで……。
「シェリルー?」
自室にはいないことを確認して、リビングの扉を開けた。………いない?え、何処行った?
玄関に靴は……置きっぱなしだし。
彼女の持ってる靴は多くない。家にいるはず。電気もつけて、天井とかベランダも確認してみたけど、いない。
じゃあ残るは。
鞄をソファーに置いて、自分の部屋に向かう。
自分の部屋の扉を開ける。ワンルームそこそこの自分の部屋。あるのはシングルベットとタンスと机、椅子。………それと。
「何これ……」
床に散乱している僕の服や、裂かれて散らかっている枕の残骸。中の羽とか綿が散らばって酷いことになってる。これが誰のしわざなのか。シングルベットの上で、"ゥウウウ~~"と、まるで狼の唸り声を捻り出しながらシーツをかきむしり、動いている赤い瞳をぎらつかせた人影で一目瞭然だった。
「あ…」
マットレスに押し付けていた顔が僕に向けられて、血管が浮き出た肌に怪物の一面を
「ガゥウウウッッ!!!!」
「わっ!!」
暗闇の中から物凄い勢いで飛び掛かってきて、胸にチクリとした痛みと一緒に押し倒された。胴体への重みに思いっきり背中を打ち付けて、廊下に倒れる事になった僕は、のし掛かる重みの方に顔を向ける。
恐ろしい怪物となった彼女に、何をされるものかと思ったけど、唸る声を漏らしながら徐々に顔が持ち上がって見えた顔に、怪物はいなかった。
「せい……?」
赤くなってた瞳は可愛いピンク色に戻り、いつも通りの可愛い彼女の顔に戻っていた。
きゅるんとした大きい目。好みにも程がある表情で首をかしげ、見上げてきたらそりゃ、やられる。
「ぼ、僕です…。ただいま」
「………」
僕と気づいたシェリルは、落ち着きを取り戻したと同時に顔が赤くなる。いつも冷たかった肌には、熱い体温が宿ったまま。
彼女の"発情期"は、想像以上に大変なものだった。
単純に言えば、僕が近くにいないと興奮する…というかパニックになり、発作が起きて呼吸が出来なくなったり、何かを傷つけないと気が済まなくなるほど、酷くイラついたりする。危険な状態だ。
本当は1日中放置していたくはなかった。この間みたいに早く切り上げて帰ってきてあげたかったけど、繁忙期でさすがにそれは出来なかったし、なるべく早く帰ろうと努力はした。
上に乗ってる細腕に触れると、ビクッ!と敏感に反応する。腕に触れただけで危険な反応をするほどだから、外に出てもらっちゃ困る。他の男に、間違って触れられたりしたら困るし。
「仕事、もう今日で終わり。ずっと我慢させてたね」
ようやく君との時間がちゃんと作れるよと上半身を床から離して、乗っかったままの彼女の手を握ると、細くて綺麗な指が僕を握り返した。
「別に我慢なんかしてないっ!!全く……眠れないし、ムカムカするし…!!誰のせいでっ……」
強情な言葉でも、顔を見れば一目瞭然。そっぽを向いてても赤い顔は誤魔化せてない。
「繁忙期は仕方ないじゃん。でも、今からずっと一緒だからね。ようやく!君の発情期に向き合えるんだっ」
「そうじゃないし、言うなそれを!!」
頑張ってきた甲斐があった。いつも君の顔を見ると、そう思える。
寝癖がついたままの栗色の髪ごと抱き締め、匂いを嗅ぎながらこのまま床にぐるっと押し倒した。
「シェリルちゃん~!」
「やめろ触るな!!嫌っ!!重いっ!!」
そのままスリスリしてキスで攻めてると、嫌!!と抵抗したついでに平手が頬に飛んできた。バチンッ!!と思いっきり当たって痛い。
「むぅ…痛いなぁ、叩くことないじゃん。ま、いいけど。あーぁ、枕あんなにしちゃって」
「………どいて」
「落ち着いた?」
彼女の上から退くと、すり抜けるように細くて白い体が出ていく。気まずそうな背中が床に散らかったままの枕を片付け始めた。
「気にしなくていいよ。新しいの買おうかと思ってた所だからさ。君と一緒に使えるような横長のやつ」
「ん……」
拾いながら小さく返事を返してる。反応からして、罪悪感を感じてるのは分かってる。というかしょうがない。棺の中にいても落ち着かない程四六時中、気が立って仕方ないみたいで、結局僕のベッドに潜り込んでくる。臭いとか汗が染み着いてる場所が、ある程度抑止力にはなるみたいだ。
はぁ~、それにしても。
枕の綿とか集めて一点にまとめてる姿とか、可愛すぎ。きっと怒るだろうから言わないけど。
気の強くて怒ったら怖い500才の吸血鬼なのに、こういう、床に落ちてる物を丁寧に何か一生懸命集めてるしぐさが、見てるだけでも可愛くて可愛くて。出会ったときは、こうなるってお互い想像してなかった。
「いいって、そのままで!ほら、こっち向いてよ。シェリルちゃん」
「嫌」
一言で頑なに拒否られ、綺麗な曲線のうなじが髪の毛の隙間から見えた。まだ機嫌が悪いのか、僕を寄せ付けようとしない。髪を触ろうと手を伸ばしたら、触れる直前で避けられ、顔がこっちを向いたから、微笑み返した。
「シャワー浴びるけど、一緒に入る?」
「そんな気分じゃないことぐらい分からないのか」
「この間は一緒に入ったじゃん」
「今とこの間は違う!!!!バカ!!消えろ!!」
ありゃりゃ。本気で機嫌悪そうだ。
こうなれば本当に放っておくしかないか。
分かったよと彼女に背を向けて、自分の部屋からシャワーに向かう。
シェリルも強情だなぁ、苦しいなら苦しいでいいのに。服を脱ぎ、まだ洗濯していない服の上に重ねて浴室に入った。
ノズルを捻って熱湯に変わるまで待った後に頭からお湯を浴びる。寒い季節には、シャワーでも身に染みる。お風呂入りたいけど、めんどくさいなぁ、沸かすの。
顔と髪を洗い、リンスとトリートメントで浸透させてる間に体を洗っていると、ずっと浴室の扉の向こうにいる気配には、どこかで気がつける。
「………」
泡だらけになった体をタオルで擦りつつ、バレバレな扉の人影に目を向ける。心霊現象じゃない、誰なのか全然分かる。扉から透けて見える目の光を見れば。
「………あのー、別に、入ってきたければ入ってきてもいいんだよ?」
「…っ!!ち、違う!!うるさい…」
「じゃあなんでずっと扉の前に立ってるの?」
「し、知らん!!」
知らんて。僕もちょっと何がしたいのか分からない。まぁ…きっと寂しくって仕方ないんだろう。可愛いなぁ~、素直じゃないとことかそうやってずっと出待ちしてるところとか、なんか
「猫ちゃんみたいだね」
思った事がぽろっと口に出た。そのままゴシゴシ体を擦っていると、バーンッ!!と扉が開いて怒ったシェリルが牙を剥き出して僕に叫んだ。
「猫だとぉ!?どういう意味だ!!!!私は飼い猫ってことか!!!!」
いやそういう意味で言ったんじゃないんだけど。でも、猫みたいなのには間違いない。
「だって基本機嫌悪そうだし、気ままだし、触ろうとすると怒るしすぐ爪とか牙とか出すし、でも甘えてくると可愛いし寂しがりやじゃん」
「甘っ……甘えてなんかない!!寂しがりでもないわ!!こうなってるのは発情のせいでホルモンが過剰反応してるからだ!!!!」
「いや、結構前からだったって」
気まぐれに膝に体乗っけて来たりとか、黙って抱き締めさせてくれる辺り、完全に好感度半分くらいの猫だったけどな。
「それは勘違いだ!!お前が勝手に美化してるだけだ!!」
ブンブン首を横に振ってまで事実を認めないとこも猫みたいって事に気づかないかな~。慌ててるのが面白いから言わないけど!
「ほら、一緒に入ろう。シャンプーしてあげるから」
「嫌!!触るな!!来るな!!」
「はーいはい。服脱いで。もう恥ずかしがることないって」
「嫌っーー!!!!」
_______***
「…………」
「ほーら、気持ちいいでしょ?かゆいとこない?」
何故こうも体は言うことを聞かないものだったんだろう。
クソッ、クソッ、クソッ………!何が発情期だ!!人の頭をワシャワシャしてる小僧なんかにこうも言い様に使われるなんて!!
「そんなブスッとしないでよ。可愛いなぁ~」
「…………」
座る椅子に二人で一緒に座り、しかも裸で泡まみれになっているところをじいやに見られれば、聖也は今に八つ裂きにされていることだろう。
体を見られないように足を閉じ、胸を腕で隠しているのが気に食わないのか、勝手にシャンプーを始めてからちょこちょこ言い出す。
「まだ恥ずかしい?」
恥ずかしいに決まってるだろ!
「この間一緒に入ったじゃんお風呂。君すっかりその気だったくせに」
「そ、その時はその時だ!!いちいち掘り返すなっ………」
「そんなこと言われても、全部覚えてる」
「だ、黙れっ!!あぅ……」
敏感になりすぎている体には毒だ。石鹸の泡が、動く度にお互いのからだに触れ合って滑る。
肌に伝わる滑らかな感触、くすぐったさが本能を更に刺激した。
「おいで」
この変態、もはや確信犯。頭から手を離し、泡だらけの手で後ろから引き寄せて囲う。そこそこスペースがある浴室でこんな風に二人っきり。一人だとムカムカして落ち着かなかった体がこんなに落ち着いてるのが皮肉。
というより、この状況に満足してすらいるのだ。
500年生きててこんなことはなかった。知識としてこうなる事もあるとは、教育として知っていたけど。私………おかしくなってしまった。
おかしい……おかしい………。
「大丈夫。何もしないよ」
「……嘘つけ」
「そりゃ…我慢、してるけど」
言われなくても分かる。お互い泡だらけの体でくっついていれば、抑揚は抑えきれないほど高まる。離れてほしいと言おうにも、自分の肩に回った腕が話さず、聖也の濡れた髪と顔が顔に触れた。
「あのさ、シェリルはさ………他の人にも、したの?」
「な、何を…?」
「発情…」
あるわけないだろ。と言おうとして横を見たが、今にも泣き出しそうな顔で私を0距離で見つめてきているのを見てそう答えるのを止めた。
「お前だけだと思うか?」
「っ!!あるの?やっぱり…あるの!?あるのか…………うぅっ…」
あると言ってないのに、どっちつかずの答えを言うとすぐ自ら穴の方に落ちる。バカな下僕、私を手玉に取ろうなんて200年は早い。
「あぁーやっぱそうだよねぇ~…500年も間があればそりゃ……」
「…お前だって、他に付き合った人間のメスがいたんだろう。そんなに悔しがる意味がわからない」
「うん?うん……」
「ま、私には関係ないが」
フンッ。何をショック受けてるんだか。お前だって他のメスと風呂ぐらい入っただろうしその先の事もしてたんだろう。私には500年経ってから生まれたお前なんかに反対される権利があるとは思えな…………
「その時はまだシェリルが運命の相手だって知らなかったんだもん」
「寝言はせめて寝て言ってくれない?」
一度落ちたかと思えば急上昇してきたようなぽやんとした返答が返ってきて、即座に返事を打ち返した。"その時"はって………今までの相手は何かの間違いだったって言うような台詞だな。
「私が運命の相手だって確証もないだろ」
「あるよ!!理想全部具現化したような存在だもん君っ!!」
「………」
「今までの子だって愛情はあったけどさ、なーんか、シェリルの事見て、全部綺麗さっぱり忘れちゃった!的な??」
「………そこまで?」
今一瞬、こいつ怖っって思った。そもそもどこに運命を感じたと言うのか。私は別に感じなかったんだけど。
「でも、お前にだって付き合ってたのはいたんだろう。運命なんて、その場だけの都合のいい言い方だ」
「………ぶっちゃけて言うと、ほんとだよ。今までの彼女には悪いけど、全部、忘れた」
グッと再び力がかかった。聖也の腕が伸び、私の足を膝の上に乗せて更にそのままキスをしてきた。
「んっ…!」
チュッと唇との間で音がする。触れあうだけのキスでも濃密な快感を感じて、体が反応してしまう。
「仕事中でもずっと会いたいって仕事が疎ましくなるのは君が初めてだし、なんとなくじゃなくて本気で、好きになれたと思うのも君」
「……人間……じゃなく?」
「人間じゃないかどうかなんて関係ないよ。ようやく、君に会えたって思った。初めて会った時、不思議な感じがしたんだよ、僕にはね」
だから、今こうしていられるのが夢のようで、幸せ。
___幸せ、今はもっと幸せ。
唇の触れ合いをするごとに、うっとりするような台詞を語りかけられる。
何も身に付けていない触れ合いのせいなのか、その根拠のない台詞も、今は、熱に犯されていく感じがする。
アルコールも何も口にしてないのに、酔っていく。
「だから、さ。出来たらずっと一緒にいたいな。…君は不安だと思うけど」
「…………」
「悔しいな~。君は経験豊富だからさ、せめて発情期は僕が初だったら良かったのに!」
「……………バカ」
なんでこんなにバカなんだろう。この私の下僕は。
本気で悔しがってぐずぐず言ってる聖也に腕を回して、自分から顔を近づけた。
自分の時は余裕な癖に、こっちから行くと素人のように戸惑い始める顔をじっと眺めた。
「…………初めてだ」
「へ?」
「発情………したの。お前だけ」
「…………」
ほんと?と言いたげな顔に答えるように口付けた。それが答えと知った彼も、嬉しさを噛み締めるように深いキスに変えていく。
泡だらけの髪もくしゃくしゃにして、私の頭を力強く押さえつける。やがて舌が絡まっていた時には、今までした会話も、妙な苛立ちも、忘れてた。
「んっ……チュッ………僕のシェリル」
「はぁっ……はぁっ…んっ…」
「やっぱごめん、限界」
頭を押さえていた手が後ろの蛇口を捻り、私達の上に熱いシャワーが降り注いだ瞬間、髪や体についた泡を流しながら、私達は本能のままに重なりあう。
好きかどうかはどうでもよくて、体を拭いて髪を乾かす時間も惜しいと思ったぐらいに、本能のままにお互いの肉体を求め続けた。
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