第9話 聿 夏生 と 鮫嶋の出会い①

 

ーー…三日前の午後九時半ごろ。



「こんばんわ」


 鮫嶋に向かって振り向いた聿 夏生の第一声は、柔らかな挨拶だった。


「ッ!?」


 驚きに足を止めた鮫嶋。

 五十メートル先からこの男性の存在に気づき、背後からそっと近づいたので、此方から声を掛けるまで気づかれないと思っていた。それだけ目の前の初老の男性は、食い入るように雫の家をジッと見ていたはずだった。


「貴方も、此方の家にご用意ですか?」


 初老の男性の問いに、刑事として職質相手に「先手を取られた」との思いが鮫嶋の返事を遅らす。…いや、それだけではない。今の鮫嶋自体に心の余裕がなかった。

 その鮫嶋の心を占領するのは、雫への心配とその雫を引き取ったとされる叔母に対しての疑心。

 退院してからというもの雫と連絡が取れない。家に電話をかけても、いつも留守電。追い返し雫の叔母から電話が来るものの、「雫は電話に出たく無いそうです」や「何度も電話を掛けてこられても、はっきり言って迷惑です!」などと言われる始末。

 ……確かに、他人の家庭の事情に首を突っ込み過ぎているという自覚はある。だが、病院でのあの叔母の様子を見る限り、雫の今後が不安で仕方ない。

 何とか雫に直接会えないものかと、悶々と考えながら家まで来たところ、今度はその家の前に不審人物だ。心中穏やかでいられるはずがない。

 そんな鮫嶋の動揺を察したのか、問いの答えを促すように相手は鮫嶋に向かってゆっくりと、そしてしっかりと正面に向き直す。

 鮫嶋も気を取り直して、着ているジャケットの内ポケットから警察手帳を取り出すと、広げて身分を証明する写真とバッチを見せた。


「この家の主である碓井さんとは同僚で、鮫嶋といいます。碓井さんが亡くなったことは知ってますか?」

 

「ええ。事故で奥様と共に亡くなられたと…。ですから、お線香でも上げさせてもらおうと来た次第です。たしか息子さんはその事故で行方不明で、娘さんは助かったと聞いてますが」


 普通、何もやましいことが無くとも、警察手帳などを見せられれば多少なりとも動揺してもいいものだが、目の前の相手にまったく動じる様子が無い。


「事故から半年近くたった今頃になってですか?」


 鮫嶋は、圧を強めに質問した。


「はい。最近まで外国にいて、日本の出来事には疎かったものですから」


「申し訳ないのですが、差し支えがなければお名前とご職業、それと碓井さんとのご関係を教えていただけないでしょうか?」


「構いませんよ。聿 夏生といいます。少し前までは海外でエンジニアの仕事をしていました。ですがもう年ですし、日本に戻った今は特定の職にはついていません。碓井君は、昔私が大学の講師をしていたときの教え子でした」


 「エンジニア」・「大学の講師」という経歴を聞いて納得する鮫嶋。

 聿 夏生と名乗った男性は、カーキ色の細かい柄のチェックのスーツに、シンプルな形ながら上質な仕立てのべージュのコートを羽織っており、まるで英国紳士のような服装。ほとんど白髪と化している頭髪も綺麗に七三に分けられ、掛けられた丸眼鏡と知的な目元は明治や大正の偉人を思わせる。

 とはいえ素性は自己申告。今のところそれが事実だという物的証拠は無い。鮫嶋は警戒を緩めることなく夏生を観察し続ける。

 けれど夏生はそれにも動じることはない。それどころか…。


「鮫嶋さん。私からも質問して宜しいでしょうか?」

 

 …と警察相手に臆することなく聞いてきた。

 鮫嶋はピクッと眉を微かに潜めるも、つかさず「…なんでしょう?」と返す。


「先ほどから何度か呼び鈴を鳴らしているのですが、まったく返事がありません…」


 そこまで言うと、夏生は鮫嶋から視線を雫の家に向けた。


「…居ないようではないのですが……何かご存知ありませんか?」


 雫の部屋は電気が付いている。何故に出てこないと、鮫嶋に問うているのだ。

 「そんなの此方が聞きたい!」と言いそうになる鮫嶋だが、そこは堪える。…けれど、会ったばかりの見ず知らずの人間に、人の家の内情をベラベラ喋る分けにもいかない。


「あの子は、家族が亡くなっているんです。…察してあげてください」


「「あの子」とは、事故で生き残った娘さんのことですね? 今、この家にいるのはその娘さん一人だけでしょうか?」


 やんわりと帰すように促したのに、また質問が返ってくる。

 「その娘さん一人だけ」…たぶんそうだろう。刑事の特権で雫の叔母のことを少し調べた。この時間は自分の経営している夜の店に出ているはずだ。

 小学生の女児を…それも家族を亡くして間もない子を夜一人家に残すなんて!……考えただけで雫が不憫でならない。


「そうです。ですからこんな夜分に、女の子一人の家に貴方を上げるわけがない。どうぞ、今日のところはお引き取りくださいッ」


 鮫嶋は語尾強めにハッキリ言った。だが…。


「その子は確か…11才ですよね?」


 また質問。いい加減イラッとし始めた鮫嶋。


「…そうですがッ」


「その子の身長は?」


「はっ?」


「身長ですよ、何センチですか?」


 ムカ~~ッッと血圧が一気に上昇するのを感じる鮫嶋。


「それは、今、この場に関係あることでしょうかッ?」


 怒りの感情に比例して鮫嶋の声は低く重くなり、表情も冷たく鋭くなる。凶悪犯ですら怯むような刑事の顔、普通の人なら卒倒してもおかしくはない。

 けれど目の前の初老の男性は、怯えるどころか質問の姿勢を崩すことなく…。



「関係あるかないかは、貴方の答え次第です」



 …と微笑む。

 が、それだけではない。その微笑みのなかに“凄み”を感じる。意図は分からないが、「感情で軽率になるな。この返答は重々心せよ」という無言の圧…。


        (……………似ている)


 夜の暗闇のなかに立つ夏生の姿に、尊敬する先輩刑事の面影が一瞬ダブって見えた。怒りで上がった血圧が、スー…と下がっていくのを感じる。そして夏生の問いに誠実に答えるため、最後に病室で会った雫の容姿を思い出す。

 足を骨折していたため、立ち上がった姿はほとんど見たことが無いが、あのぐらいの女の子の平均から比べれば雫は低い方だろう。


「…正確な数字はわがませんが、私の目測だと135センチぐらいだと思います」


 聞いた夏生は「そうですか…」と言いながら、掛けている丸眼鏡を押し上げる仕草のまま考えこんだ。

 鮫嶋が「聿さん?」と声をかけると、ようやく顔を上げる。


「……中にいるのは、碓井くんの娘さんじゃないかもしれない」


「なッ!…にを言っているんですかッ!?」


 思わず声を荒げる鮫嶋。


「さきほどチラッと二階のベランダの窓に、カーテンの隙間から人が立っているのが見えました」


「それが雫ちゃんじゃ無かったとッ?!」


「いいえ、私はその子の顔を知りません。ですが、私たちがいる位置から二階のベランダを見上げると、手前の手すりが邪魔して低いモノは視界に入らない。でもその人物ははっきり確認することができました。見た角度・距離・立った窓の大きさの比例から計算すると、その人物の背丈は160センチほどあります。…小学生にしては大きいと違和感を感じていたんです」



         「ツッ!?」



 夏生の説明を聞いていた鮫嶋の頭のなかで、疑念が確信にスイッチする。隠れていた雫の叔母の本性がニヤリと嗤った気がしたッ。

 そうなると刑事の鮫嶋の行動は早かった。





           ☆★☆

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

謎探偵★聿 巡壱には、義妹に言えない秘密がある 神嘗 歪 @so6001so

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ