第5話 パンドラの箱は、自分で開けなければ意味がない

 そして目覚めたら、冒頭で出てきた暗闇の部屋にいた。

 まだその時は今ほど寒くはなかったが、まともに手当てされなかった後頭部がズキズキと傷んで、傷口には出血が乾いて錆のようにザラザラしていた。

 これで回想終了。

 あれから二ヶ月以上経つ。どうやら雫は、どこか建物の地下にある荷物部屋に監禁されているらしい。

 荷物部屋でも電気は通っているのだが、叔母は食事の時以外は付けることを許さない。その食事も一日一食しか与えられていない。

 「あのとき……病院で鮫嶋さんの手をとれば…」と、来る日も来る日も悔やんだ。リングや鮫嶋が助けに来てくれるのではないかと、何度も何度も犬笛を吹いてみた。だがその度に助けが来ないことに絶望し、その度に泣いて泣いて最後は……

          …………泣き飽きた。


(そうだ『助けて』じゃない! 私が『助けに行かなくちゃいけないんだ』!)


 事故前。ふと会話のなかで、兄である雪広が言っていた。ーー…「雫、お前は父さん似だな」と。

 雫は「そんなことないよ。似ているのは頭の良い雪兄のほうだよ」と口を尖らせて返した。

 雪広は笑って「いや、お前のほうがソックリだ」と、もう一度繰り返した。

 あのときの兄の真意は解らないが、雫も刑事だった父を尊敬している。父のような人になりたいと思う。ならばここで、ただ踞っているわけにはいかない!

 ……そう思うようになった、ここ数日。

 雫は深い呼吸で目を瞑った。



       ピシャ…。



 …脳内で一滴、光るシズクが思考の湖面に落ち、一定のリズムで波紋を広げていく…。

 すると、記憶の深海から一つ……浮上してきた。

 雫は毛布にくるまった状態で、床にピッタリ耳を付ける。

 上で響く叔母たちの生活音。足音・ドアの開く音・水道の流れる音・テレビなどの騒音も、こう耳を澄ませば聞こえてくる。

 そしてそれらを毎日観察していれば、二人の生活パターンが分かり、そのパターンから時計が無いこの部屋でも時間が分かる。


(………足音がせわしない。あとこれは…んー…夕方のニュース番組のオープニング曲かなぁ。もうすぐ叔母さんが仕事にでかける…)


 バッと毛布をハネのけ、立ち上がる雫。

 制限された食事のせいで、体力にもかなりの制限がある。必要なこと以外は体力を温存し、あとはズーーっと毛布のなかで叔母たちの観察しながら事を画策していた。

 叔母は店の定休日以外は、ほぼ毎日夕方に出勤していく。居残ったヨッチャンは一日中家にいることもあるが、叔母が出かけたのを見計らって出かけることも多い。

 一緒に出ないのは、叔母にいない間の雫の監視を命令されいるのにもかかわらず、それをサボっているからだろう。だからヨッチャンは、叔母より後に帰ってくることは無い。

 前に一度、叔母より帰りが遅くなってサボっていることがバレ、かなりの大喧嘩…っと言っても、響いてくる声や物音からして叔母の一方的なヒスだが凄い騒ぎになっていた。

 雫は二人が居なくなる時間を見計らって、その間に計画を準備をした。

 二人がいなければ、大きな音をたてたとしても怪しまれない。計画が上手く“作動”するかも、いない間で立証してみた。


(あとはタイミングとチャンス!)


 今日、実行する。

 別に、今日にしたことに大きな意味はない。

 でも無理矢理にでも意味を付けるとすれば………今日は雫の誕生日だ。

 雫の母・春恵が前に話してくれたことがある。

 「雫はお母さんのお腹が大好きで、なかなか出てきてはくれなかったのよ」と…。

 「一晩、「出てきたくない!」ってお腹のなかでグズって、やっと朝に観念して出てきたの」と…。

 父親の冬久は、言わずもながらその時追っていた事件のせいで出産に立ち会うことは無かった。

 だがその日、事件を解決した父がその足で母と赤ん坊の雫がいる病室に来た。直後、父の姿を見た母・春恵は大笑いしたと言う。

 数日続いた張り込みで、寝不足の父の顔はパンパンに腫れ、犯人を捕まえるときにペンキが積まれた工場内で乱闘になり、父の体は頭から足先まで色々なところに派手なペンキが付着していた。

 それでも父が着替えず急いで来たのは、母との約束があったからだ。

 

 ーー…「この子が生まれてから、顔を見て名前をつけてちょうだい」


と…。

 父は母と生まれたばかりの娘を見て、ポツリと「雫…」と言ったという。

 そのとき母は笑っていたが、同時に泣いてもいた。

 母・本人は「笑い過ぎて」と言っていたが、たぶん安堵から出たものだと、聞いていた雫は思った。

 父はその母の涙が頬を伝い、胸に抱える娘のほっぺに落ちるのを見て、凄く綺麗だと思ったらしい。

 だから娘に「雫」と付けた……と。

 母も「いいわね。お兄ちゃんの時は、辺り一面真っ白になるぐらい雪が降ったから「雪広」にしたけど、雪の次は溶けて「雫」になって落ちるものね」と、由来をもう一つ付け足した…。

 ………あの事故が無ければ、本当なら今日はケーキと優しい家族に囲まれて誕生日を迎えていたはずだ……。

 だがそれはもう出来ない。

 これからは「一歩ずつ大人」にではなく、「一気に大人」ならなくてはいけない!

 雫は唇を強く結び、布を裂いて作ったヒモを右手にグルグルと巻き付けた。




          ★☆★

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る