第2話 不幸は覚めない悪夢のようで

 

ーー…事故から二日後。



 雫が次に意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。

 口から漏れた息で「…ァ」と小さく発すると、白を基調とした病室の画面に、右横から雫の視野いっぱいに勢いよく無精髭の男の顔がスライドしてきた。


「雫ちゃん!」


 男は泣きそうとも嬉しそうともつかない表情で破顔すると、雫の名を呼んだ。

 年は推定三十代前半。自分の父親より少し若いぐらい。くたびれた紺のスーツを着こんでいる。


(…この顔…声も見覚えがある。…確かお父さんと同じ職場の…家にも何回か遊びに来ていた…)


 名前が出てこない。遊びに来ていたといっても、いつも仕事帰りの深夜に来ては、父親と書斎で仕事の話をしながら酒を飲んでいた。

 たまたまトイレに起きた雫がこの人と廊下でバッタリ会い、お互い戸惑い気味に挨拶を交わした…という程度だ。そのときは、なんだか怖いイメージを抱いていたが…。

 男性は雫が意識を取り戻したことで、慌ただしくナースコールを押し、主治医にすぐに来てもらうよう告げている。

 そのあとも雫の周りは慌ただしかった。呼ばれてすぐに主治医と看護士の男女が来て、雫の今の体調を確認し始める。

 医者は始めに「右足と肋骨が二本、折れています」と告げ、その他にも細かい損傷箇所を説明してくれるも、雫の頭には入ってこなかった。

 そして医者たちがその場を去ると、今度は私服姿の女性警官とあの男性がベッドの右横に並ぶ。ここでやっと男性の名を知ることができた。

 だがそれは父親の知人としてではなく、職務を遂行する刑事としてだ。


「お父さんと同じ刑事の鮫嶋だ。…俺のこと覚えているかな?」


 雫の心の状態を気にしながら、ぎこちない表情で聞いてくる鮫嶋。

 雫は小さく頷いた。


(…そうだ。鮫嶋さんだ)


 刑事という仕事をしているせいか、父親もそうだったが、一般人とは一線違った近寄り難い雰囲気を持ち、名前に「鮫」がつくことで勝手に怖いイメージを抱いてしまった父の同僚。

 次に隣の婦人警官が挨拶をした。こちらは、女性特有の柔らかい笑顔で話しかけてくる。

 声も対子供とあって、ゆっくり優しくかたりかけてくるが、内容はマニアルに沿った事務的な質問が続いた。

 

「雫ちゃん。碓井さん…じゃなく、お父さんたちと車に乗っていたことは覚えている?」


「ぶつかってきた車は、どんなだったかな?形とか、色とか」


「事故のあと、意識はあった?何か覚えていることはない?」


「分かることだけでいいのよ。思い出したこと、お姉さんに教えてくれると嬉しいな」


 質問の冒頭にでてきた「碓井」とは、雫の名字であり、たぶんこの女の人も父親の同僚なのだと雫は思った。でもよそよそしさから、職場内では鮫嶋より父と親しい人間では無いと感じれる。

 雫は事故状況の説明をしようとするも、声が震えた口からなかなか出てこない。酸欠状態の瀕死の金魚のように、口をパクパク開閉するしかできない自分に腹立たしくって、目頭にじんわり涙が浮かんできた。

 見かねた鮫嶋が、女性警官の質問攻めを片手で遮る。


「…すまん。悪いが、少し席を外してくれ」


 鮫嶋の言葉に、驚いた表情と明らかな動揺を示す女性警官。それは難色というよりも、シンプルに鮫嶋の言動にビックリしているようだった。

 この事から鮫嶋という人は、通常ならこのようなセリフを口にする人ではないと判る。

 女性警官は言われたとおり、すぐさま席を外した。

 背て病室のドアが閉まるのを聞いた鮫嶋の口が、重い扉のようにゆっくり開く。


「雫ちゃん。気をしっかり持って聞いてくれ」


 真っ直ぐ見つめる鮫嶋の目。

 怖くもあるが、雫の父親に向ける眼差しと同じモノを娘の自分に向けている。次に言う言葉は耳を塞ぎたくなるぐらい予測がついたが、雫は刑事の娘として覚悟を決めた。


「お父さんとお母さんの死亡を確認した。兄である雪広君は行方不明。捜索中ではあるが……だがたぶん、事故現場近くの沢に転落時に投げ出され、流された可能性が高い」


 ここまで聞いたところで雫は大きく息を吸い、吐き出すと同時に大粒の涙が目からこぼれだした。


(…駄目だ。泣いちゃ駄目なのに…~~~ッッ)


 涙が止まらない。

 鮫嶋はただただ表情固く、無言で雫を見つめながら泣き止むのを待っていた…。

 ……………

 ………

 …


 ……数分後。

 涙が身体から排出されると同時に、思考が冷静になっていくのを感じる雫。と同時に脳裏に…。


       ピシャ…。


 …一滴、思考の湖面に落ち、一定のリズムで波紋を広げていく。

 すると、記憶の深海から一つ……浮上してきた。

 それは鳴き声…。強い鳴き声…!


「リングは?リングはどうなったの!?」


 鮫嶋は「リング?」と一旦聞き返すも、すぐにそれが愛犬の名だと気づく。が…。


「…すまない。リングも雪広君同様、行方不明だ。捜索しているのだが…」


 鮫嶋の顔が更に曇る。此方も絶望的なのだとくみ取れた。だが雫は、リングまでも死んでいると思えなかった。

 最後に見たリングは、あんなにも自分に向かって励ますように吠えていた。

 チェコスロバキアン・ウルフドッグという犬種は、名前に「ウルフ」が付いていることだけあって、狼の血を色濃く引く犬だ。それゆえ身体能力も高い。

 ブラウンにグレーが混ざったような毛色。首の根元が輪っかのように白いところから「リング」と名付けられた。

 刑事の父が、愛情を込めて厳格に飼育していた犬だ。家族以外はまったくなつかなかったが、機転が利くことと賢さで言えば、下手な警察犬よりも上だと断言できる。

 雫はギュッと唇を噛んだ。

 もしかしたらあの時、リングは兄・雪広を見つけたのではないだろうか?

 それで、助けに走ったとすれば合点がいく。


(…そうだ!お兄ちゃんもリングも死ぬはずがない!身体が動くようになったら私が探そう!たぶんリングなら、私の匂いに気づいて出てきてくれるはず!)


 泣き張らした目に、決意の光が宿る。

 鮫嶋はその目に何かを感じるとるも、無言のまま雫を見つめた。



 ……けれどその決意は、雫が回復しても実行されることはなかった……。

 

 

 

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