第165話 金沢の悲しき過去

 土曜日の三宮センター街


 ここはいつも人で混んでいるが、土曜日ということもあってか、平日と比べたら人数は2〜3倍ほど多い。


 携帯で時刻を確認してみると、10時55分。マッグの前で立っていると、やがて見覚えのある冴えない男がここへやってくる。


「こ、こんにちは」


「おお、きたか」


 ちゃんと来てくれた。正直ちょっと、不安だったけど、この冴えなくてぱっとしない男をみるなり、俺は内心大いに安堵した。


「あの、藤本さん。一つ聞いてもいいです?」


「うん?いいよ」


 すると、金沢は顔を顰めて俺から目を逸らして口を開く。


「ショートメールの内容がいまいち分からなくて…」


 なるほど。ショートメールのことか。でも、ちょっとおかしい。要件をちゃんと書いて送ったはずなのに。


「どこがおかしいんだ?」


「5万円持ってセンター街のマッグに来てとか、どう見てもたかりだと思いますが…」


「人のものを盗むような悪い趣味は持ってないよ」


「い、いや…それはもちろんわかりますよ。だから来たんですけど、5万円で一体何をするつもりですか?」


 金沢は恐る恐るたずねる。


 まあ、俺は実際、この子になんの情報も与えていない。だから、こんな反応を見せるのは無理からぬこと。


 俺は人だかりを見ながら、言う。


「革命だ」


「え?」



X X X


 現在、俺と金沢は服屋に来ている。まず、お母さんがどっかしらのホムセンで買ってきたような安っぽい服を着ている金沢をなんとかしないといけない。


「服、買っちゃうんですか…」


「まあ、そうだな」


「でも僕、こんなのよくわからなくて」


「大丈夫だ。俺が考えておいたから、お前は金を出して買えばいいだけの話だ」


「え?、で、でも」


「うん?」


 金沢は自信なさげに肩をすくめて身をよじる。表情も暗い。まるで過去のトラウマがフラッシュバックしたように。


「やっぱり、こんなの僕には似合わないです!」


「な、なに?」


「藤本さんがなんで僕なんかを誘ってくれたのかは、服屋に入った瞬間わかりました。でも、僕にはこんなの無理です。やってもまた傷つくだけだし」


「ん!」

 

 開始早々トラブルが発生した。美容院も予約しておいたのに、このままだと全部水の泡になっちまう。


 気が焦ったが、俺は彼を説得することなどできる気がしなかった。なぜならあの表情には見覚えがあるから。

 

 俺の表情だ。何やっても所詮いじめらるのがオチだと諦めていた俺と瓜二つだ。


 被害の規模こそ違えど、この子も俺も心は同じだ。だから、俺は、俺自身を偽って演じることなどできない。


 諦めるか。


 その瞬間


 ぐー


「あ、す、すいません!朝何も食べてませんので…僕はそろそろ帰ります」


「ちょ、ちょっと待った!」


 諦念めいた表情で別れを告げた金沢を俺は止める。


「な、なんです?」


 金沢を繋ぎ止めることのできるパワーワードを必死に考える俺。そして導き出される答え。


「ぼっかけ焼きそば食わないか」


「え?」


X X X


 俺のその場凌ぎな提案に金沢はありがたくも乗ってくれた。待ち合わせ時間から20分ほどが経ったので、センター街の地下にある飲食店街はごった返している。


「ふわとろオムそばで」


「ホルモン焼きそばで」


「はい!かしこまりました!」


 俺たちは早速注文を済ませ、お冷を飲む。別段、美味しくなるようなものを入れたわけでもないのに、ここの水は非常にうまい。


 にしても、金沢はホルモンを食べるのか。意外だな。


「ホルモン、好きか」


 と、気になり俺はつい訊ねてしまった。


「店によりますけど、ここのは嫌な匂いがしないので好きです」


「へえ、この店知ってるんだ」


 随分前に青山夏帆と一緒にここで昼食を食べたことがある。だが、彼女はこんなエリアがあること自体知らない様子だった。まあ、要するに女性受けしない店なのだろう。実際8割近くが男性だし。


「は、はい。ここは一人客が多いから気兼ねすることなく食べられるんですよ」


「まあ、そうだな」


 それっきり、俺たちの会話は途切れてしまう。だが、周りはより賑々にぎにぎしい。この喧騒けんそうと鉄板から発せられる程よい熱気が調和し、俺はつい息が漏れる。


 そして感じられる金沢の視線。


「お待たせしました!ご注文の焼きそばです」


 3分くらい経ったのだろうか、店員はふわとろオムそばとホルモン焼きそばを鉄板の上に流してくれる。


 香ばしいソースのにおいと蕩け出そうなふわふわ卵焼きを見ながら俺は割り箸を手にした。そして心の中でいただきますを言ってからしょくし始める。


 うまい。確かにうまいはずだが、迫り来る現実を思い浮かべた途端に味が苦くなる。


『でも、僕にはこんなの無理です。やってもまた傷つくだけだし』


 さっき金沢が俺に言ったセリフがやけに俺の耳について離れない。いわゆる獣と呼ばれる連中の圧政から逃れ、石ころを目指している俺からしてみれば、彼の言動は合理的で正しいもののはずだ。はずだが。なんで俺はこんなにもどかしいんだろう?


 胸の中で数十、数百もの感情が駆け巡る中、俺は顔をしかめて食事を続ける。金沢の視線を感じながら。


X X X


 食事を終えた俺たちは、ひたすらセンター街を歩いている。当て所もなく進んでいるが、やがてこの子は帰るんだろう。


 美容院の予約取り消さないとな。あそこ俺の行きつけだったのに。これ以上引きずっても、迷惑をかけるだけだ。と、ため息をつきながら俺は携帯を取り出し、美容院に電話をかけようとした瞬間、


「藤本さん」


「うん?」


「やっぱり、僕って冴えない陰キャですよね?服のセンスもないし…」


 顔をうつむかせて俺に聞いてくる金沢は自信を完全に失っている。


「まあ、確かに服のセンスは最悪だな。お母さんなんかがホムセンで適当に買ってきそうなやつばかり着てるし」


「どうやって知ったんですか…」


 マジかよ。麗奈から聞いた話だとこいつは確かに、大学一年生だそうだが、自分で服とかは買わないのか。でも、この話で重要なのはそこじゃない。


「でも、陰キャがあながち悪いとは言い切れないぞ」

 

「え?そうですか?」


「だって、俺も陰キャだし」


「え、え?」


 金沢は急に足を止めた。どうやら、俺のセリフを理解し切ってないように、目をしばたたかせている。


「い、いや、藤本さんってすっごいイケメンで、きっと女子からもめっちゃモテまくるんじゃないですか」


「別にそんなことはない」


 俺も歩くのをやめて、彼を見つめる。


 金沢の唇は震えている。だが、何かを俺に伝えようとしている意思だけははっきりと伝わってきた。


「僕は、高校時代はずっと冴えないインキャで、友達も少なく、クラスのヤンキたちにパシられながら生きてきたんです…」


「…」

 

 やっぱり、この子も悲しい人生を歩んできたのか。


「いつも学内カースト最下位で、陰で笑われ、無視されてきました。もちろん職場でも一緒です。麗奈先輩を除けば」


「櫻井さんと高坂さんのことか」


 俺の問いに金沢は無言の頷きで返してきた。そして語り出す。


「西澤はあの二人とはちょっと違うんですけどね…まあ、要するに僕はずっと底辺人生を送っています…でも、僕も、僕なりに頑張ろうともした時がありました」


「そうか」


「はい。高校時代に、自分なりに調べて一生懸命頑張って、イメチェンしたんですけど、周りからの反応がですね…」


 金沢は若干間を置いてから、怒りを募らせた表情で言う。


「何それ?カースト最下位の陰キャ風情が何背伸びしてんの?身の程弁えろ。何その髪型?めっちゃダサくてバカみたいんだけど?パシリの分際でイメチェンなんかしても結局無駄でしょ?そんなにモテたいの?きしょい…」


 金沢の顔が段々と赤くなって行くのを見た俺は、目を見開く。


「結局、僕は前よりもっと酷い扱いを受ける羽目になりました。つまり、なにやっても僕はだめです。また同じ被害を受けるだけですから。変わるのは…僕自信と、周りの人々が、絶対許さない。だから僕はそれにしたがうしかありません…」


 金沢は悔しそうに、唇を噛み締めて身震いしている。


 怒り、悲しみ、後悔、絶望などが入り混じったあの表情を見て、俺の心も刺激を受けた。


 俺もイジメを受けている時は、金沢が今抱えているような感情を持っていた。いや、金沢よりもっと暗くて痛々しくてまがまがしかったかも知れない。だが、俺はそんな中でも、一つの可能性とも呼べる疑問をずっと持ち続けていた。


「一体、誰が決めた…」


「え?藤本さん?」


 気づくと、俺は口は動き、言葉は金沢の耳に届いていた。

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