第118話 お兄ちゃんがどうしようもない臆病者だから

「よし!言ってご覧なさい」


 ゆきなちゃんは手の甲を自分のおとがいに当てて言った。


 お嬢様口調で言われても全然違和感がないのが不思議だ。ていうかゆきなちゃんってもともと立派なお嬢様だよね。


 一緒にいる時間が多すぎるからつい忘れてしまいそうになる。


 ゆきなちゃんは足を組み直した。だが、目は俺を的確にとらえたままだ。


 俺はこほんと咳払いしてから重たい口をなんとか動かす。


「西園寺って色々忙しいから、毎回毎回俺の家に来るのはどうかなと思ってね…」


 俺の発した言葉は後ろに行くにつれて、だんだんと勢いが弱まった。そんな俺のことが気に入らないのか、しかめっ面でため息を吐く。


「はあ…まあ、予想は大体したんだけど…」


 ゆきなちゃんはやれやれと言わんばかりに首を振り始めた。それから、嘆き悲しむような表情で俺をさとすように言う。


「お姉ちゃんすごく悲しんでいるよ」


西園寺刹那がくだんの件で悲しむような性格はしてないと思う。彼女は俺と違って勇敢で凛々しくて美しい。それゆえ、いろんなモノを勝ち取ってきたはずだ。だから、あの女は、俺なんか気にも留めていないだろう。


「悲しんでるって、別にこれじゃなくて他に理由があるんじゃないの?」


 俺はオブラートに包まず、心の中にある疑問をそのままゆきなちゃんに伝えた。するとゆきなちゃんは、嘆息を漏らして、さらに暗い顔をする。


「お兄ちゃんって自意識過剰なところあるね」


「はあ?俺が?」


 ゆきなちゃんの意外すぎる言葉に俺は呆気あっけに取られたままゆきなちゃんを凝視した。


 だって、俺に自意識過剰なところなんか1nmもないと思って生きてきたから。


 俺はむしろ現実主義者だ。身の程弁えぬような真似はしないし、いつも最悪の

シチュエーションが起こる事を想定して綿密に計画を立てる主義でもある。


 俺が少しネガティブなのも、この性格が災いして生まれたようなものだ。辛い過去が、取り返しのつかない惨事があったからこそ、俺は現実の残酷さをよく知っている。


 なのに、自意識過剰って。とりま、ゆきなちゃんの言葉を最後まで聞いてから考えよう。


 と、考えた俺は、視線だけで続きをうながした。それを受けたゆきなちゃんはふむと小さく頷くと、小さな口から言葉を発する。


「他の人のことはちゃんと見てるのに、自分のことは全然見てないから」


 またもやゆきなちゃんは悲しい表情を浮かべては、独り言のようにつぶやいた。


 やっぱりわけわからん。俺は自分の限界や置かれた現状を的確に把握した上で行動をしていたつもりなのだが、どうやらゆきなちゃんは違う事を考えているらしい。


「ちなみに、どこが自意識過剰なのか、教えてくれるか」


 質問をゆきなちゃんに投げかけた俺は、ずっと正座をしていたせいで足がしびれてきたこともあって、手で膝まわりをモミモミする。


 俺の質問を受けたゆきなちゃんはというと、自身に満ちた面持ちで腕を組んだ。そして放たれる言葉。


「全部だよ全部」


「え?」


「ぜ・ん・ぶ・う」


「マジか」


「うん。お姉ちゃんはね、本当はめちゃくちゃ暇なの。家帰ったら大学の課題以外はやること全然ないから。たまにお父さんの仕事関係でパーティーとか式典とかには参加するけど、男たちがめっちゃアプローチしてくるからすごく嫌がるの」


 ゆきなちゃんはまるで記事を読むアナウンサーのように滔々とうとうと話した。まるで事実関係だけを伝えることだけを目的とした言い草だ。

 

 俺の知らない西園寺刹那の一面を知ってしまった。なんか俺が想像したのと違う印象だな。


「そ、そうか」


「そうだよ。お兄ちゃんの頭の中で、お姉ちゃんは一体どういうイメージなの?」


「…言っていい?」


 ゆきなちゃんはうんうんと二、三回首と縦にふった。最初のうちは物憂げな表情を浮かべていたが、今となっては、完全に目に光線が出てくるほど興味津々な顔だ。


 俺は唾を飲んでから言う。


「男関係、複雑そう」


 短いが、俺の疑問と本音を的確に反映させるにたる言葉。それを聞いたゆきなちゃんの顔は一瞬固まってしまう。それから誤魔化すための作り笑いをしては、髪をくしゃくしゃしながら言い始めた。


「間違ってはないけど、全部間違っている気がする…」


「どっちだよ」


 要領を得ないゆきなちゃんの言葉にもどかしさを感じた俺は、顔を歪ませてゆきなちゃんを見つめる。すると、ゆきなちゃんは深々とため息をついてから口を開いた。


「いつも下心ありありな男たちが勝手に勘違いして、お姉ちゃんに迷惑ばかりかけてくるからね」


「ほお」


 まあ、男女関係ありありだな。


「でも、お姉ちゃんはそんな男たちには興味を全く示してないまま高校3年が終わるまで過ごしていました」


 いきなり語り口調になったので、一瞬戸惑ったが、俺は気を取り戻して耳をそばだてる。


「高校卒業を目前にして、お姉ちゃんは、理想の人を発見したのです」


「おお。青春だな」


 青春を一度たりとも味わったことのない俺が言うのもなかなかシュールだな。


「お姉ちゃんは、ずっとずっとあの人の事を想いながら、大学生活を送るのです」


 へえ、西園寺刹那もやっぱり女の子だな。できれば、その乙女心をほんの少し駆使して、俺に怖い顔を見せながら怒るのはやめて欲しかったな。


 振り返ってみれば、西園寺刹那は俺にいろんな感情をぶつけた。


 泣き喚きながら放った、ゆきなちゃんを救ってくれたことへの感謝の言葉。俺がトンズラした事をなじる怒りの表情。俺に無理やり家庭教師をさせるための傍若無人っぷり。本当、枚挙にいとまがない。


 身分違いではあったが、俺は西園寺刹那という女の子と時間を共にした。そして、ゆきなちゃんはその全てを見てきた証人だ。


 俺は気になることを口にする。


「んで、その理想の人とはうまく行ってるか?」


 俺が目の腐りを極限まで抑えながら聞くと、ゆきなちゃんは微笑み混じりに言う。


「ふふっ。言ってあげない」


「え?なんで?」


「お兄ちゃんがどうしようもない臆病者だから」


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