第113話 美魔女・西園寺京子さん

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一夜明けて水曜日。


 俺はコンビニのバイトを終え、西園寺家族が住むタワーマンションが君臨する御影駅に降り立った。月曜日での一件があったため、ゆきなちゃんだけを俺の家に呼ぶわけにもいかなかったので、ゆきなちゃんにラインで提案をした結果、俺ががゆきなちゃんのところにおもむいて授業を行う事と相成った。


 ゆきなちゃんからもらった連絡事項によると、今家にはお母さんだけがいるとのこと。つまり、西園寺刹那とお父さんはいないわけだ。


 もし、あの二人が俺を待ち受けているとすれば、一体どんな顔で会えばいいのか、全く想像もつかない。


 だから、今日を最後に西園寺家で授業を行うのはやめることにしよう。


 別に後ろめたいことをした覚えはないが、関わらないと決めた以上、接触を最小限に抑えておくことが正しいだろう。


 俺はあくまで家庭教師だ。ゆきなちゃんの成績を上げることが俺の仕事であり、それ以外は俺にとって毒であり贅沢ぜいたくというものだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、目の前に巨大なタワーマンションが現れた。


 今更だけどほんとに高いな。


 この巨大な建物の前に立っている俺は周りから見てどういうふうに映るんだろう。


 おそらくこの構図は俺と西園寺家の間に存在する距離感を表しているのではなかろうか。


 少しでも背伸びして近づこうとしたら容赦なく踏み潰されて抹消されてしまうのだろう。そのことを最も知っているから、この距離感はむしろ俺に安心感を与えてくれた。


「藤本くん!」


 俺が口をポカンと開けてこのタワーマンションを眺めていたら、艶やかな声音で誰かが俺の名前を呼んだ。


 気になり、声の主の方に視線を送ると、高級感のあるワンピース姿の美しい女性が細い手を振りながら俺を見ている。


 濡羽色ぬればいろのサラサラした長い黒髪は風になびいていて、モデル顔負けの美貌を放つ姿を見ていると、二人の娘を産んだとは思えないという感想しか出てこない。


 西園寺姉妹の母・西園寺京子さんである。


 どこかの格式のあるパーティにでも出席したのか、お化粧をした顔からは、初めて会った時とはだいぶ違う雰囲気が漂っている。


 まさしく美魔女という言葉がふさわしい外観だ。


 しばし西園寺京子さんを眺めてから、俺は歩み出した。


「すみません。わざわざ」


 俺は謝意を込めた会釈えしゃくをした。すると、西園寺京子さんは微笑みながら手を胸元でブンブン振る。その反動で形のいい豊満な二つの果実も揺れ動いた。


「いいのいいの。私もちょうど用事終わったところだし、気にしないで」


 ニコニコしていた西園寺京子さんは、手を止め、いきなり真面目な顔を作り、俺をじっと見る。


 白い肌と整った目鼻立ちは、いやでもあの女のことを思い出してしまう。本当に西園寺刹那に似ている。


「行きましょうか」


「はい」


 俺たちは世間話を交わしながらエントランスの中に進む。


 ゆきなちゃんを助けてくれことへの感謝、地下鉄放火事件、日曜日にUSJで遊んだこと。話題は多岐に渡り、西園寺京子さんは俺の言葉にちゃんと反応を示してくれた。


 コミュ力にたけけた連中だったら、もっとこの会話を盛り上げることもできたはずだが、俺たちのやりとりに花はなく、静かな部屋を悠々ゆうゆうと灯す蝋燭ろうそくのようであった。


 正直なところ、この前西園寺家に招かれた時、頃合いを見計らってトンズラした件もあったので気まずさも多少なりともある。だが、西園寺京子さんは俺の気持ちなんかお構いなしに優しい笑顔で話をかけてくれたり、俺の話に耳をそばだてて聞き入ってくれた。


 けれど、この穏やかなムードはエレベーターに入った瞬間かき消される。


 狭いエレベーターの中で二人っきりになった俺たちは、無言のまま最上階へと上がるのを待っていた。


 隣からはいかにも高そうな香水の香りが漂ってきて俺の鼻をくすぐった。


 俺は匂いや香りに敏感な鼻を持っている。だからこそ、この香りは俺にとっては刺激が強かった。


 女性の汗を基調としたフェロモンに高級香料を混ぜ込んだ妙な香り。俺はわざと西園寺京子さんと距離を取っているが、この香りだけは遠慮なしに俺の身体全体を包み込んだ。


 そして、そのつややかなくちびるから発せられた言葉。


「最近、刹那ちゃんと何かあった?」


 俺は言われた瞬間、体をびくつかせた。それから襟足えりあしを触る仕草をしてから、ゆっくりと首を回し、派手な姿の西園寺京子さんを見る。


 彼女は、何か心配でもしているのか、少し悲しい顔で俺をのぞき込むように見ている。


 別に良心の呵責かしゃくを感じる必要はない。それに、俺は西園寺刹那と争ったわけでもなければ、対立しているわけでもない。


 あれは単純な行き違い。


 だから俺は胸を張って言えるのだ。


「別にそれといったことはないんですね」


「あら、そう」


 俺の答えに対する西園寺京子さんの態度は一言でいうと謎。


 さっきまでは、ほんわかとした感じを全面に出していたけど、今となっては、そういうのはカケラも見当たらない。まるで、検分するかのような面持ちで俺の目を見つめている。


 西園寺京子さんがなぜこういう試すような態度を見せるのかは今のところわかりかねる。


 だが、この人は大企業の副社長の奥さんだ。俺のことを単なる無害な石ころくらいにしか認識してないだろう。


 それくらいが丁度いいんだ。


「…な子」

 

「うん?今なんか言いましたか?」


「いいえ。なんでもないの」


 西園寺京子さんは小悪魔っぽい表情で誤魔化した。一体彼女は何を言ったんだろう。まあ、深く追求しても誇大妄想と化すだけだから考えるのはやめよう。


 そうこうしている内にエレベーターは最上階へ達し、俺たちは降りた。西園寺京子さんは先頭に立って歩き、俺はその後ろをついていっている。


 足取り一つ取っても、この人は実に優雅である。西園寺刹那もそうだったし、この親にしてこの子とはよく言ったものだ。

 

 十数秒歩いたところで、西園寺京子さんは玄関扉にピタッと足を止め、指紋認証錠に指をかざしてロックを解錠した。


「入って」


 西園寺京子さんは手で優しくドアを開けたまま俺に目くばせする。


「お言葉に甘えて」


 俺は軽く頭を下げて、玄関扉の中に入った。そこには俺を待っている小さくも可愛らしい女の子が立っていた。この子の目はいつもと違って、若干大人びいている。


「いらっしゃい!お兄ちゃん」


「ああ」

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