第108話 私を攻略しなさい

「え?ど、どういう意味だ?」


 五十嵐麗奈の答えは極めて抽象的で、俺が一度聞いて理解できるものではなかった。


 ていうか、なんで言ってから表情を暗くするの?ため息つくのやめてくれる?


 俺って、間違ったことした?むしろ西園寺刹那に俺の意見をきちんと伝えたわけだから褒められることではないの?


 まあ、正しいことをする者は裁かれ、人を苦しめる奴ほど成功するのは世の常だ。だから、これは別に驚くべきことではない。


 俺は首を少し傾げて目で五十嵐麗奈に続きを促した。


「やっぱり、藤本くんにはハードルが高かったかしら…」


 五十嵐麗奈は俺の質問を見事スルーして、独り言のように呟き出した。


 俺は解せない表情で五十嵐麗奈を見つめたが、彼女は考え込む仕草を見せる。やがて、納得のいく答えを探したのか、俺に視線を向けて話し出す。


「だったら、攻略対象を変えましょう」


 だが、俺の予想とは裏腹に、五十嵐麗奈は答えではなく、新しい提案をした。


「また誰かを攻略しないといけないのか」


 俺は心底面倒臭そうな顔で言った。


「ええ。そうよ。これは藤本くんが人間に勝つ上で欠かせない事だから」


「そ、そうか」


 人間に勝つ。俺の心を突き動かした言葉をこの子はまた口に出した。俺は今までずっと人間と関わるという行為を否定し、避けてきた。

 

 でも、この前のヘップファイブでの出来事をきっかけに、俺の心は少し変わり始めた。


 俺は今まで迫害するものとされるものとの醜い争いを十把じっぱ一絡げにして馬鹿扱いしていた。


 だが、今の俺は、どうやら迫害をしている側に対して憎悪を抱いているらしい。いや違う。唾棄だきすべきものと定めた憎悪や負の感情を俺が抱くわけがない。全部、理性という器に閉じ込めてきたから。


 「人間に勝つ」というのは俺に被害が及ばないようにするための、いわば専守防衛。


 俺は固唾かたずを飲んでから彼女に問う。


「俺は誰を攻略すればいい?」


 俺の真剣な眼差しを受けた五十嵐麗奈はその綺麗な桜唇おうしんを動かす。


「私よ」


「え?」


「私」


「は?」


「わ、た、し」


 五十嵐麗奈は俺の間抜けな顔を見てイラッときたのか、コメカミに血管が浮き出ている。


 これ以上聞き返すのはやめよう。


「五十嵐さんはそれでいいの?」


「ええ。もちろんよ。これが藤本くんへの贖罪贖罪行為になるのであれば、喜んで引き受けるわ」


 五十嵐麗奈は胸を張って自信に満ちた態度で言っているが、この子は果たして、自分の言っている事の意味をわかっているのか?


 彼女は小学生だった6年間、俺がイジメられていたところをずっと見て見ぬ振りをした事への罪悪感がある。

 

 そんな彼女は、俺が抱えているイジメによるトラウマを克服するための手助けをすると打って出た。

 

 しかし、攻略するということは、つまり。つまりだ。


「つまり、最終的に俺は、五十嵐さんとセックスをするのか?」

 

 俺は頭の中に浮かんだことをストレートに言ってのけた。


「な、な、な、何を言っているのかしら!」


 五十嵐麗奈の顔が一瞬にして真っ赤になってしまった。唇は痙攣けいれんし出し、体全体を震わせている。


 そんな彼女の様子を見ながら俺はなおも続ける。


「だって、さっき五十嵐さんが攻略=セックスって言ってなかった…」


「それ以上喋ったら、兄さんと一緒にしばくわよ!」


「ひいいい!」


 怖い。まじであの女は人を一人や二人、簡単に殺せそうだ。


 五十嵐麗奈は涙目になっているが、殺気のある目で俺を睨め付けている。


「私が言っているのはあれよ!藤本くんはマトモな人間関係が築けないコミュ障で捻くれ者で更生不能なクソ童貞だから私が手を差し伸べてあげるだけなの!」


「今、すごく酷いこと言ってないか…」


 ていうか、贖罪をしたいって言っておきながら、すごく上から目線ですね。


 わかってますよ。俺はいつも人間以下の石ころのような存在だから。


 俺は落ち込んだせいで、思わず俯いてしまった。


 五十嵐麗奈はがっかりしている俺の様子を見ては、気を取り直すための咳払いをした。


「つまり、一緒にショッピング行ったり、ご飯食べたり、楽しく遊んだり…あと、こ、こ、こ、こ」


 五十嵐麗奈は話の途中で「こ」を連発しながらものすごく気まずそうにしている。


「こ?」


 俺は気になり、怪訝けげんそうな面持ちで聞いた。しかし、彼女は一旦止めて、落ち着きを取り戻してから再度言う。


「いいえ、な、なんでもないわ。要するに、普通の男女関係を通して私を攻略することによって、藤本くんのトラウマを無くすの」


「なるほどね」


 俺はさっきお前の殺気のある表情を見て新たなトラウマが生まれたけどね。


「ど、どうかしら?私の提案」


 五十嵐麗奈は、前にかかった柔らかそうな亜麻色の髪を手櫛てぐしで掻き上げながら問うてきた。


「ま、いいんじゃない?」


 俺は同意した。正直、気乗りしないんだが、五十嵐麗奈が怖いということもあるので、無駄な抵抗ていこうはするべきではなかろう。


「それじゃ、藤本くん。これからは、私を攻略しなさい」


 またもや彼女は胸を張って自信に満ち満ちた顔で宣言した。小柄で胸も大きくはないが、なかなかカリスマがある。だが、桃色の染まった頬と、しなやかに伸びた象牙色の肢体したいは、五十嵐麗奈という女がいかに美しいかを物語っている気がした。


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