第68話 西園寺せつなの笑顔

 鼻息を荒げてうそぶく彼女を見たら、なんだか反論とか質問をする気が薄らいでくる。


 きっと彼女は俺のことをずっと疑っているのだろう。別にゆきなちゃんに悪いことをするつもりは全くないのだが、姉である西園寺せつなは、俺の行動一つ一つに疑問を覚え、時には、キツく問い詰めることさえある。


 確かに、俺は普通の人間の目には、怪しいやつに見えるだろう。そのことを考えたら、西園寺せつなの突っ込みは案外、的を射ていると言える。


「再び言いますけど、藤本さんは信用できません!」


「はい」


 まあ、俺がまいたタネがからこんな仕打ちを受けるのはある意味自業自得だ。いくつか解せないところはあるが、今は黙って俺のやるべきことをやっていこう。


 俺は気を取り直すように咳払いをしてゆきなちゃんに向かって言う。


「ゆきなちゃん、授業やるからこっち来て」


「うん」


「ゆきなちゃん、さっきまでの生き生きした顔はどこに言っちゃたの?」


 授業という言葉は出た途端に、ゆきなちゃんは目を俺と同じレベルまで腐らせて遠い彼方を見つめながら言った。その光景を目にした西園寺せつなは、げんなりしながらゆきなちゃんの頭にそっと手を置く。


 俺はこの微笑ましい場面を死んだ目で眺めながら、教科書やら問題集やらをテーブルの上に取り出した。

 

 いよいよ授業開始ってところか。


X X X


 ゆきなちゃんの、ゆきなちゃんによる、ゆきなちゃんのための授業は、家でやった時と変わらず、練習問題まで解いてから幕を閉じた。まあまあってところだな。でも、今まで全く勉強をして来なかった事実を勘案すると、大きな発展だと言えるのかな。


 まあ、その代わりに、ゆきなちゃんの今後のことを一緒に考える羽目になったが。


 とりまあ、授業も終わったことだし、俺たちは会計を済ませるために、レジに向かっている。


 やがて、レジのカウンターが見え、3人こぞってテクテクと歩んでいると、そこには亜麻色の髪のメイドさんが、立って客を捌いていた。


 五十嵐れいな。客の接待に、配膳に掃除まで。実にいろんな仕事をしている。


 最後尾に並んだ俺たち。俺たちの順番が来るまで、だいぶ時間がかかるんじゃないかと危惧きぐしていたが、存外、五十嵐れいなの素早い仕事ぶりで、さほどかからなかった。


 目の前の客の会計が終わると、いよいよ俺たちの順番がやってきた。


 俺は伝票を五十嵐れいなに渡す。


「藤本く…お会計13,453円になります」


「は、はい」


 高いな!たった3人がディナを食べただけなのに、これはこれは。何回も通ったら俺の懐事情がやばくなること請け合い。だが、西園寺せつなからもらった食材代の前払い分もあるし、ここは俺が払うのが筋というもんだろう。


 俺はいそいそと財布をズボンのポケットから取り出して、現金を数えた。すると、西園寺せつながすっと俺の前を通り過ぎて、五十嵐れいなに向かってカードを差し出す。


「これで全部お願いします」


 西園寺せつなはさも当然のように俺たち3人分の料理代を払おうとしている。


「さ、西園寺、この前もらった分もあるし、ここは俺が」


「いいえ、大丈夫です。お代は私が払いますので」


 キッパリと断られた俺は西園寺せつなの放つ威厳ある雰囲気に負けてそのまま後ずさってしまう。す、すごいね。ていうか、あのカード、お金持ちたちが使っていそうな見た目だな。


 俺はボーとなってモデル顔負けの美少女が3人分の飲食代を払ってくれているシュールな光景をただただ眺める。

 

 やがて、会計を済ませた西園寺せつなは、後ろを振り向いて俺たちに外へ出るよう目くばせした。その合図を的確に捉えた俺とゆきなちゃんは、足を動かす。


 歩くこと数秒。後ろから妙な視線を感ひる。以前にも言及したかもしれないが、いじめ歴10年もあると、願わずとも、人の視線には敏感になるものだ。俺はつい、気になって後ろをそっと振り向く。


「…」


 五十嵐れいなは切々とした表情で俺を見つめている。客をさばくことも忘れて、ひたすら俺を眺めている。一体、彼女は、俺に何を言おうとしているのだろう。真実は何処へ。


X X X


「今日は色々ありがとうございした」


「こちらこそ、ごちそうさま」


 店を出た俺たちは、お互いにお礼を言い合ってから当て所もなく歩いている。そろそろ別離べつりの言葉を告げる頃合いだろう。


「俺、もう帰るわ」


 すっかり暗くなった紺碧こんぺきの空を仰ぎながら俺は言った。


「ふじにいちゃん」


「うん?」


「今週の日曜日、一緒に遊ぼう?」


「日曜か。まあ別に構わないけどな」


「本当!?やった!お姉ちゃん、ふじにちゃんも一緒にユニバー行ってもいいよね?」


 ゆきなちゃんは嬉々としながらお姉ちゃんに向かって許可を取ろうとしている。西園寺せつなは、笑顔のままゆきなちゃんの頭をなでなでして返事をした。


「そうね。二人だと心細いから、藤本さんにきてもらえれば助かるかも」


 お姉ちゃんからのお墨付きをいただいたゆきなちゃんは、一層嬉しい表情で俺を見つめる。なんか子犬っぽいな。


「んじゃ!今週の日曜日、一日中遊ぼうね!」


「こんな暑いのに一日中遊んだら熱中症になるぞ」


「構わない!熱中症になっても、ふじにいちゃんが助けてくれるから!」


「…」


 俺は思わず、この子から顔を逸らしてしまった。さりげなく俺を救急救命士としてパシるゆきなちゃんの態度が気に入らないからだろうか。それとも、もっと違う何かによるものなのか。なんで俺は目を背けているんだ。


 俺が唇を噛み締めて答えあぐねていると、西園寺せつなは上半身を前のめり気味に乗り出して優しい口調で囁くように言い添える。


「これからもよろしくお願いしますね」

 

 ロングスカートに半袖というシンプルな私服姿なのに、濡羽色ぬればいろの長い髪と、映画女優を思わせる整った目鼻立ちと、誰よりも優しい笑顔が合わさった西園寺せつなという女は、どこか現実離れしていて、謎めいた雰囲気を放っていた。だから、自分の欲望に駆られて、無理くり手を伸ばせば、天誅てんちゅうが降りてくるのではないかという畏怖いふさえも感じさせる。


 だから。


「また今度な」


「気をつけて帰ってください」


「またね!ふじにいちゃん!」


 俺は、自分を戒めなければならない。


 街並みは、人工的な照明によってその輪郭りんかくを表している。真っ昼間だったら、太陽という強烈な存在によって、全てが見えてくるだろう。だが、俺は、恣意的しいてきだろうが自然的だろうが、光が当たることはあまり好ましいとは思わない。


 真っ暗だとしても、存在自体が消えるわけではなく、ずっとあり続ける。人間の醜い思想も、自分の罪を贖罪するために他の対象を探して無理矢理生贄いけにえにしようとする矛盾も、辛い過去でさえも、見えないけどあり続ける。そして、光がないことによって、綺麗な星々と銀河が見えてくるのだ。


 俺が誰とかかわろうが、この事実は変わらない。


 この美人姉妹を後にした俺は、完全に日が暮れた夜空を仰ぎ見ながら駅に向かう。中途半端な街路灯で星が見えない事実に嘆き悲しみながら。


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