第14話 交流という名の試練が始まる①

 X X X


水曜日。


 早いもので、約束した日がやってきてしまった。いつも通り、朝早く起き、いつものようにバイト先であるこじんまりしたコンビニエンスストアへと赴く。しかし、一つ違う点があるとすれば、スマホをこまめにチェックしているということ。カフェで西園寺姉妹とばったり出くわしたあの日の別れ際、お互いのラインアカウントを交換した。友人ゼロを誇る俺のスマホには当然ラインアプリなんか設置されてるはずもなく、ゆきなちゃんに急かされながらいそいそとインストールし、半強制的に交換するに至る。なので西園寺せつなから待ち合わせ場所が書かれたメッセージをこの前もらったので、その内容を何回も何回もチェックしてはため息を吐いている始末である。


「おはよう!」


「お疲れ様です」


 いつもの明るいトーンで俺に挨拶を交わす店長。相変わらずこの人はブレないな。変わらないという点においては俺も負けない自信がある。石ころは他から物理的ダメージを受けない限りは、ずっとその形を保つ。観察者であり観測者であることを貫き通している俺もまたぶれやしない。しかし、今日に限っては少し様子がおかしいかもしれない。それを素早く察知でもしたのか、店長が遠慮がちな目を俺に向けずに言う。


「何かあったのか?」


「いえ。なにも」


「余計なお世話かもしれないが、何かあったら言ってくれ」


「はい。ありがとうございます」


 店長はさも悲し気に言い終えると、気持ちを切り替えて、俺ににっこり笑いながら再び口を開ける。


「今日も宜しくな!」



 アインシュタインの相対性理論をご存じだろうか。時間は絶対的ではなく相対的だという古典物理学の常識をひっくり返した新たな理論だ。ざっくり言うと、相手が移動する速度や重力によって時間が短くもなるし、長くもなるということだが、速度と重力を「都合のいい時」と「都合の悪い時」に置き換えてみよう。だとしたら、都合のいい瞬間は、時間の流れを早く感じるだろうし、その逆もしかり。つまるところ、時間と状況って同じ性質を持っているのではなかろうか。そんなどうでもいいことを考えながらふと時計に目をやると時間は10時30分。もうそろそろ昼休みかと思っていた俺の予測は完全に外れた。正直、暴行を受ける時を除いて、他人の家に招かれたの初めてなので、未知の世界に足を踏み入れる冒険者のような気分がなくはない。しかし、決定的な違いがあるとすれば、俺が今行こうとするところは、夢と希望溢れる未知の世界ではなく試練だけが待ち受けている現実であること。


 確かに、時間の流れは遅いが、着々と時は過ぎてゆく。気づいたらもう16時50分。そろそろ上がる頃合いだ。同時に自動扉から軽快な足取りでここへやってくる金髪の女の子。


「お疲れっす」


「おつかれ」


 いつもと同じく、簡単な挨拶を済ませた青山かほは鼻歌を歌いながら、更衣室へと消えてゆく。この距離感がちょうどいい。挨拶の後、気まずくなって「今日熱んですね」とか「いいことでもあったのか?鼻歌なんか歌って」みたいなどうでもいい話題を取り上げて会話を持続させるのは愚かな行為である。互いの領域を侵害することなく過ごすのは本当に素敵なことだ。青山かほという女の子と俺の間では既に俺の望む関係が成立している。仕事もちゃんとしてくれるので、こっちが尻拭いをさせられることもない。満足だ。当たり前のように映る光景でも俺からしてみれば宝物。こういう静かで苦しみを受けることのない日常は普通に得られるものではなく、数えきれないほどのシチュエーションや状況の塊がそれを容認して初めて成り立つものだ。しかし、油断は禁物。この平和がいつ破壊されるか誰だって分かりやせぬ。明日突然なくなることも起こり得るのだ。だから安住するのでなく、その時が来れば、潔く去ることができるように心に言い聞かせよう。


 コンビニを出る俺。手ぶらで行くのも気が引けるので、近くのスーバーに立ち寄ることにした。お肉やら果物やらが所狭しと陳列されていて食欲をそそる光景が繰り広げられた。だが、晩ご飯は向こうで用意すると言ったから、食後に軽く食べられるフルーツでも買っていこう。そう決めた俺は、リンゴやら、パインアップルやら、スイカやらを見ながらよさそうなものを選りすぐる。


 買い物を済ませた俺はすぐ電車に乗った。電車のドアにある窓から俺の姿が映し出される。見ると、レザースニーカーにチャコール色のパンツ。そして白いVネック半そでTシャツとそれを覆う薄いカーディガン。全体的にバランスの取れたカジュアルな服装といったところか。細長い足と、広い肩、細マッチョな身体を無難に隠してくれる。


「御影。御影駅でっす。出口は右側でっす。気を付けてお降りくだっさい」


 運転士さんの間抜けた声につられる形で無意識に下りてしまった。やる気ねえなあの運転士。まあ、いいけどよ。


 俺はスマホを手に取って西園寺せつなが送ってくれたメッセージに再び目を見やる。


「御影公園っと」


 外に出た俺は、スマホのGPSをフル稼働させて待ち合わせ場所を特定しようとする。スマホと周りを交互に見ながら進むと、公園らしきものが見えてきた。周辺を見渡すと自転車置き場が並んでいて、後ろの高架下近くにはバスやら軽自動車やらワゴンやらがエンジン音を立てて走っている。上には乗客を乗せた電車が力強く通る。


 やがて公園の近くまでくると、見慣れた美しい美貌の女性が立っていた。待ち合わせ時間は18時。10分前に来たのに、既に西園寺せつなは俺を待っているらしい。


 横断歩道越しの彼女は異彩を放っていた。ふくらはぎまでくる白いスカートに、胸のふくらみを引き立ててくれる黒いニート。高そうなイヤリングをつけているその姿は、現実離れしている。道行く若い男子は彼女の美しさに現を抜かしてチラ見をする。俺はというと、彼女をずっと見ている。バレないように横目で見るとかそういうくだらない事はしない。惚れたわけではなく、美しい絵画を見て感嘆する評論家のような気持ちとでも言っておこう。


 俺の気持ち悪い視線が気になったのか、彼女は俺の存在を察知し、あっと大げさに反応したのち、笑顔で手を挙げて合図した。俺もそれに合わせて頷いて見せる。思わずため息が出た。なんで吐いたのかは知らない。知っているのは、信号が青に変わったという事実。


 いよいよ始まるのか。交流という名の試練が。

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