第11話 藤本悠太は逃げようとする
たとえば、0.00000000001%の確率で地球が滅びるとしよう。大半の人は現実的に起こりえないと断定し、安堵する。科学的に見ても、誤差の範疇だ。しかし、変わらない事実がある。それは「地球が滅びる」と「地球が滅びない」というたった二つの選択肢しか存在しないということ。つまり、50%、50%である。いくら現実的にあり得ないとしても、起こってしまえば、それが現実になる。人はそれを偶然とか奇跡と呼ぶが、人生はそういったものの積み重ねだ。要するに近いところから見れば悲劇、遠いところから見れば喜劇。
俺、ゆきなちゃん、ゆきなちゃんの姉は口を噤んで、目をぱちくりさせながら、お互いを見つめあう。三つ巴の戦いが繰り広げられようとしている。今は俺のイヤホンが耳に流すフーガの美しい調べは単なる雑音と化した。
「あの、私の妹を助けてくださった方ですよね?」
居ても立っても居られなくなったのか、最初にゆきなちゃんの姉が口を開いた。サラサラとした黒髪と整った目鼻立ちとメリハリのあるボディーライン。いわゆる美少女と呼ばれる部類の人間だろう。放火事件の際は、離れたところから見てたから、綺麗な人だなという感想だったが、実際近くで見ると、その美しさが包み隠さず、如実に表れる。俺は2~3秒くらいぼーとしていた。が、すぐさまイヤホンを外して彼女を直視する。
「いいえ、助けた覚えはありません」
俺は冷たい口調でそう言い放った。実際話、助けたように見えるだけで、中身を見ると、俺の独りよがりにすぎないのだ。
「え?だって、あの時、私の妹を救うために体に水をかけて火が燃える駅構内まで走りましたよね?私見ましたよ」
彼女は開いた口が塞がらいないまま俺を間抜け面で見る。どうやら戸惑っているようだ。見ていたのか。俺が入り口の中へ入っていく姿を。さっきまで彼女を直視した俺の目は、明後日の方向へと向けられた。
関わってはならない。うまい口実を思い出せ。屁理屈でも虚言でもなんでもいい。この場から逃げることができればなんでも許される。どうせここを出たら二度と会うこともないから。そう考えた俺はこの女の子に向かって言葉を発そうとしたが。
「傷で動けない私を抱えて入り口の階段まで連れて行ってくれましたよね?お兄ちゃん」
まるで、獲物を狙う鷹のごとく、逃すことを許さないとでも言いたげな話し方で、ゆきなちゃんは俺に真意を確かめる。
その言葉に感情は微塵も感じられず、事実だけが残っている。小学生にしか見えない小さな女の子から発せられた言葉だとは思えないほどの冷たさ。
「ああ。君の言う通りだ」
俺はこの姉妹から目をそれして小さな声音で答える。
「やっぱり!あなたがゆきなちゃんを救ってくれましたね!なのになんであんな嘘を吐くんですか?」
「……」
俺は何の返事もできなかった。世の中の価値観で見れば彼女の言葉こそが真実であり、真っ当な意見だから俺は反論ができないのだ。
また、沈黙が流れる。俺は顔を俯かせながらため息を吐いた。そこへ、暖かな温もりが俺の手に伝わることを感じた。驚いて、手を見ると、細くて小さな白い両手指が俺の方手をがっつり掴んでいる。
「妹を救ってくださって本当に、ほんと、ほ、」
ゆきなちゃんの姉の目は充血して、涙を流している。言葉が出ないほど感情がこみ上げてくるのか、俺の手にさらなる力を加わった。泣く顔を見せるのは恥ずかしいはずなのに、彼女は俺の目を逸らすことなく見つめている。涙目なのにその瞳はクリスタルのように透き通っていた。俺の死んだ魚のような目とは大違いだ。
「ありがとうございます!」
果たして、この感謝の言葉に意味なんかあるのだろうか。彼女にとってゆきなちゃんは、決して奪われたくない貴重な存在だろう。利用価値があるから。自分にいい影響を与えるから。役に立つから。様々な理由が考えられる。一つはっきり言えるのは、俺の目には、この泣いている女の子も救いようのない汚い人間に見えるということ。
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