52 殺すつもりなんてない
それは直感だった。
数多なる戦いを乗り越えてきた魔王が育ててきた直感。
剣や槍を相手にしてきた経験がクリスに当てはめられなくても、考える前に咄嗟に身体が動く直感がある。
クリスがこれからやろうとしたことに対応できたのは、偶然ではなくその直感のおかげだった。
強く歯を噛み締め、少しでも勢いを弱めんとその腕を掴み、そして次にもたらされる衝撃に備えた。
頭が旋回する。
かけてはいけない力を持って、首との繋がりを断ち切らんとする。
「ぁ、ぐっ!」
惜しくもそれは断ち切られず、九十度の角度で押し止められた。
ただし急な旋回に首を痛め、魔王はただ小さな悲鳴をあげる。
左手を自らの背中とクリスの間に挟み込む。そこに炎を熾し、それを爆発と化す。
もちろんそれでクリスを倒せるとは思っていない。ただその衝撃をもって引き離す目的なだけだ。
空いた分の距離。魔王は体勢を立て直すだけで一杯一杯だった。
すぐに殴打の時間が始まる。
剣は最早クリスを痛めつける役目を果たさない。攻撃するのではなく牽制にしかならない。
「今のは……死んでいたぞ……!」
繰り出される殴打を剣で対応しながら、魔王は言った。
「惜しいことをしたわ」
それにあっさりと言い捨てるクリス。
「惜しかった……? いいのか、私の意識さえ遠のけば、ギルベルトは助かる見込みがある。だがここで私を殺すようなことになれば、そのままギルベルトも死ぬのだぞ?」
「あら、そうなの? 良いことを聞いたわ。ここで貴方を気絶させれば、アーレンスさんは戻ってこれるのね」
振られた剣先を掴んだクリスは、引っ張るのではなく一歩踏み込む。右腕を取ると、そのまま背負い投げて、地面へと叩きつけた。
地面は柔らかい庭だ。大した痛みはない。
魔王が立ち上がろうとすると、またもクリスはその背後を取った。
そして頭を旋回させんと、同じ動作を繰り返したのだ。
二度も同じことを続けられたのだ。今度の対応は素早かった。また左手を背中に差し込み、旋回の動作よりも早いスピードで爆発を起こして引き離す。
その後はただ、同じことの繰り返し。
「本当に理解しているのか、貴様は!」
クリスの殴打を捌きながら、魔王は叫ぶ。
「もちろん理解しているわ。そもそも殺すつもりなんて、初めからないもの」
そんなのわかっている。
微塵も見受けられない殺意と殺気。この小娘には殺すという覚悟がない。
「私はずっと、動かなくなるまで壊すだけのつもりでやっているのよ」
「なに……?」
動かなくなるまで壊す。その真意がわからず、魔王は狼狽した。
「もっと身体を労ってあげられればよかったのだけど、私には手段を選んでいる余裕はない。だからね、聞こえているのなら今の内に謝っておくわ、アーレンスさん。動けなくなるまでやった結果、死んでしまったならごめんなさい。恨むなら魔王を恨んで頂戴」
驚愕した。
今もたらされたクリスの言葉。何を言っているのだと、聞き返そうとするのをぐっとこらえた。
「本気で言っているのか……?」
聞くのはその本意である。
「もちろん、その身体がお父様の物だったら躊躇うわ。他の家族の者でも、トールでも、エリーでも、そしてテレーシアさんであっても。大切な人を傷つけるなんて私にはできない。この手で殺してしまうかもなんて、以ての外」
あまりにも正しい、良識ある言葉。思いやりともいえよう愛。
「だけどその中にアーレンスさんは入っていないわ」
ただそれはギルベルトには向けられていなかっただけ。
「最後に殺さないと終わらないと言うのなら、その時は諦めるわ。世界のために死んでくれなんて言わない。私の大切な人たちが平和でいられるために、その時は死んで頂戴、アーレンスさん」
はっきりと、死んでしまうのは仕方ないことだと宣言した。
殺意もなく、殺気もなく、殺すつもりがないそんな顔で、その時はその時だと。
ようやく魔王は気がついた。首をねじ切ろうとしたのも殺すためではない。ただ動かなくするための行為であることを。それで死ぬかどうかは二の次。大事なのは動かなくなるよう壊れたかどうかだけ。
(何だ、この小娘は……?)
間違いなくクリスには良識がある。他人を思いやる心もある。
ただし優先順位の結果、あっさりと相手を葬ってしまうかもしれない行為に走る。
気持ちの切り替えが早いとか、そういうレベルではない。周囲に愛され甘やかされた小娘が持っていい精神性なんかでは決してない。
その異常性に、魔王は久しく感じていなかった怖気が走った。
再認識した。殺すつもりはない。ただし結果論で死んでしまうのは厭わない、クリスの驚異を。
甘いのは自分であったと。
その甘さの代償は、すぐに支払うことになる。
首を刈り取らんとばかりの大ぶりのクリスの右足。
魔王はそれを剣で払うことも敵わず、まるでハンマーで殴られたような衝撃を受け吹き飛んだ。
崩れた体勢に、不確かな足元。
クリスがその隙を見逃すことなく、そのまま地面へと押し倒した。
魔王を仰向けに組み伏せ、その上に跨る。
振り上げられた拳。
受け止めるため左手を大きく開き、魔王はその衝撃に備える。
止められることなく、魔王の顔面に左手ごとそれは叩きつけられる。
「ぐあぁあああああああああああ!」
人差し指と中指だけが立てられた二本の指。
それは指と指の間を縫うようにして、その右目に突き刺さっていた。
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