46 夢、叶うとき

「例のものをここに」


 喝采が一区切りついた頃、王はそのような声を上げた。


 これもまた、決められた流れ。


 王の元まで台車が押されてきた。台車の上に乗るものは、一メートル立方のなにか。期待を煽るようにして、純白の布が覆いかぶさっていた。


 王はそれをちまちま捲るのではなく、勢いよく盛大に、力強く覆いかぶさってるそれを捨て去った。


 隠されていたのは透明な箱であった。内側の赤き台座の上に鎮座しているのは、小さな小さな丸い宝石のような何か。親指と中指だけで表現できる程度のサイズだ。


 これほどのケースに納められているとは思えぬ、小さなそれこそが、かつて国を災禍に陥れた物の一つであった。


 魔王が扱っていた、魔神の遺産だ。


「これこそが我らレデリック王国を苦しめ続けた魔神の遺産にして、魔王を討ち、英雄が平和をもたらした証だ!」


 自らの誇りのように語る王であったが、勿論英雄が直接持ち帰った物ではないのは承知している。


 これは最後まで、魔王が手にしていた魔神の遺産の一つに過ぎない。他にも身につけていた物はあったが、形や人前で見せる都合を考えると、これくらいが丁度いい。


 ようは演出なのだ。


 ただ皆はそれを食い入るように見入る。


 魔神の遺産は普段見ることは適わない。こんな小さな物と侮る前に、これが多くの命を刈り取った鎌なのかと、驚嘆の情を覚えてしまうだろう。


 英雄が持ち帰った魔神の遺産。英雄の証としての演出は十分に成ったようだ。


 満足気に王は皆の者を見る。言葉もでないとばかりの皆に、演出は大成功だと。


「王よ」


 横やりのようにその空気を変えた者がいた。


「よろしければこの英雄の証、手にとって見せて頂けませんか?」


 ギルベルトであった。


「ずっと、夢だったのです。父に聞く寝物語。英雄と呼ばれるまで、綺麗な言葉だけでは語り尽くせないほどの悲劇があった。それを乗り越え、亡くなった者たちの想いをその背にしていたからこそ、父は最後まで諦めず魔王に食らいつき、その手で討つことができた。そんな国が誇る父の英雄の証を、一度でいいからこの手に取って、思い馳せてみたいと夢見てきたのです」


 これを我儘と思う者は果たしているだろうか。


 会場中はそんな英雄の息子の夢を、微笑ましく、そして力強く肯定するかのように暖かく見守っている。


 ただしその中には、王は入っていなかった。


「済まないがそれはできない」


 ばっさりと英雄の息子の夢を切り捨てた。


「これは私の決定ではない。これは誰にも触れさせてはならないという、先代が定めた法である」


 王は知っている。英雄の証と呼んだ魔神の遺産。これこそが魔王を生み出した原因であり、国より魔王を輩出してしまった負の歴史であると。


「それを承知でお願いします。どうか、自分に夢を叶える機会を」


 片膝をつき、王へ頭を垂れるギルベルト。そこらの者であれば無礼者で終わるが、彼だけはその限りではなかった。


 その姿に会場中では、彼の夢を叶えるべきだという力強い思いで満ちていた。


 何も知らず、そのくらいいいではないか、と。


 空気を感じ取りながらも、王の役目として跳ね除けようとしたその時。


「いいではないですか、伯父様」


 王の姪たる少女が、彼の夢を叶える肯定者として王の前に佇んだ。


「ギルベルトさんはずっと、自らの父親である英雄の背を見て、憧れながら育ってきたのです。父親が英雄と呼ばれるようになったその証、手に取りたいと夢見続けてきたのです」


 テレーシアはギルベルトの肩に、軽く手をおいた。


「伯父様も長年見続けてきた夢を、今日ようやく叶えて貰えたのです。このくらいの夢、叶えて差し上げたらどうですか?」


 困った伯父を窘めるような姪の姿に、王は渋面する。


 遺産の危険性について言葉にできないのが歯がゆい。


 会場中は、ほぼ全てがギルベルトの味方である。むしろなぜに渋っているのだという軽蔑を、その身一身に王は受けている。


「王よ」


 面を上げるギルベルト。


「これがどういう物であるかは父に教えられ、重々承知しております」


 その言葉に込められた意味。重々承知というその意味を正しく受け取った者は、会場でもごく僅かだ。


 王はその一人である。


「ぐむ……」


 ギルベルトは遺産の意味を正しく英雄に教えられている。ならばと、ようやくその心を傾けた。


 先代が定めた法への裏切りを。


「わかったギルベルトよ」


 ついに王はその意思を陥落させた。


「めでたい日に叶えて貰った夢。こちらも欲する夢を出し渋れば器が知れる! 先代が残した法への冒涜は、私一人で引き受けよう!」


「伯父様……!」


 仕方ないとばかりに姪を見ながら、自らの甘さにため息が出る。


 会場中からは再び拍手が鳴り響く。今度は演出ではない、先代が残した法に一人で楯突いた、王への讚辞である。


 遺産を封印するガラスケース。これは文字通り封印する物であり、簡単に開くものではない。


 魔導工学の粋を集めて作られたものだ。物理はもちろん、魔法への対策はしっかりとされている。乱暴な手段を使ったとしても簡単に壊せるものではない。そのような愚か者が現れたところで、壊れる前に周りの聖騎士たちに阻まれるのがオチだ。


 正しき手順を持って、ついに解錠されるその封印。


 封印を取り除かれてそれと対面したギルベルトは、感慨深そうに息をつく。


「さぁ、夢を叶えるがいいギルベルト。これは私から君への贈り物だ」


「王からの贈り物、謹んで頂戴します」


 そしてついにそれは手に取られた。


 禍々しいまでに黒ずんでいるその宝石。中には一体何が込められているのか。物理法則など知らぬとばかりに、淀むような黒はその中で揺れていた。


 高々とそれを上げ、ギルベルトはそれをじっと見上げる。


 ついにここまで来たか。そう言わんとばかりに。


「これは一体、どんな魔神の遺産なのですかね。想像もつきませんわ」


 夢を叶えた最大の功労者であるテレーシアが、そんなギルベルトの隣でそれを見上げていた。


 感謝の念。


 今でかつてないほどに、それは彼の中に広がっている。


 恩に報いるように、彼は口を開いた。


「なあ、テレーシア。そもそも魔物とは何かわかるか?」


「え……魔物、ですか?」


 首を傾げるしかできないテレーシアに、その続きをすぐにもたらす。


「そもそも魔物とは、ただの亡霊なんだよ。今でこそ地上の覇権者として君臨している人間だが、魔神が現れるより更に前、人間がまだ地上の王ではなく、あまねく種族の一つでしかなかった時代があった」


 初めて聞く話だ。

 テレーシアだけではなく、この場にいる誰もが初めて耳にする話に聞き入っていた。


「人を襲う化物や怪物。人間はそれをモンスターと呼んで、奴らを恐れてきた。


 モンスターには各々の生態系があり、受け継がれてきた本能のような知識があり、知恵がある。領域に足を踏み入れた代償を支払わせるだけの怪物もいれば、狡猾さや残忍さを持って人々を襲ったりする化物もいる。


 モンスターがどんな歴史を辿って滅びたのかはわからない。だが人間の繁栄はそんなモンスターが滅びたことによって訪れ、ようやく地上の覇権を握れたんだ」


 上げ続けた手が疲れたかのように下ろすと、手元でそれを眺めながらギルベルトは話を続けた。


「だがその魂までは滅びていなかった。それは汚泥のように世界にこびりつき、、魔力を帯び形を得ることで、再びその姿を取り戻したんだ。ただし、そこにかつての知識や知恵はない。縄張り意識もなければ狡猾さも残忍さもない、むき出しの暴力性しか取り戻せなかったんだ。


 魔物が生ける者を襲うのは、きっと自分たちだけが滅びたのが気に食わない、生者への嫉妬のようなものなんだろうな」


 魔物とはなにか。


 その歴史をそう締めくくった彼に向かって、最初は呆けながらもすぐにテレーシアはその手を合わせた。


「流石ギルベルトさんですわ。魔物にはそのような歴史があったのですね。わたくし、そんなお話、初めて聞きましたわ」


 年相応の少女がそこでははしゃいでいた。会場中もそれに倣うように、感服し息をついていた。


 ただし、皆がそんな彼女に倣う訳ではない。


「初めて知る話だな。少なくともレデリックのどの書物や伝承にも記されていない話だ。一体誰から聞いたのだ?」


 テレーシアとは違い、彼の身体には緊張が走っていた。


 そんなことはあってはいけない。どうか探索者の人生で、そのように論じた学者に出会った話であると、彼の口からもたらされるのを願っていた。


「誰かから聞いた話ではありません。ただ、知っただけですよ」


 その願いは虚しく終わった。


「それでも誰に聞いたかと問われれば」


 ギルベルトは英雄の証を上げた。


「これかな」

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